将棋世界1991年12月号、奥山紅樹さんの第22回新人王戦決勝第1局〔森下卓六段-森内俊之五段〕観戦記「深い渕」より。
森下卓、森内俊之。ふたりの対決で終わる今期の新人王戦を、
「深い森におけるアンダーとインナーの争い」
と言った人がいる。
なるほど両者は森に在って「下」と「内」に分かれて住む。これだけなら、たんに姓の語呂あそびだが、
「深い」
という形容がつくと、はたとひざを打ちたくなるようなリアリティー(現実感)が出る。
ふたりともヨミが深い。ふところが深い。駒と駒の連携が深い。危険な局面で容易にくずれない。じっと持ちこたえたまま、じりじりと前進する棋風だ。
だが、両者の「深さ」にはちがいがある。森下のそれは受容の深さとでも言おうか。敵の指し手をことごとく受け入れて、大波小波のヨミに包んでしまう。森下将棋には、相手のねらいをいなし、かわし、ゆさぶりを巻き返す、海洋の深さと力強さがある。
対して森内―。
こちらは対面の指し手を引きつけ、たぐり込む渕のようだ。敵の一手のミスにしがみつき、ぐいぐいと水底に引きずり込む。森内将棋には、アオミドロの浮く秒ヨミの深渕で、しだいしだいに相手の尻子玉を抜いていく河童の不気味さとパワーがある。
オーシャン森下。かっぱ流森内。ふたりがたたかうのであるから、深夜の、秒ヨミの、組んずほぐれつの、充血の目と熱い吐息の勝負になるのだろう……。
観戦記者は覚悟を決めて盤側にすわった。
(中略)
二番線の無念に耐えてきた森下にくらべ、森内俊之の青春には、「優勝」の華やかなバッジがきらきらと光っている。
第18回新人王戦、第7・8回早指し新鋭戦、第3回IBM杯戦、全日本プロトーナメント戦……棋士となって4年間に5度の優勝は、そのまま森内プロの才能と同時に勝負強さの証明である。
「しぶとい将棋なんだ。少しでもアヤが残っていると食いついてくる。振りほどくのが大変なんだ……研究会で指して(そのことを)よく知っているから」
森内新人王との記念対局のあと、中原名人が微笑しながら言ったのは4年前のことであった。
(以下略)
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河童は、水辺を通りかかった人や泳いでいる人を水中に引き込み、溺れさせたり尻子玉を抜いて殺すなどの悪事をはたらいたと伝えられている。尻子玉とは人間の肛門内にあると想像された架空の臓器。伝承によっては肝臓と解釈されていることもあるようだ。
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1987年に中原誠名人が語った森内俊之四段(当時)の棋風に対する感想は、まさに河童に水中に引きずり込まれた時のような感じということなのだろう。
それにしても、”アオミドロの浮く深渕”とは、とても不気味な表現だ。
泳げない私などは、河童がいなくても死んでしまいそうな場所だと思う。
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アオミドロは藻類で、浅くて栄養豊富な場所であれば、たくさん繁殖して緑色のカーペット状になることもあるほど。触るとぬるぬると滑る感触があるという。多量に発生すると、底の方の藻体から死んで汚泥状となり、水はかなり汚れてしまう。
なによりも、全く美味しくない藻類らしいので、ほとんどの水中生物はアオミドロを食べようともしない。
水槽で熱帯魚を飼っている方にとってもアオミドロは悩みのタネで、駆除にはいろいろと苦労をされているようだ。
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それにしても、かっぱ流。
強さの特徴を見事に言い表したユニークなネーミングだが、森内五段(当時)はあまり嬉しくなかったろうなあ。