中村修七段(当時)の結婚

将棋世界1992年7月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 愛」より。

 中村修(七段、29歳)が、辻雅子(元福島テレビアナウンサー、27歳)と出会ったのは5年前だった。

 福島テレビはフジテレビ系の地方ネットTV局である。同社のアマ強豪渡辺大助ディレクター(当時)の誘いで島朗・塚田泰明と三人でTV局へ遊びに行った。夜、市内のレストランで食事をした。渡辺ディレクターと共に数人の女性アナウンサーが同席した。中に背のすらりと高い、ほがらかな美人アナがいた。

 ―色が白く、背が高いな・・・。

 中村が彼女から受けた第一印象である。

 食事のあと、カラオケと少しの酒。そしておしゃべり。お互いの仕事のこと、棋士の日常について彼女たちが質問し、アナウンサーの”修行”について棋士がたずねた。

 楽しいひとときを過ごしたあと、中村たち若手棋士はその夜、飯坂温泉に泊まった。TV局アナウンサーという、瞬発力と広い知識、表現力が求められる職場で、きびきびと仕事をこなす若い女性のエネルギー。若手棋士たちは快い刺激を受けた。

 中村は当時「王将」位のタイトルを持ち、南芳一(現29歳、九段)の挑戦を受けていた。南は第51期「棋聖」位で初タイトルを獲得し、波にのっていた。二人の対局は「新人類同士の激突」と注目された。結果は3-4で中村の惜敗に終わった。

 タイトルを失うとほぼ同時に、中村将棋に低迷が訪れた。対局数、勝ち星、勝率のいずれもまずまずの成績だが、1985年に米長・中原を相手取り「棋聖」「王将」に連続挑戦したころの勢いがない。『谷川浩司全集』をひもときながら、中村はひとり悩んだ。

 タイトルを失い、対局が少なくなると時間的余裕が出来る。彼は時どき福島市に出掛けた。渡辺ディレクターがうまく”調整”してくれ、辻雅子との出会いを心掛けてくれた。

 ディレクターは棋界の出来事を報じる新聞記事を切り抜いては、女性アナに読ませた。棋士というものへの、そして彼女に会いに来る青年への理解を助けたい・・・アマ強豪の愛情ある気配りである。

 雅子の、万事に明るく些事にこだわらないおおらかな性格に修は惹かれた。とりとめのない雑談をしていても、彼女のそばにいると心がなごむ。逆に雅子は、周囲に見られるエリート・サラリーマンとはまったくちがったタイプの青年―年齢に比べてうんと老成した、優しさと激しさがモザイクのように同居する修に、ふしぎな魅力を感じた。二人はしだいに親しくなった。

 初めは年に2、3回の出会いが、やがて半年に数回、2年前にはそれが月に数回となった。中村修はじっくりと攻めた。

 持ち時間の短い対局が終わると、東北新幹線にとび乗り福島に向かう。TV局女子寮にいる彼女を呼び出す。わずかな語らいの合間に▲1五歩と端を突いて帰京する。次に会った時、彼女は△1五同歩と取る。この場合、▲1五歩が何を意味するかは読者の想像におまかせする。

 深夜の終局。大事な一局を落とした夜など、中村は彼女の掌をまさぐるようにプッシュホンのダイアルを押した。東京・新宿の1LDKのマンションの家賃が月10万円余。深夜の市外電話料金の額はそれに並んだ。敗局のくやしさ、ふがいない自分への怒り・・・中村修の言葉を、彼女は「負けてもどうってことない、次は勝てるわよ」と明るく受け止めてくれた。

 「この人と結婚するようになるかな・・・と思った。電話の方は急いで第二電電に加入し、長距離料金の節約を図った」と中村は笑う。

 ほれて通えば千里も一里、という。デートが月に数日から週に三日とはげしくなり、中村は彼女にプロポーズした。東京-福島の時空の離れを、愛情が飛び越えたのである。

 昨年初夏、婚約発表。二人そろってスポーツ紙のインタビューを受けた時、中村は彼女が中央大学法科卒であることを初めて知った。彼女の身長が168センチであり青森県出身、両親がそろって教師の堅実な家庭に育ったなど、相手についてのくわしいデータをあらためて認識した。「この人と結婚するんだな・・・」。実感が身を包んだ。

 中村は言う。

 「棋士にとって、勝負は孤独な世界。勝った時はいいですけど、負けた時はけっこうきつい・・・そんな時にホッと息抜き出来る女性、自然に包んでくれる相手にめぐり会ったと言いますか、何と言いますか、のろけているようでぐあいが悪いんですが(笑)」

 「一人暮らしが8年間続きました。結婚で環境が変わる・・・それが将棋にとってプラスになると思います。タイトルを取るなど、空手形は切れませんが、きっと良い方に変わるんじゃないか、と」

 「すみません、と書いておいてください。『飛躍します、新聞に報道されるくらいの活躍をします』と・・・」

 だれに対しての「すみません」か?

