将棋世界1999年6月号、第48回NHK杯トーナメント決勝戦(羽生善治四冠-堀口一史座四段)「若い世代の流れ」より。(記は野村隆さん)
―このたびは2年連続、5回目の優勝おめでとうございます。1年を振り返っていかがですか。
羽生 初優勝の10年前とは変わって、対戦相手全員が私より後にプロになった人だったのが印象的でした(佐藤秀五段以外は全員年下)。
―決勝の相手である堀口一史座四段は初出場にして、決勝進出です。
羽生 最初に3人九段を破って(内藤、森、高橋)あれよあれよという感じで決勝ですが、どの将棋も萎縮しないで勝っているのが印象的でした。ものおじしない堂々としたところが勢いになったのでしょう。
―初手合いですね。
羽生 練習将棋も指したことがなく、棋譜で見たことがあるだけなので本当の初めてです。正直に言ってどうなるかはやってみるまでは分からなかったです。
ただ、堀口さんは彼がまだ奨励会員の時に、私の将棋の記録をよく採ってくれていたのを覚えています。
―その頃から羽生先生をマークしていたのでしょうか(笑)。
羽生 どうですか(笑)。将棋会館での対局は、3局に1局は彼が記録を採っていた時期もあったように思います。
私の記録をよく採ってくれていた奨励会員は何人かいましたが、みんな辞めてしまったので、実は他人事ながら堀口さんは大丈夫なのかと心配していたんです(笑)。
(以下略)
—–
堀口一史座七段の奨励会時代は1988年から1996年3月までの期間。
少なくとも1996年3月(羽生七冠誕生の翌月・結婚をした月)までは、羽生善治三冠の対局の記録係を多く担当した奨励会員は、かなりの確率で辞めていくジンクスがあったということになる。
羽生四冠(当時)の冗談なのか、本当にそのような傾向があったのか、気になるところだ。