今日は、朝日杯将棋オープン戦の準決勝と決勝が行われる。
準決勝は10:30から次の二局(持ち時間40分)。
羽生善治名人-郷田真隆九段戦
渡辺明竜王-木村一基八段戦
羽生-郷田戦の中継は銀杏記者、渡辺-木村戦の中継は烏記者。
両対局の勝者による決勝は14:30から。
→中継
非常に豪華な雰囲気の土曜日となりそうだ。
優勝賞金は1,000万円。
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会場となる有楽町朝日ホールでの大盤解説は、行方尚史八段と矢内理絵子女流四段が担当する。
行方尚史八段は、3年前の第1回朝日杯将棋オープンの優勝者。
2月のA級順位戦で藤井猛九段に敗れ、降級が決まった直後の朝日杯での優勝だった。
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団鬼六さんは近代将棋で「鬼六面白談義」の連載をしていたが病気療養のため断筆をした。
当時の編集者は連載復活の交渉を行った。
団鬼六さんから出された条件は、「行方尚史七段がA級になったら連載を復活させてもいい」ということだった。
団さんは奨励会時代以来、行方尚史八段を非常に可愛がっていた。
この年(2007年)、行方尚史七段はA級に昇級する。
団さんの連載は復活した。
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しかし、A級1年目の行方尚史八段は不調。
近代将棋2008年4月号、団鬼六さんの「鬼六面白談義」より。
行方はA級に入って八段、私はこうなりゃ騒がなきゃ損だと女流棋士達を動員して屋形船を仕立て、昇段お祝い桜船だと洒落て東京湾上で花見を楽しんだ。
そして、病気療養中で打ち切っていた近将の原稿も書き続けることになったのだが、A級順位戦における行方の不振ぶりはどうだろう。あいつ、ほんとにA級八段の力があったのか、と、疑いたくもなった。
とにかく、どんちゃか騒ぎして悦んでいただけに、いくらお祭り好きでも降級祝賀会を開くわけにもいかず、この際、私は喪に服すべきだと思った。
二月八日、新宿将棋センターで真剣師達と将棋を指しまくっていたので編集者達にはっきり伝えられなかったが返り際に白岩君(近将副編集長)が送ってくれた車の中ではっきりいった。
(中略)
「僕はね、将棋を指すのは自分のヘボさ加減はさておいて好きなんだ。しかし、将棋のことを書くのは好きじゃない」
これから新宿将棋センターに関しては何かとお手伝いさせて頂くんだが、雑誌に書くのは本日を持って打ち切らせて頂きたいと、白岩君に懇願した。
(中略)
私が持ちかけると、
「行方先生は今、朝日杯で準決勝に残っています。ひょっとするとひょっとなるかもしれません」
と、わめくような声でいった。
行方がA級の座を滑り落ちたことで私が謹慎の意味で筆を絶つというのがおかしいと彼はいうのである。
行方先生はA級として立派に通用する棋士です、と彼がいうので私はフンといってそっぽを向いた。
その翌日が二月九日、透析のため、午後から病院に出かけ、鬱陶しい四時間の透析を終えると、行方、陥落の不快感ともう近将の締切りはなくなったという気軽さから、フイと馴染みのキャバクラへ遊びに行った。
二時間ばかり遊んでから自宅へ電話を入れると、病院帰りにキャバクラへ行くという私の無軌道ぶりに家内は怒りながらも、たった今、白岩さんから電話があったといった。
「行方さん、朝日オープン戦に優勝したんですって。おめでとうございます、と、声が慄えていたわ」
朝日オープン戦といったって私の方は何のことだか、はっきりわからなかったが、行方本人からもその報告の電話が入ったという。
「とにかくその経過を白岩さんがファックスで送ってきたからすぐに帰っていらっしゃい」
といった家内は、それから今からでも間に合うから今月の原稿、よろしくお願いします、と白岩さんはいったという。
何だか狐につままれたような気分でタクシーで自宅へ帰ったが、白岩君は律儀にもその対戦相手の棋譜やら、その朝日杯オープンのトーナメント表などをファックスで送ってきていた。
第1回朝日杯オープン戦とあるからこれ、朝日新聞の初めての棋戦であるらしい。
行方は本戦トーナメントにおいて深浦康市王位、佐藤康光二冠、阿久津主税六段、そして決勝で丸山忠久九段を打ち破って優勝したのだ。
これ、凄いじゃないか、と、対戦相手の顔ぶれを見て私は感じた。
A級からおっこちた屈辱をバネにしてはね返りやがった。やっぱり奴はA級の資格充分あるじゃないか。
机の上に忘れていた私の携帯電話に行方からのメッセージが音声で入っていた。
「すみません、順位戦は無茶苦茶でした。先生宅へ行こう行こうと思いながらどうも行きにくくて。でも今日、朝日オープン戦で何とか優勝することが出来ました。近々に病気お見舞いがてら、浜田山へ報告に参上します」
うん、やっぱり奴は偉い、と私は今までのウジウジした気分が全部ふっ切れたような爽快な気分になった。
(以下略)
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結果として近代将棋はこの年の春に休刊することになるが、こうして、団鬼六さんの近代将棋での連載は継続されることになった。
文中に出てくる白岩さんは、本当にこの通りの、律儀で礼儀正しく一生懸命で爽快な方だった。
白岩さんは、近代将棋の最後の編集長となる。