「そうか、みんな羽生の将棋以外は……」

将棋世界1995年1月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 プロ将棋は因縁を引きずっているところが興味深い。木村対升田、升田対大山、中原対米長といった対決は、エピソードがからんでいるからおもしろい。

 ところが、谷川対羽生、羽生対佐藤(康)になると、とたんに盤外の話題がすくなくなる。これは棋士になってからの年数が短いからやむをえない。

 そんななかで、米長前名人対島八段戦は因縁がいろいろある。見方によっては現在いちばんおもしろい対決といえるだろう。数年前、この二人が竜王戦で戦ったときの有様など、書きだしたらきりがない。

 それはさておくとして、米長前名人は50歳を超えてなお名人奪回を目指しているのに対し、島八段は、羽生、佐藤(康)、森内の兄貴分として、先輩達に強烈な対抗心を燃やしている。

 島君の文章はセンスがよく、論理もしっかりしていて、いつも感心させられる。

 たとえば、羽生将棋を解説するとき、名は出なくとも、羽生と並べて、中原と米長の将棋があるように読み取れる。米長前名人も、小しゃくな、と感じているのではなかろうか。そんなそぶりは絶対に見せないけれど。

 そのうえ、星が全勝と1敗である。島の1敗は中原に負けたもの。だからいっそう米長には負けられない。そんな事情は、森内と対した田中君と似ている。

 対局は妙な具合に始まった。同じ日に竜王戦第3局があったが、それと同じなのである。米長、佐藤(康)対島、羽生のタッグマッチと見るのはうがちすぎか。

 米長対島戦の方が先に進み、中盤の戦いの途中、千日手になった。4時から指し直しで、決着は深夜になるだろう。

(中略)

 さて、本題の米長対島戦である。

 夜戦に入り、控え室には田中(寅)八段がいて、「プロはどうしちゃったんだ」、ブツブツ言っている。研究相手がいないのだ。この好取組を棋士がなぜ見に来ないのか、の意味合いもあろう。

 「夕方までは、プロが約二名(森内・丸山)いたけどね。竜王戦が終わったら帰ってしまった」

 「そうか、みんな羽生の将棋以外は用なしというわけか」

 10図は、午後10時ごろの局面。ここに至るまでいろいろあったが、突如大決戦になったのが10図である。田中八段の口ぶりだと、島の模様がよく、もうすこしゆっくりした指し方があったようだが、決戦をさけなかったのは、自信があるからだと言う。

対日誌1995011

(中略)

 ▲3三歩成が手筋で、飛車を切り、島が銀得となった。しかし、△2八飛成と成り込んだのも大きく、島有利と言えないのではなかろうか。

 「島君はいいと思っているね」と田中君が呟くと、対局を終えてここに来ていた中村八段が「いや、島さんは、わるいと思っていました、と言いますよ」と笑った。これはドンピシャリ、局後島八段は同じとこを言った。そして田中君の見方も、また当たっていた。つまり、よいと思っていて、口ではわるいと思っていた、と言ったのである。

(中略)

 さっき、すこし書いたが、竜王戦で米長と島が対戦した際、島は対局日ごとに新調の服であらわれた。米長も、はじめはなんとも思わなかったろうが、一日ごとに服を変えられては、おもしろくない。第2局、第3局とそれがつづくと、ついに米長は我慢がならなくなった。それならと、北陸だかでの対局のとき、島と同じ、アルマーニかなにかの背広を作って持っていった。しかし、対局当日、どうしても背広を着れず、和服で臨んだそうである。

 何事であれ、負けるもんか、を通すのが米長の生き方で、こうした誰にも知られない内なるエピソードの積み重ねが、米長将棋の魅力となっているのである。

(以下略)

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感想戦でのそれぞれの棋士の口ぐせ・決まり文句集というのがあれば絶対に面白いと思う。

島朗八段(当時)がどのような局面でも「悪いと思っていました」

中原誠十六世名人なら逆にあらゆる局面で「ここではこっちが指せていたと思うんだけど」

阿部隆八段であれば負けた時「このクサった銀を相手にするのがしゃくなんや。必勝とわかっていても指せん」のような雰囲気。

石田和雄九段のボヤキの数々。

この分野はきっと奥が深いに違いない。

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この対局が行われたのは1994年11月9日(水)。気象庁のデータによると天気は快晴で平均気温は13.5度。

この頃の大きなニュースといえば、日本時間前日の、米中間選挙で共和党が40年ぶりに上下両院で過半数を獲得、というものだけで、特に何か出来事があった日ではないので、控え室に来る棋士が少なかったのも、森内俊之七段(当時)と丸山忠久五段(当時)が早く帰宅したのも、たまたまのことだったのかもしれない。