将棋マガジン1990年12月号、先崎学五段(当時)の第21回新人王戦決勝三番勝負第1局観戦記(森下卓六段-大野八一雄五段)観戦記「それぞれの新人王戦」より。
決戦の1週間前、小野修一七段宅で行われた研究会(森、小野、羽生、森下、森内、先崎)(注9)にて。
先崎 森下さんも今度はチャンスですね(態度を豹変させている)
森内 そうですよ森下さん(いたずらっぽい目で)
森下 また、なにを言ってるんですか森内さん(一段とカン高い声で、<にアクセントが入る)
森 じゃあ、みんなで森下君にごちそうになろう。
羽生 前祝いですか。
一同 そうそう。さあ行こう。すぐ行こう。
(食事がおわって)
小野 じゃあ森下君、ごちそうさま。
森下 えー。
先崎 いいじゃないですか、前祝いなんだから(見よ、このお調子者ぶり)
森下 先崎さん、なに言ってるんですか、前祝いなんて―。
(と言いつつも、満更でもなさそうな笑顔を作り、会計をすませる森下)
一同 ごちそう様です。
先崎 じゃあ、これから小野さんの家で軽くゲームでもしますか(注10)。
森内 やりましょう、やりましょう。
森 うん、やろう、やろう。
森下 僕は帰ります(毅然とした声で)
森内 え~帰っちゃうんですか―。
(森下、その声に耳を貸さず、後ろを向いて歩きだす)
羽生 相当に気合が入ってますね。
一同 うんうん。
先崎 勝ったらまたごちそうになりましょうね。
一同 うんうん。
舞台は突然対局室。両者の前の盤には1図の局面。記録係は勝又清和二段(石田和雄八段門下)
勝又 (おや、どこかで見たことがある将棋だぞ。あっそうだ、NHK杯の石田-森下戦と似てるぞ。僕の師匠が快勝した将棋だ。大野先生、柳の下の泥鰌を狙っているな。あれ、でも確かあの将棋は、ここで▲4六歩じゃなくて▲3五歩と森下先生は指したんだ。この方が良いのか。森下先生研究してるんだな。さすがだな。そういえば今日は決勝戦だから、記録料も普段の三倍近いんだ。僕ってラッキーだな、ウフフフ)
森下 (やっぱり大事な一戦だけあって大野さんもしっかり研究してたみたいだな。でもこの▲4六歩が好手だということは分からないだろうな。石田先生に負けた後、敗因を分析しておいて良かったな。いくら僕がお人好しでもいつもいつも同じ手をくってたまるか。だいたい右玉なんていう消極的な戦法に負けるわけがない。負けるわけがない・・・)
奥山(注11) (森下よ、ついに絶望の虚妄たる希望という娼婦に媚を売るときが来た。二番手人生に別れをつげる時が来たのだ。新人王という登竜門をくぐり、名人、竜王という地位に媚を売るのだ。内容と形式の闘争をこえて転化に至れ。そうだ、空想から科学への偉大なる転化をとげるのだ。今、将棋界には森下という亡霊がうごめいている。万国の二番手人生よ団結せよ)
注9:このメンバーで春はオーストラリアに行きました。
注10:モノポリーやブラックジャックなどが多い。
注11:ご存知『赤旗』の名観戦記者。実におもしろいオジサンです。
つづく
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森けい二九段の森研。
幸せな人がほかの5人にご馳走をふるまわなければならない、という不文律がある。
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研究会が終わって食事をして、飲み会になるのではなくゲームになるところが、この当時の雰囲気が色濃く出ている。
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奥山紅樹さんは、この対局の観戦記者。本名は下里正樹さん。
オウム事件の時にはコメンテータとして多くのワイドショーに出演した。
また、森村誠一さんの秘書もつとめ、「悪魔の飽食」シリーズを共同執筆している。
奥山さんは後に日本共産党を除名となるが、この当時は党員である。
先崎五段(当時)による奥山紅樹さんの脳内の語りに、「絶望の虚妄たる希望という娼婦」、「空想から科学への偉大なる転化」、「内容と形式の闘争をこえて」など、いかにもそのような雰囲気のある言葉が駆使されいて、絶妙な面白さとなっている。
突然出てくる、このような意外な技が嬉しい。