平家の公達

将棋マガジン1993年8月号、故・団鬼六さんの「オニの五番勝負 第一番 羽生善治竜王の巻」より。

 羽生三冠王!遠からず名人になる事も必至である羽生三冠王を最初の敵として迎え撃つ事が出来るとは―ああ、ヘボ棋客にとりての冥利、これに過ぐるものなし、と感激するものがあったが、私はこの種の天才型青年棋士というのはもともと性が会わぬと見ていた。特に羽生とか郷田とかの平家の公達タイプ。平維盛というか、美眉秀麗なのは特に困るのである。つまり、こういう若手に対する対応能力というのがこっちには備わっていない。タイトル棋戦のホテルとか、何かの祝賀会での席上でこれらの平家の公達型天才棋士によく出会う事があるが、私は敬遠主義をとってなるたけ近づかないようにしていた。何故ならば彼らの頭脳は精密機械的なところがあって従って神経も繊細で過敏で、それだけにどこか、もろく、傷つきやすい所があり、私みたいなものが下手に声をかけたり、触ったりすればそれが忽ち、神経的故障の原因になるのではないかと気になっていたのだ。(この考えは後に彼等と飲み合えるようになってすっかり改造されたが)

(以下略)

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平維盛は平重盛の嫡男(平清盛の嫡孫)で、美貌の貴公子として有名だった。

平家の公達。武士というよりも貴族に近い雰囲気だが、貴族とは全く異なるタイプ。優雅さを持った凛々しい貴公子ということになるのだろう。

団鬼六さん流の見事な表現だ。

1990年代前半で言えば、羽生善治二冠と郷田真隆棋王が平家の公達型、森内俊之名人が源氏の武士型、佐藤康光王将が貴族型、谷川浩司九段が皇族型と分類できそうだ。

現代でいえば、阿久津主税七段が明らかに平家の公達型。

中座真七段が明らかに貴族型。

神谷広志七段が明らかに源氏の武士型。

山崎隆之七段は、意外とタイプ分けが難しく、やはり王子というジャンルになるのだろう。