桐谷広人四段(当時)「神経スイジャクをしましょう」

将棋マガジン1990年5月号、奥山紅樹さんの「棋界人物捕物帖 小野修一七段の巻」より。

 素晴らしい記憶力の持ち主である。15年前、この人が三段のころ。東京阿佐ヶ谷の石田和雄プロ宅に4人の娘さんと5人の将棋指しがトランプ・コンペをした。

 石田・滝・菊池・桐谷・小野とピチギャル4人で、せまい部屋が若さにむせ返った。

「神経スイジャクをしましょう」

 と桐谷プロが提案し、2種類のトランプをまぜて裏返し。連8枚を一気に取る趣向である。

 さすがに提唱者の桐谷プロは強かったが、私がアゼンとしたのは小野少年の頭のサエ。ひとたび開いた札をことごとく覚えている。最後の追い込みで連続4回の8枚取りを決行して一同をアッといわせた。

「ンまあ……」

 美しい娘さんが酔ったような目で、小野三段の鉢の開いた頭を見つめていた。

 あとでその娘さんから私に電話があった。

「あの人たち、将棋をしてるってことは分かりましたが、本当のトコロ、日中はなにをしてるんですか?」

 日中は将棋を指してるんです、と説明したが「あら、あんなにすばらしいアタマしていて、どうして将棋なんかするの?」

 返事のことばをうしない、ただただあせってしまったことがある。

 棋士という職業が、さほどよく知られていなかったころの話だ(いまでもそれほど理解されているとは思えないが)。

(以下略)

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このトランプ合コンが行われたのが1975年のこと。

石田和雄六段28歳、滝誠一郎五段27歳、菊池常夫四段26歳、桐谷広人四段26歳、小野修一三段17歳の5人の陣容。

菊池四段と桐谷四段はこの年の新四段。

さくらと一郎「昭和枯れすゝき」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、岩崎宏美「ロマンス」、山口百恵「冬の色」、野口五郎「私鉄沿線」、風「22才の別れ」、バンバン「『いちご白書』をもう一度」、小坂恭子「想い出まくら」などが流行っていた頃。

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普通の神経衰弱は、好きな2枚をその場で表に向けて2枚が同じ数字であればそれらを得ることができるというものだが、この時は8枚同じ数字でなければいけない鬼のようなルール。

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「あら、あんなにすばらしいアタマしていて、どうして将棋なんかするの?」

昨日の郷田真隆五段(当時)への女性読者からの投稿とは全く位相が異なる、ある意味ではこの頃は若手棋士にとっての暗黒時代だったと言えるかもしれない。

将棋を全く知らない人たちに「プロ棋士という職業がある」と広く理解されるようになったのは、1996年の羽生七冠誕生以降のことになる。

27年前の悲劇