近代将棋1991年12月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。
東西合同の棋士旅行会が10月3、4日 愛知県渥美半島の伊良湖に60名近い棋士が参加して行われた。棋士旅行会は7年ぶりのことで、プロ棋士達は食事のあと囲碁や麻雀、カラオケなど思い思いの夜を楽しんだ。
通常の社員旅行などでは、きれいどころをはべらせて飲めや歌えの大騒ぎとなるようだが、棋士はタイトル戦や将棋大会の打ち上げなど、そういった宴席も多くいささか食傷気味のようで、二上会長、大山最高顧問の短い挨拶のあとは、ステージ上の歌もなし、かくし芸の披露もなし、ただひたすら隣の棋士と杯を空け合って飲食するという至って簡素な宴会で、一般の方にはまっこと不思議な旅行会に映ったことだろう。
旅行が趣味の私などは、ホテル代の上に交通費まで連盟に負担してもらって、現地集合解散でそれ以外の拘束はなしと、こんな旅行会は毎月でもやってほしいと願うのだが、リッチな若手棋士には「酒の席まで先輩面されるのは御免だ」という気持ちがあるのか、参加が少なくやや寂しかった。
(中略)
以前の棋士の旅行会といえば、トランプを使った小さな賭場が開かれたものだった。棋士が好んだのはブラックジャックで、21以内で5枚引けたら倍というルールも加わった連盟独特のもので、先輩方はこのゲームを「ドボン」と呼んでいた。負けが込んで熱くなると、親に「この財布全部を受けるか?」などと言い出すつわものがいたりして、私達後輩は面白がってそれを飽かずに眺め、その何十分の一かの金を片隅に置いて加わったものだった。。
本場のカジノへの旅行を趣味とし、連盟一のギャンブラーと目されるM九段がトランプとさいころを持参で、「ドボンかチンチロリンは◯◯◯の部屋です」と叫んで館内を回ったが、今回の旅行中についに開帳はされなかった。
これにとって代わったのがテニスとゴルフで、テニス組は早めに到着して東西テニス部の交流試合を行い、ゴルフ組は翌朝早くから棋士19名によるコンペを行った。私は数ヶ月前から時折打ちっ放しに通うようになった超初心者なのだが、棋士だけの会という気安さで、思い切ってゴルフ組に参加した。クロスでは米長九段、大内九段、佐藤義七段、飯野六段ら予想されたメンバーが好成績だったが、なんとか式という独特の集計法の結果、飯野六段が優勝したらしかった。私の興味は誰がラストの成績で、誰がブービーとなるのかだったが、なんと私はそのいずれも入らず、自分以上のゴルファーも差M家できるコンペって、ほのぼのしていいなあと感じた。
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以下の写真は将棋マガジン1991年12月号より。撮影は弦巻勝さん。
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現役、引退合わせて61名の参加だった東西合同棋士旅行会。(参加率は約37%)
1991年10月3~4日ということなので、木曜から金曜にかけての1泊旅行だった。
伊良湖ガーデンホテルは、現在の伊良湖シーパーク&スパ。
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テニスとゴルフはオプショナル。
宴会の後、トランプ、囲碁、麻雀、カラオケなのだから、非常に行儀の良い団体という感じだ。
なおかつ、写真を見ると、トランプ組、囲碁組、麻雀組とも、酒を飲みながらではない。
1次会の宴会で酒が入っているとはいえ、勝負の場においては負けたくないという勝負師の心意気を垣間見ることができる。
もちろん、湯のみ茶碗に入っているのがお茶ではなく酒である可能性も否定できないが、ここは素直にお茶が入っていると見るほうが正しいだろう。
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棋士の旅行会が、この後も行われたのかどうかは分からないが、1990年代から会社の社員旅行なども徐々に減ってきているので、この回が最後の棋士旅行会だった可能性も高い。
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「連盟一のギャンブラーと目されるM九段」
M九段は、もちろん森雞二九段。