げに悩ましき棋士

将棋世界1990年6月号、脚本家の石堂淑朗さんがホストの対談「石堂淑朗の本音対談」より。

ゲストは真部一男八段(当時)。

石堂 1年でA級にすぐ復帰された訳ですけれど、珍しいんじゃないですか。その前はA級に入って、すぐ落ちましたね。そういう場合、自信喪失というか、心理的にかなりダメージが大きいんじゃないかと、傍から心配していましたけど、どうでしょう?

真部 意外とダメージはなかったですね。

石堂 それはどうしてですか?

真部 見てまして、Aクラスとそれ以外の人は、将棋に対する思い込みの深さが随分違うんですね。遊んでいても、常に将棋の事が頭にあるし、更にタイトルを取るような人は、もっと思いが強いと思うんですよ。比べてみて、どうも自分はAクラスの資格があるとは思えなかったですね。Aクラスに入って、やっている間中も。

石堂 それは将棋以外の事に熱中していたという意味ですか>

真部 いや、碁をやっていたって、酒を飲んだって、何でもいいんですけど。Aクラスに定着している人たちの将棋に対する思いと比べると、どうも自分はAクラスではないと。そもそも、B1に長くいた時から、そう思っていました。思い込みが強くならなければ、Aクラスになれないと思っていたのが、なっちゃったという感じがありますでしょう。だから落ちた事に、さほど抵抗がなかった訳です。

石堂 思い入れが足りなかった……。

真部 それは落ちてみて分かったんですよね。「何でショックが少ないんだろうな」と考えてみたら。しかし、今度は落ちたくないですからね。そういう点では前とちょっと変化しています。

石堂 才能においては、俺はA級なんだという自負心が昔からあった訳でしょう。

真部 ええ、そういう気持ちを子供の時から持続していなければ、とてもじゃないけど、やっていけませんよ。負け組でよしとして、後はやっていくしかなくなっちゃいますからね。

石堂 B1には、この1年を別にして、何年いたんですか?

真部 8年かかって、一昨年上がりました。

石堂 5、6年目になると、自分の中に定着意識ができるんじゃないですか。それとの戦いはどうだったんでしょう。

真部 B1の8年間に3回位、降級のかかった将棋を指していますからね。定着どころの騒ぎじゃないですものね(笑)。落ちるかという将棋のプレッシャーは、まるで違いますよ。昇級を逃しても、同じ位置にいられるのに対して、落ちちゃうんですから。

石堂 そういうプレッシャーを何度もくぐり抜けている内に、開き直りみたいなものが出てくる?

真部 ええ、図々しさって言うんですかねえ。震えなくなる―。

石堂 どうなんでしょうかね。時と場合によっては震えも必要な場合があるような気がするんですけど。

真部 いや、震えると手が伸びないですよ。こうやるに決まっているところでも、怖くて指せない事がありますね。そういう時は無駄に時間を使ってしまう。

石堂 震えるっていうのは、最善手が分かっていても、不安に駆られて駒を進めることができない状態ですね。

真部 ええ、震える時というのは、普段の状況が悪い訳ですね。将棋に対する自信も失いかけている時だから、指す手に自信が持てなくなっている。どうしても余計な時間を使うことになるんですね。あるいは逆に、弱気にならないために強気、強気と行って、つんのめるとか。僕は決勝戦のようなもので、何回か負けているんですけど、そういう時、ある種の震えが来ていると思うんですよ。平常心でいるんだと自分に言い聞かせるための、余計な努力をするんですね。将棋と関係ないところで。俄然、だらしない内容になってしまうんですよ。

石堂 将棋での神経の太さに関しては、羽生善治はあるんでしょうね。あがらないですものね。

真部 ええ、あがりませんね。谷川さんもそうだったみたいですし。羽生君だと、まだあれだけ若いから、滅多にないチャンスだと思ってないでしょうからね。

石堂 諦めが早いというか、真部さんの敗因は早く投げたから、と昔からよく言われていますね。

真部 早いってよく言われるんですけど、本人としては、あれでも目一杯やっているんですけどね(笑)。

石堂 終盤で、勝ちがないけど、粘っているうちに向こうが間違えるだろう、という指し方ではないんでしょう。

真部 いや、そういう事もやっていますよ、もちろん。自分が少しでも不利になったら、もう最善手はない訳ですから。ひっくり返すためには、やっぱり相手が間違えやすい順を選びます。二つありますけどね。短手数で負ける可能性があるけど、相手が間違えやすい順を選ぶのと、手数を引き延ばして長丁場にすれば、チャンスが回るという指し方と。こう見えても、両方やりますよ(笑)。

石堂 200手を超える泥仕合とかはないんでしょう?

真部 結構ありますよ。あまり、そういうのはジャーナリズムに採り上げてもらえませんけどね。

石堂 書く方のイメージに反するからでしょうね(笑)。

真部 ええ、書く側がイメージを作り上げて、それに合った棋譜だけを採り上げるんじゃないですか。結構、泥仕合もやっているんですけどねえ(笑)。

(中略)

石堂 真部さんは、(将棋を)いつ頃、どういう風にして覚えられましたか?

