神吉流鬼手

神吉宏充七段はマジックを得意としているが・・・

将棋世界1993年4月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時」より。

 2月は突然の事ながら、関西の将棋会館におじゃまして取材させて頂くことにした。というのも12日に順位戦の9回戦の対局がついていたからだ。少し横着な気もしたが、たまには、東京から見る関西の風景というのも面白いかもしれないとかってに理由をつけさせてもらった。

 元々、神吉親分の縄張りだけに、筋を通さないと「出入り」の心配もあるが、月初めに名人と3人で飲んでもいるから許してくれるだろう。どうでもいい事なのだが、その時、美人のホステスさんが名刺に自宅の電話番号を書いて渡してくれた。関係ない神吉君が「どれどれ」と見てから私に回ってきた。翌日、番号を見ると頭に0が付いていた。東京近県だなと思ったら、次は6になっているではないか。彼はマジシャンでもある。イヤな予感がしてその番号には電話をかけていない。

 その日は神吉君が馬に蹴られる夢を見てしまった。正夢にならなければいいのだが・・・。

(以下略)

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この当時、「対局室25時」の東京を鈴木輝彦七段(当時)、大阪を神吉宏充五段(当時)が担当していた。

この頃の名人は中原誠十六世名人。

飲んだ場所は、銀座か新宿のクラブと思われる。

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当時は携帯電話はまだ一般的ではなく、電話番号を教える=自宅の電話番号を教えるということだった。

あれは1990年の7月。

ニューヨークに出張した最後の夜、一緒に出張をした人と、ピアノバー(日本でいうクラブ)へ行った。

一般的にピアノバーは日本人が経営しており、多くの場合、日本人の女性が席に着いてくれる。

その時は、奈良県出身の美人女性と可憐なアメリカ人女性が席に。

アメリカ人の女性は、ミュージカルスターになるべく、ブロードウェイで研究生として頑張っているという。

”可憐な”という形容詞は彼女のためにあるのではないか、と思うほど可憐な雰囲気のアメリカ人女性だった。

いろいろ話をした。日本に行ってみたいとも語っていた。

私は名刺に自宅の電話番号を書いて、「東京に来るようなことがあったら電話をして」と彼女に渡した。

彼女は嬉しそうに名刺を受け取ってくれた。

帰国後、電話なんか絶対にかかってこないだろうと思いつつも、もし電話がかかってきたら英語だからどうしよう、などと妄想を描いたりもした。

しかし、よくよく考えてみると、英語が苦手(大学では1年しか履修しなかった)な私がニューヨークではアメリカ人女性と英語で会話をしていたわけで、火事場の馬鹿力というのは恐ろしいパワーを秘めていると思ったものだ。

ちなみに、そのアメリカ人女性からは、いまだに電話はかかってきていない。

        

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