剃髪の木村一基七段(当時)

将棋世界2003年10月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。

 まず、木村七段の剃髪から話をはじめることにしよう。

 7月29日の午後、何気なく特別対局室に覗くと、木村七段のツルツル頭が目に入った。驚いた気配を感じてか、木村君はテレたようにちょっと会釈した。見たところ、囲碁の武宮九段が対局しているみたいだった。私は「よく似合うよ」と言ってすぐ対局室を出た。

 棋士の剃髪といえば、森けい二、真部一男、先崎学、屋敷伸之といった名が浮かぶが、まだ他にもいるはずだ。古い話になれば天野宗歩もいる。

 なぜ坊主になったか、の理由は様々で、いわくいい難い事情の人もいただろう。天野宗歩の場合は、剃髪しないとお城将棋に出場できなかったからである。

 江戸時代の囲碁将棋の家元の人達は、頭をまるめなければならなかった。伊達男だった(と想像される)天野留次郎は、それが嫌で家元から離れた。しかし三十歳の半ばを過ぎて、名人になりたいと思ったのだろう。剃髪して宗歩と改名し、お城将棋を指す。ところが、負けるはずのない相手に負けてしまい、遂に名人になれなかった。昔の碁打ち、将棋指しは、元禄時代の檜垣是安から戦後の松田辰雄に至るまで、勝負将棋に負けると、みな血を吐いて倒れた。だから宗歩が宗珉に負けた一局も「宗歩吐血の一局」という。

 森けい二九段になると、前向きの話になる。中原名人を倒すぞ、の心意気を見せたのである。

 木村七段も同じで、森内九段の談話で気合十分なのを知り、それに負けまいとした。

 こんないい話は近頃少なくなったが、残念なことに結果は出なかった。どうも剃髪がマイナスになったような気がする。

 というのは、誰だって木村七段を見たとき驚く。その気配をいちいち感じ取って、かえって気が散ったのではないだろうか。竜王戦の準々決勝という大きな一番だが、力を出せなかった。

(以下略)

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この年の将棋世界9月号で、1組3位の森内俊之九段(当時)は竜王戦決勝トーナメントへ向けての意気込みを次のように語っている。

 今年は強敵との対戦が続き、どこで負けてもおかしくなかったのですが、そこを勝ち抜けたことは嬉しく思います。

 本戦、緒戦の木村さんは、段位こそ七段ですが、実力はトップクラスで大変な将棋になるでしょう。とにかく緒戦に全力を注ぎたいと思う。自分に自信が持てる将棋を指したい。

対する2組優勝の木村一基七段(当時)の決意。

 ランキング戦は対戦相手が詰みを逃すなど、本当に運がよかったと感じています。

 本戦、とりあえずは緒戦。勝てれば自信になるので、以降も乗っていけると思う。

それぞれ、相手の意気込みは、将棋世界9月号が出版されてから知ることになる。

森内九段のコメントを見れば、木村七段の闘志が最高潮に沸き立つのは自然な姿だ。

それが剃髪という形になって表れたのだと思う。

この期の竜王戦では、森内俊之九段(当時)が挑戦者となり、羽生善治竜王から竜王位を奪取している。

木村一基七段も、この2年後に竜王戦の挑戦者となる。

剃髪の心意気が通じた形だ。