将棋世界1995年1月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
本欄では、新鋭をすこしでも多く紹介したいとの狙いもある。で、豊川四段対近藤三段戦(新人王戦)。
近藤三段は原田門下らしく、礼儀正しく快活だ。成績もだいたいよく、2、3年前に、三段リーグ戦で昇段確実になったこともある。あのチャンスを生かしていれば、今頃は王位戦リーグとか、全日本プロトーナメントとかで大活躍していたかもしれない。そのくらいの素質の持ち主である。ただ難をいえば、碁が勉強している割に強くならないなあ。
この日も力を出し、中終盤にかけて必勝になっていた。ところが寄せをグズり、15図から二手目を豊川君に指されたとたん、絶望的なまなざしになった。
15図以下の指し手
▲3九同銀△同飛成
穴熊特有の手筋があらわれる場面で、近藤君の読みは、▲3九同銀と取り、△同銀成▲同金△同飛成で、金銀香を持てばなんとかなるというわけ。
それが△3九飛成と取られた。見てなかったが、恐らく、このヘボめ!という手つきだっただろう。その声なき声がこたえる。
△3九同飛成を▲同金と取っても、△同銀不成で、近藤君の持ち駒は飛金香で、銀がないから、後手玉に手がつかない。術語で言う、王手なし(有効な王手との意)の形になる。
ここで勝負がついた。局後、私が「飛車で取られるのをうっかりしたか」と言ったら「そうなんですよ」と近藤君が泣きを入れた。ここまでは感想戦の儀式みたいなもの。それで済むところなのに、豊川君からきつい一言が出た。
「いや、△同銀成でも私が勝ちですよ」
変に慰めないのが、豊川君らしく、さっぱりしている。先崎君もずっと感想戦を見ていたが、流石の彼も一言も口をさしはさまなかった。
(以下略)
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”ファイター豊川”と呼ばれる豊川孝弘七段の四段時代の闘志溢れるエピソード。
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宝くじで惜しくも3番違いで1等賞を逃してしまった場合、慰められても全く嬉しくないだろう。「よく見ろよ、3番違いどころか組も違っているよ」と追い打ちをかけられたほうが、かえって気が休まるかもしれない。
一方、大好きだった女性に振られた時に、「彼女は初めからあなたのことには興味なかったみたい」と大好きだった女性の親友に追い打ちをかけられた場合、ショックはさらに大きくなるかもしれない。
慰められても迷惑なケース、迷惑ではないケース、いろいろあるが、将棋の場合はどっちだろう。