1999年7月の棋聖戦、郷田真隆棋聖(当時)が谷川浩司九段に敗れ、棋聖位を失った時の一局。
郷田棋聖の心情が表れている棋譜と、非常に印象的な観戦記。
近代将棋1999年9月号、大岡仁さんの棋聖戦第3局観戦記「まっすぐな者たち」より。
大岡仁は、当時の近代将棋編集長の中野隆義さんのペンネーム。
郷田は、第2局の勝負所で大事を取ろうとしたことが、怯みとなってしまったことを強く悔いていた。
図の▲5五歩は、指してしまったあとで、なんでオレはこんな手を指したのかと、郷田は自分自身を疑ったはずだ。一手緩んだがために谷川に△2三歩と守る余裕を与え、郷田の飛は力を失った。▲5五歩では、強く▲2三飛成行△同金▲同飛成と攻めて先手勝ち筋と、それは分かっていたのに踏み込まなかった自分を激しく叱咤して、郷田はこの第3局に乗り込んできたことと思う。
(中略)
「こちらに勝つ手があるゾ」と、郷田の心は、郷田自身に確信に満ちた声で言った。第2局の轍を踏んでなるものか。よもやこの機を逃してはならない。
郷田は、残り50分の中から25分をつぎ込んで勝ち筋を見極めようとした。谷川が指してきたのだから、一直線の△4七銀成▲同飛△3六角成はこちらが危ないのだろう、などというヤワな判断基準は郷田にはハナからない。信ずるものは自らの読みである。もし、この局面でこちらが良いのなら、むしろ一直線の変化の中にこそ勝ち筋があるのではないだろうかと郷田は直感していた。
自らの直感にそって、郷田は読み抜いた。
1図以下、△4七銀成▲同飛△3六角成▲2一馬△同玉▲4一飛成△3一歩▲3三桂△2二玉▲2一銀△3三金▲5二竜△3二歩!(参考図)にて後手勝ち。手順最後の△3二歩が、3一に玉の逃げ道を作るこの一手の妙防である。
参考図以下、▲3三歩成は△同玉で大丈夫だし、▲1二金は△3一玉と落ちて際どく詰まない。一方先手玉には、竜の縦の利き筋が4筋からはずれたため、△7六桂打以下の即詰みが生じている。なんと見事なまでにぴったりとした後手勝ちの順であることよ。
郷田は、自らの勝ちを信じて△4七銀成を着手した。▲同飛の一手に△3六角成。以下、郷田の読み筋と寸分違わぬ手順で▲2一銀(2図)となった。
2図で△3三金が郷田の読んだ勝利への一手だったが、なんということであろうか。△3三金には▲同歩成△同玉▲3一竜から3六の馬をひっこ抜かれてしまう順があるではないか。先手の玉を寄せる要の馬を素抜かれては後手が勝てない。
△3三金に平凡な▲同歩成があるのを見落としていたことに郷田が気付いたのは、おそらく谷川が▲3三桂と打つのに要した10分の間か、▲3三桂と打たれた直後かと推察される。いずれにせよ、もう指し手の路線を変更できないところであった。
▲2一銀と打たれて受けなしとなった自玉を見つめながら、郷田の脳裏には二つの思いが浮かんでいた。△3一歩では△3一金打とすべきだったのか、それでダメだとしたら勝ち我にありと睨んだ自分の大局観が悪かったのか……。
(2図以下△1四歩▲5二竜△1三玉▲8二竜△2六馬▲2九香△6九金▲同玉△4七角▲7九玉△2九角成▲1六金まで、73手にて谷川九段の勝ち)
△1四歩は、勝ちを求めて指した手ではない。続く△1三玉も同様である。▲5二竜から▲8二竜とボロボロと駒を取られては将棋は勝てないとしたものである。△1四歩から△1三玉と逃げる手に要した6分と9分の時には、郷田の深い悔恨が刻まれている。最後の1分になるまで郷田は自分を苦しめ抜いた。
感想戦で、1図にて△3九銀と筋悪く飛車取りに打つ手で後手が有利であるとの手順が示されると、郷田は「その手はあまり考えませんでした。ああ、大局観が悪かったですね」と自らの不明をなじった。
深夜零時を回った打ち上げの後、午前3時過ぎまで麻雀を打った郷田は、お開きとなるときに傍らに置かれていた近代将棋を手に取り「これ、お借りしていいですか」と誰にもなく言った。私はぼんやりと聞いていたので気に留めなかったのだが、郷田が部屋を辞したとき、衛星放送「囲碁将棋ジャーナル」を制作している五郎丸社長の恵下さんが「郷田さん、眠れないんでしょうね。朝まで、本、読むつもりなんでしょう」と言うのを耳にしてハッとした。
私如きが言ってみても何の慰めにもならないだろうが、郷田はそんなに自分を責める必要はさらさらない。
1図で勝ちがあると睨んだ大局観に誤りはなかった。自分の直感と読み筋とを信じてその通りに指したのは、なお棋士として立派な態度である。勝ち筋が、筋悪の横道にあったことが敗因であり、それはまさについていなかった、ということなのだ。勝負師の戦いにおいて、勝ち筋があるかないかは運不運以前の問題である。本道の中に勝ちがあるのをツキのある状態といい、いたずら好きの勝ちがかくれんぼをして見えにくい状態にあるを不ヅキという。
努力をしない者は、不運を嘆く。自らの心に従って努力を尽くした者は、不運を堂々と受け止められるはずだ。運と不運はいつでも誰にでも着いて回るもの。不運にめげて持てる力を曲げてしまうことがないようにと思うばかりである。
(以下略)
—–
1図での△3九銀は、私のようなアマチュア好みの一手だが、プロ的には筋悪であり、感覚的に読みから除外されやすい手だ。なおかつ勝ち筋があれば、読みはそちらのほうに集中する。
突然世界が暗転し、2図から投了図へ至るまでの後手の△1四歩~△1三玉の辛さと、その間に▲5二竜で金を取られ▲8二竜で飛車まで只取りされる辛さ。
見ているだけでも胸が痛くなってくる・・・