昨日の名人戦第1局は、森内俊之名人が勝った。
本当に力の入った名勝負。
森内名人は連敗が続いていたが、厄年には何か悪いことがあった方が自然だ。
森内名人の厄は11連敗に放出されて、厄から抜け出したのではないかと思う。
羽生二冠は、昨年の名人と王座の失冠で、厄から抜けている状態。
4勝3敗でどちらかが勝つ、と予想したい。
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将棋マガジン1993年11月号、鈴木宏彦さんの「青年五冠王に聞く」より。
言語明瞭、意味も明瞭。いつもながら、羽生の反応は速くて明快である。四年前にインタビューした時と比べても、不思議なほど違和感がない。羽生が変わっていないというより、当時すでにその人格が完成されていたということなのだろう。
羽生は頑固である。正しいと思ったことは曲げないし、変えない。最近の羽生は対局のあと、車を運転してさっさと帰ってしまう。他の若手のように、仲間と飲んだり麻雀で騒ぐことも、ほとんどない。南に必勝の将棋を三手トン死で負けた時もそうだし、加藤九段に大逆転で勝ってA級昇級を確定的にした時もそうだった。
「あんなにストイックな生活をしていたら、長く持たない」という声もある。だが、大山も中原もそうだったように、真の王者は孤独だし、それをまた自然に受け止めるものだとも思う。
羽生の中に以前と変わった点があるとすれば、周囲に対する視野だろう。趣味もなく、映画も見なかった少年が、英会話を習い、パソコン通信を楽しみ、多くの本を読み、最新の映画を見るようになった。
「大山-升田戦を知っているか」と聞かれて「恥ずかしいけれど…」と答えた羽生は、「これは知っておくべきだ」と考えたのだと思う。十九歳になってから、宗看・看寿の詰将棋を解いたというのもそうだろうし、英会話を習いはじめたのは竜王戦の海外対局で不自由したため、車の免許を取ったのは対局の行き帰りに便利なためと、その行動にはすべてちゃんとした理由付けがある。凡人にはとても考えられぬ理性、周到さである。
さて、今後の羽生である。五冠王になれば、いやでも次は六冠王、七冠王の期待がかかってくる。
羽生の師匠の二上九段は「七冠達成の可能性は五十パーセント」とおっしゃったそうだ。島七段は「ここまでくれば、棋士の七割は七冠王を見てみたいと思っている」という。羽生は「とてもそうは思えない」と笑うが、通を自認する将棋ファンなら、順位戦の表を見ながら、この棋士はあっち、この棋士はこっちと分けてみるのも一興だろう。
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この時期、羽生五冠はA級1年目。どんなに頑張っても六冠王がMaxだった中での五冠王だから凄い。
このインタビュー後、佐藤康光七段に竜王を奪われ四冠となるが、翌年奪還することになる。
七冠(1996年)までの道のりは、
一冠目:棋王 1990年~
二冠目:王座 1992年~
三冠目:棋聖 1993年~
四冠目:王位 1993年~
五冠目:名人 1994年~
六冠目:竜王 1994年~
七冠目:王将 1996年
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社長は孤独だと言われるが、それとは違った意味での真の王者の孤独さ。
町でお祭りがある日に真っ直ぐ家へ帰って部屋の掃除をするような行動、をはるかに上回るストイックさだ。
なかなかできることではない。