近代将棋1991年8月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
東京で棋譜検索ソフト「棋譜データベース」の作者、山田剛一郎さん(大手出版社のプログラマー)を囲む会。淡路八段、宮田六段、武者野五段、池崎が出席し、意見交換をする。
棋譜データベース(市販はしていない)は非常によくできたソフトで、あらかじめ棋譜を登録しておくと、マウス操作だけで簡単に検索できる。例えば「中原誠」「谷川浩司」「名人戦」にカーソルを合わせてボタンを押すと、ただちに名人戦の中原-谷川の全棋譜一覧表が表示され、見たい棋譜を指定すると盤面が現れて終局までの指し手を再現してくれるのだ。戦型別、年度別の検索も可能。
山田さんは将棋ファンで、たまった新聞観戦記の切り抜きを整理するために、この検索ソフトを作ったんだそうだ。私は仕事用に使わせてもらっているが(これがあれば将棋盤は要らない)、プロ棋士の中にも愛用者は多い。
市販将棋ソフトの中にも「森田将棋Ⅱ」「永世名人」「初段一直線」などスグレ物は多いが、こと検索機能に関して言えばどれも不十分で、仕事には使えない。ソフトハウスの皆さん、今度新バージョンを出すときは、しっかりした検索機能を付けて下さい。私はノータイムで買いますけどね。
—–
近代将棋1991年9月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。
先月号、池崎和記さんの「福島村日記」に、コンピュータによる棋譜検索ソフトについての記事が出ていた。同じ頃、将棋マガジン誌・河口俊彦さんの「対局日誌」にも、「武者野がパソコンで瞬時に好みの一局を見ることのできるソフトを作った」と紹介されていたので、いく人かのファンに「武者さんはパソコンも相当の腕前なんですね」と言われて困ってしまった。心やすい者など「それならパソコンの方が凄腕、そろそろ転職だね」と冷やかしてくる。
それくらいコンピュータのプログラム(ソフト)を開発するのは熟練と根気を要する大変な作業であって、もちろんかの棋譜検索ソフトは私の作ではない。大手出版社のプログラマー。山田剛一郎さんの作という、池崎さんの記述が正確なのである。
実は数年前からコンピュータに棋譜を入力し保存するという方法は、いく人かの若手棋士によって試みられており、島七段がこれの代表選手で、竜王奪取時には「コンピュータで将棋を研究している現代青年」と盛んに紹介されたので、ご記憶の方も多いだろう。
今でもそうだが、中高年層にはコンピュータへの嫌悪感と、その裏返しの恐怖感があるのは厳然とした事実であって、コンピュータを万能の神のように思い込み、「コンピュータに将棋を教えると、やがて将棋を極め尽くしてしまい、将棋はゲームとしての価値がなくなってしまうのではないか」と心配する高名な棋士もいる。またコンピュータの末発達な現状を知った反動から「コンピュータを友として、将棋を研究したって強くならない」と言い切る棋士もいるのが事実だ。
島七段もそうなのだが、現状のプロ棋士によるコンピュータ活用法は、コンパクトで便利な棋譜のファイルとして用いているのである。
研究家として知られた故・山田道美が、プロ棋戦の参考棋譜を手に入れるためには、連盟に来て手書きで写さねばならなかったそうである。私が奨励会に入った頃には、青焼きのコピー機が備えられていたが、取り扱いが大変で、紙が変色するため長期の保存には向かなかった。現在連盟にはどこにでもある白色のコピー機が備え付けられており、私はこれを戦型別や個人別に分けてファイルしていたのだが、年間2500局の棋譜は膨大で、やがて本棚がいっぱいになってしまった。そんな折、ワープロとゲームのみに使っていたコンピュータが、棋譜ファイルにも使えることを知って早速導入することなったのが、山田さん製作の棋譜データベースなのである。
従来から棋譜をファイルするソフトは市販されていたが、将棋の相手をするソフトについているおまけの機能であった。市販の場合はこれが当然で、ファイルするためだけのソフトなんて、現状では採算ベースに乗るわけがない。そのため1枚のディスクに収納できる棋譜は200局(これでも大変コンパクトだが)と限られてしまうのが不満だったが、山田さん製作のそれは1枚に2000局!も収納できるのだ。13センチ四方、厚さ2ミリ程度のディスクにである。
山田さんは、このソフトをたまった新聞切り抜きを整理するために作ったのだそうだが、それだけに対局者別、棋戦別、戦型別、年度別など多くの検索条件が付いているのが、プロ棋士用の棋譜ファイルとしては絶好なのだ。
(中略)
コンピュータの長所は教えればほとんどのことができること。反対に短所は教えないと何もできないということだ。同様この棋譜データベースの唯一の弱点は棋譜入力に膨大な手間が掛かることで、月間200局も生産されるプロ棋戦の棋譜を教えこまない限りは、何の役にも立たないのだ。
その必要から生じた私達の工夫は、棋譜を分担入力するネットワークを作ることで、言い出しっぺは池崎さんの文中にもあった淡路八段、宮田六段と私。一人でやると大変な棋譜入力も、分担してやると案外簡単なもので、今年3月に始まった棋譜データベースの会の会員も、あっという間に20数人を数えるに至った。棋譜著作権の関係で、棋士と記者だけにしか棋譜データのディスクを配ることはできないが、かなり多くの棋士が会に参加していることがお分かり頂けよう。棋士はコンピュータの長所だけを活用する術を知っているのだ。
—–
日本将棋連盟での棋譜のIT化の始まりは、1980年代中盤に導入された光ディスク装置によるものだった。
当時の光ディスク装置は、静止画像を数千枚保存できるというもので、簡単なインデックスでの検索機能があった。
棋譜の記録用紙をスキャナーで読み取り光ディスク装置に記録し、対局者名、棋戦名、日付などで検索できるというようなイメージ。
当時としては先進的な取り組みだったと言える。
—–
そして、1990年代から始動したのが、ここで書かれている「棋譜データベースの会」。
開発された棋譜検索ソフトは「棋泉」と名付けられた。
当時のNEC PC-98シリーズのMS-DOS環境で稼働した。
後年、日本将棋連盟が棋士や関係者向けに行う棋譜検索システムでは「柿木将棋」がクライアント側のソフトとなっているが、「棋泉」は有志の開発者に引き継がれWindows版のフリーソフトとなった。
ちなみに、私も10年ほど前から「棋泉」を利用させていただいている。XPからWindows8.1にした時には棋泉は使えなくなるかなと心配したのだが、調べてみると最新版が昨年リリースされていたようで、本当に有難かった。
現在では、棋泉をはじめ、様々な棋譜管理フリーソフトが公開されている。
—–
「棋士はコンピュータの長所だけを活用する術を知っているのだ」という言葉が心強い。