 中村の胸を、一人のファンの年賀状が横切る。その人はTV将棋の解説役で出演した中村の、ユーモアを交えたおちゃらけを批判し、「他の棋士に嫌われるような存在になれ」「ことしこそ昇級してくれ」「あなたが昇級出来なかったら、私はことしかぎり将棋をやめる」旨を書き送ってきた。中村は応援してくれるファンに対し、「すみません、結婚を機に飛躍します」と言うのである。愛は棋士を純粋にし、上向意欲を鮮明にさせる。

(以下略)

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1990年代の若手棋士の結婚は、出会いから結婚までの期間が非常に短いのが特徴であるが、中村修七段(当時)の場合は、じっくりと愛を育んでいった形だ。

当時の東北新幹線で、上野-福島間が1時間30分~2時間。

東北新幹線が東京駅まで乗り入れたのが1991年のことなので、それ以前は上野駅の地下深いホームから乗る必要があった。

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縁結びの神ともいうべき福島テレビの渡辺大助ディレクターは、1996年に福島テレビを退職し、同じ年に開局されたFMおたるの総合プロデューサーとなっている。

開局当初、故郷で始まったFMが難儀していると人づてに聞き、小樽に戻ったという。

非常に男気のある行動だ。

FMおたるの灯は消さぬ 情熱15年渡辺さん退任、若手継ぐ(北海道新聞)

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将棋世界1992年3月号、大野八一雄五段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

 前に修の行動が分からないと書いたが、ついに婚約を発表し結婚式の日まで決めてしまった(正確には住まいまでも)。

 別に羨ましくないが、今が一番楽しい時期である事は私にも察しはつく。そして、3月の頃の思いも・・・。

 今だから書いちゃおう。順位戦のあった翌日によく「昨日の結果はどうなりましたか」と電話してくるんだ。勝敗を告げ終わり「昼飯でも食べない」と聞くと「今、新宿(彼の住んでいたマンション)に居ないんです。すみませ~ん」と嬉しそうな声で断るんだよ、これが。「あっ、そう」と言うと「それじゃまた・・・」ガチャ。私が聞いてもいないのに「大野さん、週末になると競馬漬けになってしまいお金が持ちません」だとさ。私が「福島まで馬のけつを追いかけるのも楽じゃないねぇ」と言い返すと、「家賃を電話代が超えていきそうです」だって。

 今のうち、今のうちと念仏のように彼の耳元でとなえているのだが効果はゼロ。

 それどころか秋口からはいくら留守電に入れておいても連絡がつかなくなっちゃった。

 あまりに出ないので頭にきて30分ぐらい入る留守電にテープが切れるまで店のママと2人で歌をプレゼントしてやった。

 なのに喜びいっぱいの修、彼のそんな表情を会う度に見せられていると、私も、もう一度結婚式もいいかなぁ等と思ってしまう今日この頃でした。4月20日が楽しみだ。

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現在もフリーアナウンサー・朗読家として活躍する奥様の中村雅子さんは、1987年に福島テレビに入社、中村修九段は、入社したばかりの新人アナウンサーと交際を始めたこととなる。

中村雅子さんは、FNSアナウンス大賞新人賞・CM部門賞の受賞歴もある。

棋士の妻のひとりごと(将棋パイナップルリレーエッセイ)

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明日はクリスマスイブ。

JR東海でクリスマスエクスプレスのCMが開始されたのが1988年。

中村修九段が福島へ通い始めた頃から大ヒットした広告だ。

クリスマスイブの日に中村修七段(当時)が福島駅のホームへ降り立つことはあったのだろうか。

とはいえ、地元テレビ局のアナウンサーは非常に顔が知られているので、このCMのようなことは絶対になかったと思われる。

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