村山聖六段(当時)「将棋を指します。だから、僕を引退させないでください」

将棋マガジン1992年2月号、萩山徹さんの第7回天王戦決勝〔谷川浩司竜王-村山聖六段〕観戦記「矢倉最先端の攻防」より。

 谷川浩司VS村山聖の関西同士による決勝戦。立場は同じだが、どうしても谷川が受けて立つ印象なのは否めない。しかし、村山ら有望な若手は、トップクラスと堂々と渡り合う実力を備えているし、新鮮な顔合わせで面白い決勝戦が見られるという前評判だった。

 対局場は静岡県大仁町の「大仁ホテル」。高台にあって富士山の眺望が美しい場所である。

 天王戦の決勝はタイトル戦と同じ設営で行われ、前夜祭も開かれる。ところがハプニングが起こった。大阪から来るはずの村山は体調が悪く、前夜祭に出席できないという。

 そこで主役が谷川一人の、ちょっぴり寂しいパーティになった。

 席上あいさつに立った谷川、「前夜祭のパーティなどで歓迎されると、お祭り気分になって、ここまでくれば満足という気持ちになりがちです。しかし、後になって優勝者の名前はみな覚えているが、準優勝者は忘れ去られてしまう。歴史に名を残すようにがんばりたい」ときっぱり。万場の拍手を浴びた。

 気になる村山は、午後8時過ぎに現地入り。各社のカメラマンの要望に応じて、立ち会いの広津久雄九段を挟んで、谷川と一緒に写真に収まったが、顔色が悪く冴えない。翌朝の対局は大丈夫か心配になった。

(中略)

 午前9時対局開始。対局場に当てられたのは、ホテルから歩いて3、4分のところにある「安宅」という離れ。村山は前夜に比べるといくらか回復したように見えるが、やはりだるそうだ。離れから、雲の上に浮かぶ富士が見えたが、目に入ったかどうか。

(中略)

 局面は早くも勝負所を迎え、4図の局面で昼食休憩に入った。

 しかし、村山は休憩だけで食事はパス、ウーロン茶だけで、離れを動かずに過ごした。それで体が持つのかと気にかかるが、普段の対局の時も食べないらしい。

(中略)

 先手陣がしっかりしているのに対し、後手陣は急所にと金が迫っている。大勢は決し、谷川の寄せを待つばかりになった。

 午後2時53分終了。体調がすぐれなかった村山にとっては不満足な将棋だったに違いない。「完敗です」とうなだれた。

 感想戦では、谷川の方も優勝の喜びを素直に表せないような様子にも見えた。

(中略)

 この対局から1週間後、対局で東京に出てきた村山は、見違えるように元気になっていた。

 本局の将棋のことを聞くと、「お恥ずかしい」と頭を抱えた。しかし、「この形で指してみたい手があるんです。今度やるつもりです」と目を輝かせた顔は、1週間前と別人のようだった。

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近代将棋1992年2月号、「棋戦展望」より。

天王戦

 竜王・谷川と怪童丸・村山の対決となった第7回天王戦。チャイルドブランド出身の一人としては、やや出世が遅れている観がある村山だけに、ここは一躍名を上げるチャンスであったのだが……。

 決勝対局は、静岡県「大仁ホテル」で行われた。対局者は対局日前日の夕刻までにホテル入りし前夜祭に出席することになっていたが、予定の時間を過ぎても村山がなかなか現れず関係者はやきもき。夜も更けてから村山は、師匠の森信雄五段に抱きかかえられるようにして対局場にたどり着いた。持病である腎臓の具合が急に悪化したとのことで、対局だけはなんとかやり抜こうと、必死の思いでやってきたのだった。

 村山の根性は凄いが、根性だけでは残念ながら将棋は勝てない。翌日の将棋は谷川の冴えた指し回しだけが目に映る内容になってしまった。怪童丸も病には勝てず。体を直して出直しである。

天王戦決勝対局当日の村山聖五段(当時)。「いささかしょんぼりした表情であった」とキャプションに書かれている。将棋世界1992年2月号より。

勝ち抜き戦

 羽生-村山戦が組まれたのは、先の天王戦決勝から6日後のこと。真っ白な顔で、将棋を指すのがやっとという感じの村山の様子は、東京の将棋会館にもとうに知らされていた。大方の予想が、羽生の楽勝となったのも無理からぬところである。

 ところが、フタを開けてみると、先番を得た村山は角換わり腰掛け銀の積極戦法を採用して、いざ戦わんかなの意気盛ん。羽生が棒銀に出ようと動いたわずかなスキを見逃さず機敏に先制パンチを繰り出して局面をリードしてしまった。これには見ている者たちも呆気に取られたが、対戦者の羽生もアレレッと驚いたに違いない。

 羽生の6連勝を阻止して、体が大丈夫ならやっぱり強いとあらためて評価を高めた村山。勝ち抜き者となるこの棋戦だけで週1局ペースの対局がつく。村山の大敵は自分の体と言えそうだ。

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大崎善生さんの『聖の青春』に、この天王戦決勝の時の出来事が描かれている。

天王戦決勝の前々日、村山聖六段(当時)は、高熱のため(アパートの階段を降りて外に出るだけで精一杯)、不戦敗を決意する。

村山六段から手合課に打診したところ、このことが師匠の森信雄五段(当時)に伝わった。

森五段は早速村山六段のアパートへ行き、「もし、指せなかったら、引退するしかない、それでもええんやな」と告げる。

これまでも何度か体調不良からくる不戦敗はあったが、天王戦決勝はタイトル戦と同様、主催社が何ヵ月もかけて対局場を設営し、立会人を依頼して、そしてこの決勝戦のために1年間棋士たちの棋譜を新聞に掲載してきている。「この不戦敗は、それらを全部無駄にしてしまうということなんやぞ」と。

「ファンやスポンサーのために棋士は全力で将棋を指す、それが宿命であり責任なんや。もし、それが果たせないのなら残念だけど引退するしかない。それで、ええんやな」とも。

村山六段の体調のことを一番理解している森五段が、このようなことを告げなければならなかったのは本当に辛いことだったろう。

村山六段は、高熱で苦しかったのか、その場では何も言わなかったが、森五段が自分の住むマンションに戻ってしばらくすると、村山六段から「僕、引退しなければいけないんですか」と電話がかかってくる。

「将棋を指します。だから、僕を引退させないでください」

この時の、涙が出るようなやりとりは『聖の青春』を読んでいただくとして、森五段が村山六段を伊豆まで連れて行くこととなる。(新幹線で三島まで、そこからはタクシー)

森五段は、40度近い熱を出している村山六段の額に濡れタオルをあて、一晩中それを交換した。

翌朝、村山六段の熱は嘘のようにひいていた。

大崎善生さんは、「将棋は谷川の攻めが冴えわたり村山のボロ負けに終わった。しかし、村山はなんとか棋士の責任をまっとうすることができた。勝ち負け以上にそのことが森と村山に与えた喜びは計り知れないものがあった」と結んでいる。

『聖の青春』の中でも、特に印象深い話の一つだ。

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