真部 4歳か5歳の時、母親に教えられましたね。

石堂 普通は父親に教わりますね。

真部 うちは父親がいなかったものですから。母親が働きに出ていまして、祖母に育てられたんです。しょっちゅう、表でケガをしてきたらしいんですよ。母親が帰ってくると、どこかケガしている。将棋をやれば座るようになるdろうと。それで覚えましたけど、住んでいた荒川区の近所には、将棋を指す子がいませんでしたね。だから新宿に越してきてからですね、やり出したのは。学校に強い子が何人もいましたので。覚えたのは早かったんだけど、実際始めたのは11歳位ですね。

石堂 それで、道場に通うようになる訳ですか。

真部 ええ、12歳の誕生日に母親に池袋の道場に連れていってもらって。それから日参するようになりましたね。

石堂 あっという間に、この子はプロになるという声が挙がりました?

真部 周囲からは挙がらなかったですね。自分ではそう思っていましたけど(笑)。いやあ、ひどい錯覚をしていたんですよ。道場通いして3ヵ月たったら、初段になりました。将棋世界を読んでいたら、加藤一二三九段は12歳で初段だった事を知ったんです。神武以来の天才と俺は同じ位の才能だと思っちゃって(笑)。アマチュアの初段と、プロの初段があるのを知らなかった(笑)。これはもう、自分は将棋指しになる一手だと思った。

石堂 (笑)当時の奨励会の試験は?

真部 いい加減だったですよ。入りたい時に試験は受けさせてもらえた感じでしたね。

石堂 しかし、アマチュアとプロの初段を錯覚して、奨励会に入ったとすると・・・。

真部 いや、その錯覚は長く続かなかったですから。当時だと、道場の三段位あると、試験を受けて何とか入れたんですね。そこで三段になった時、加藤治郎先生にお願いして、弟子にしてもらいました。だから、回りから声が沸き上がってという感じじゃないです。

石堂 お母さんは反対しませんでした?

真部 もちろん大反対でしたよ。

石堂 そうでしょうね。大体の親は反対しますね。

真部 その時、勝負に出たんです。「僕は家出する」と。中学1年で、家出してもアテはないんですけどね。困らしてやろうと思ったんでしょうね。

石堂 真部さんが碁に狂っているという話を随分聞きましたけど(笑)。

真部 (笑)ええ、ひどいものでしたねえ。

(中略)

真部 2年前にざっと計算してみたら、碁に費やした時間がもの凄かったですよ。えーと、48,000時間位で、碁の本を延べ18,000冊読んでいるんですよ(笑)。

石堂 ええー。

(中略)

真部 こんなに努力したんだから、もうプロになりたいと思って、藤沢秀行先生に相談したら、早速その場で関西棋院の理事に電話してくれたんです。そしたら、数年前から年齢制限ができて、25歳以上はプロになれない制度になっていて(笑)。どうも今のところは、プロ入りは諦めているところです。またこれで、タイトルを取ったりして手土産ができれば、こういうのがいても面白いじゃないかと、特例でプロにしてくれるかも知れないという夢は、まだ捨ててないんですよ(笑)。

(中略)

石堂 ところで、英会話にも凝っているとか。目的は海外旅行のためですか?

真部 全然違うんです。2年位前に碁会所がなくなったので、碁を打たなくなりまして。毎日8時間も碁を打っていたから、その時間の過ごし方が分からなくなったんですよ。しょうがないから、まず木彫りを始めて。ところが凝り性だから、何時間も座りっぱなしでやるでよう。体が何かおかしくなったんですね。そこでビデオで映画を見始めたんですよ。字幕を読まないで見たいなと思ったのが、きっかけですね。

石堂 しかし、1日8時間も碁を打っていたのが、パッと転換できますね。他の碁会所へ行って打ってはダメなんですか。

真部 どうもそういう気にならない(笑)。つぶれたのが一昨年の8月、それから、ほとんど打たなくなりましたね。

石堂 中毒症状を起こさないですか。タイトル取って、碁界に行こうと思うほど、お好きなんだから。

真部 (笑)いやいや。プロといってもライセンスが欲しいんで、手合いをしたいとかの大それた事は思っていませんからね。

(以下略)

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同じ頁の、石堂淑朗さんの「蛇足のそのまた蛇足」より。

 A級に定着している人と自分とでは将棋に対する想いが違うと真部さんは言っている。

 それはそうなのだろうが、この方の場合は想いという言葉を欲と変えたほうがよりはっきりするところがあると思うのは私だけではあるまい。

 真部一男という存在は人生全般に対して欲がない、なさすぎるのではというそれこそ想いがつねに私にはあった。

 B1とかAとか、そういったランク付けに基本的に馴染まぬ棋士なのだ、この人は。

 これは同時に永遠の少年、ということでもある。

 少年の血気が40の声を聞こうとする今も沸々と煮えたぎり、そのために現世に順応しかねるのは、如何なる成行きか。父親不在の生活であったために、オイディプスの王殺し、フロイトの言う「オイディプス・コンプレックス」の克服が未だになされていないからと今回の対談で確認することができた。

 もし真部一男がA級に定着し、人生に欲を持つことを希望するなら、心理学的には、子供を持つこと。これが何よりの早道なのである。

 何? 逞しい父になり、A級に定着した真部一男なんか見たくないと言われるか? げに悩ましき棋士ではありますなア。

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「何? 逞しい父になり、A級に定着した真部一男なんか見たくないと言われるか? げに悩ましき棋士ではありますなア」は、真部一男八段(当時)への最大級の賛辞だ。

感動的なほどまでに絶妙、としか言いようがない。