羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想

近代将棋2004年10月号、中野隆義さんの第45期王位戦〔羽生善治王座-谷川浩司王位〕第3局観戦記「臨機応変、現場主義」より。

 △3四歩(5図)が、谷川期待の反撃だ。▲同歩なら△4六角と飛び出して先手には角成を受ける形がなく、これはほとんどそれまでとなる。

羽生谷川2004王位戦第3局1

 羽生は▲4八金と応援を繰り出した。真っ直ぐ立ったのが不可思議な点で、並みの感覚なれば王様に近づける意味で▲5八金と上がりそうなところである。なぜ、あえて▲4八金なのか、いまだによく分からないのだが、この手が後に重大な意味を持ってくるのである。

 次に▲4七金と上がる形を与えては先手陣が万全となり、後手はさばきの糸口を失ってしまう。

 △3五歩▲同銀と引っ張り込んで△3四歩は、この一手の勝負手だそこで▲8六角(6図)とのぞいて銀に当てたのが羽生の勝負手。

羽生谷川2004王位戦第3局2

 互いに切り札を出し合い、局面は勝負所に突入した。

 立会人の五十嵐豊一九段、副立会人の郷田真隆九段、中田章道六段らによる検討では、▲8六角に対して△6二銀と引く変化が掘り下げられていた。以下、▲3四銀△4六角▲3三歩△3七歩▲同桂△3四飛▲3二歩成△同飛(参考図)が有力な一変化だ。

羽生谷川2004王位戦第3局7

この後、▲4七金△1三角▲3三歩△同飛▲4二角成と激しい戦いは続くが、後手にとって3二の金がきれいにさばけているのが大きな魅力である。

 谷川が、次の手に23分の熟慮をはらっていることから、当然、参考図の変化を読み、本譜との比較をしていたはずだ。その結果、△3五角を選んだのには、一つにはこれで指せると見ていたことと、もう一つ、△6二銀と引く形に感触の悪さを感じていたからではないかと思われる。

(中略)

 本譜▲8六角に△3五角と銀を取れば、▲同飛から▲5三角成は一本道だ。ここで△2八飛(7図)と先手陣深く打ち下ろし、まずまずの形勢ではないかと谷川は考えていた。

羽生谷川2004王位戦第3局3

 控え室でも、△2八飛には金取りと桂取りとを同時に防いで▲3八銀と受ける一手で、それには△3四飛とじっと回っておくのが味な手となり、後手が十分やれそうだと見られていた。

 ところが、羽生は△2八飛を見据えること49分。控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい手をひねり出したのだった。

 4八の金取りを放っておいて▲6二銀(8図)が着手された瞬間は、思わず我が目を疑った。

羽生谷川2004王位戦第3局4

 一歩先を読んでみれば、△4八飛成には▲6一銀成で先手勝ちと分かるのだが、大事な金が当たりになっているという事実が目の前に突き付けられている状態では浮かばない手だ。

 谷川も意表を突かれたか21分の長考となった。20数分という時間は、一流棋士が現局面から考えられる主要変化をあらかた読み抜くに十分な長さである。もしかすると、羽生の長考中に谷川も▲6二銀の筋を発見して対策に頭を悩ませていたかもしれない。だとすると▲6二銀が着手される以前にことの重大さを悟り、内心ほぞをかむ思いであったのではないだろうか。  

 △6二同金▲同馬△7一銀に▲同馬と切ってしまうのが、先手を取る意味で当然ながら好手なのだが、これとても要所にいる馬を自ら盤上からなくしてしまうのだから相当に組み立てにくい手だ。羽生はどうしてこういう類の手をよく思いつくのだろうか。 

 先手で金を入手して▲3九金(9図)と飛をしかりつけたのが秀逸な着想である。△2五飛成なら▲4七角の竜飛両取りがかかる。

羽生谷川2004王位戦第3局5

 △2六飛といやいやをする手に▲3七金が痛烈な追い打ちだ。この手があるのは、4九の金を5八ではなく4八に立ったお陰である。さすがに、こんなところまで読んでいたとは思われないが、良いかどうか分からない手を吉と出してみせた羽生の駒運びは大したものだと思う。

 やむない△2五竜に狙いの▲4七角(10図)が実現した。玉が露出した後手陣は飛に弱い。その飛が手に入ることが確実となり、同時に、形勢もここに定まったのであった。将棋とは恐ろしい。まだまだ大変と思われていた局面から数手進んだだけで形勢の針が一気に傾いてしまったのだから。

羽生谷川2004王位戦第3局6

(以下略)

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8図での△6二銀は、いかにももっさりとした感じの手だが、敵陣を薄くした上での竜飛両取りという恐ろしい狙いを持っていた。

もし仮に、5図からの▲4八金と立った段階でここまで想定していたとしたら、ほとんど神の領域に近いと言えるだろう。

ここまで読んでいなかったとしても、中野さんが書かれている通り、▲4八金を吉と出す構想が凄い。

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この時の王位戦の挑戦者が羽生王座。なぜ羽生王座という表記なのかと不思議に思って調べてみると、この瞬間、羽生四冠は王座だけの一冠の時期だったのだ。

森内俊之三冠(竜王・名人・王将)、谷川浩司二冠(王位・棋王)、佐藤康光棋聖、羽生善治王座、の頃。

この年の6月に名人位を奪われ、9月に王位に復冠するまでの3ヵ月間が 一冠。

そういった意味では、非常に珍しい時期の将棋だったことになる。