「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」

将棋世界1991年11月号、田丸昇八段(当時)の第39期王座戦〔福崎文吾八段-谷川浩司王座〕第3局観戦記『ブンゴの「時代」は来るか?』より。

 谷川浩司王座の足跡と人となりは、これまで多くの人に語られてきた。

 一方の挑戦者の福崎文吾八段については、あまり知られていないようだ。だが本誌でポツンポツンと記事になっている。それらを拾い集めて、実相を探ってみよう。

 福崎八段が四段に昇段したのは昭和53年秋。棋士になっての最初の公の将棋は、プロ公式戦ではなかった。本誌が初めて企画したプロアマ平手戦だった。相手は福井の強豪の田中保氏。

 『今まで奨励会で、自己の人生を賭けるほどの対局をし、また”悲壮感”につつまれてきた私にとって、本局は大変楽しい一戦であり温泉に行くような気持ちでした』(昭和54年2月号・プロアマ平手戦自戦記)

 前半の文章は、きびしく暗かった奨励会時代を重い語り口で吐露している。だが後半は、一転して明るい。プロアマ戦にありがちな勝たねばならぬの責務感がまるでない。事実このデビュー戦は、不出来な内容で福崎が完敗した。

 『私もこの一局を糧として”ガンバロウ”と思います』(同)

 福崎新四段の門出は、プロアマ平手戦の敗北で始まった。だが自戦記の最後に結んだ”ガンバロウ”は、公式戦の戦績にそのまま反映された。得意とする振り飛車穴熊で、先輩棋士をバッタバッタとなぎ倒した。福崎強しの声は東京にも届き、若手の注目株となった。

 『どうして振り飛車党かというと、最初に見た本が将棋世界で、名人戦の大山-中原戦がのっていた。中原先生が振り飛車で勝って、名人になった将棋です。よっしゃ、これで行こうと決めたんです。今は全体の30%が穴熊です。奨励会時代にはもっと多くやってました。対局中に瞑想するのは、心を落ちつかせるためです。手のことは読んでいません』(昭和55年4月号・木屋太二インタビュー)

 福崎は木屋太二氏のインタビューに対して、個人的な趣味のことも答えている。それによると、愛読書は吉川英治の「宮本武蔵」と、飛行機を題材にした坂井三郎の「大空のサムライ」とある。音楽はNHKの大河ドラマのテーマ音楽のような壮大なものが好きという。最後に尊敬する棋士は誰との問いに、きっぱりと「阪田三吉」と答えた。

 ちなみに福崎は田中魁秀八段門下で、阪田三吉の流れをくむ藤内一門(内藤國雄九段、谷川王座ら)ではない。

 福崎はとんとん拍子に昇級を重ね、昭和57年にB1七段になった。そして私生活では、女流棋士だった兼田睦美さんを射止めた。

 昭和58年8月2日、北海道の聖アンジェラス・ニセコ教会で、新婦の師匠である五十嵐豊一九段夫妻の媒酌により挙式した。当時、三組目の棋士のカップルの誕生であった。

 『神吉新四段のパーティーで、福崎夫妻にマイクが向けられた。新妻の睦美さん、質問に答えて「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」とのろける。子供は「一人でいい」と。ところが文吾七段は「三人でーす」と別の答え』(昭和58年11月号・田辺忠幸”浪速だより”)

 新婚夫妻の熱い雰囲気がそのまま伝わってくるレポートである。福崎はこれからしばらく、ことあるごとに「女流棋士はええでェ……」と仲間に吹聴した。

 結婚して3年後の昭和61年、タイトル戦に初登場した。相手は米長邦雄十段。福崎はこの超大物に対して、4勝2敗で見事に十段位を奪取した。タイトル戦初挑戦での快挙である。

 『ホッとしました。勝因は無心で戦えたことです。負かされても仕方のない相手ですから』(昭和62年2月号・十段位獲得直後の本誌インタビュー)

 この当時は、谷川棋王、高橋道雄王位、中村修王将、福崎十段らの20代棋士がタイトルを持っていた。本誌編集部は、新時代到来を予感させる若きタイトル保持者を集めて、座談会を行った。その中の谷川と福崎のやりとりを紹介しよう。

 『福崎さんが結婚された時はずい分挑発されました。まだですかって(谷川)。

  将棋では負けるけど、そちらでは勝ちました。結婚して生活全般が安定して、おだやかになりました(福崎)』(昭和62年3月号・若手タイトル保持者座談会)

 福崎は続いて、自分達の評価を率直に語った。

 『現在、」若手がタイトルをいくつか持っています。こういう状態が5年とか続けば本物でしょうが……』(同)

 福崎は実績のあるトップ棋士の奥深い実力を認めていた。そして、若手タイトル保持者の実力がまだ不安定であることを……。それを暗示するかのように、福崎に冬の時代が来る。

 福崎は十段位を獲得してまもなく。B1順位戦で不運にも降級の憂き目にあった。十段戦の防衛戦でも、挑戦者の高橋棋王に4-0のストレート負けを喫した。このシリーズでは、得意の穴熊をなぜか一局も採用しなかった。「第4局の矢倉には、少し意地がありました」と、局後にポツリと語ったという。

 それ以降の将棋界は、かつての若手達に代わって、島朗七段、羽生善治棋王、屋敷伸之六段、森下卓六段らの10代、20代前半のヤングパワーがタイトル戦の常連になり、実力分布図を塗り替えた。

 今年で32歳になる福崎は、元十段の中堅にしかすぎなくなった。そんな状況での今回の久方ぶりのタイトル戦登場である。スター街道を突っ走り、そしてある日、道からそれて泣きを見た棋士が晴れ舞台でどう戦うか。大いに注目しよう。

(以下略)

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これほど簡潔かつ十分にまとめられた文章があるだろうか。

田丸昇八段(当時)の筆致が冴え渡る。

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この期の王座戦五番勝負では、福崎文吾八段(当時)が谷川浩司王座(当時)に3勝2敗で勝って、王座を奪取することになる。

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福崎文吾八段と谷川浩司王座は、奨励会の頃からのライバルだったこともあるからか、対局前夜に同じ店のカラオケで歌うこともあった。

将棋世界同じ号の東和男六段(当時)の第2局観戦記「魅力溢れる福崎穴熊」では、

 前夜祭を終えての二次会。谷川と福崎は、カラオケで二曲ずつ歌ったそうだ。

 打ち上げ後の席ならともかく、戦う前の両対局者がマイクで競演するなんてことは珍しい。

 福崎の選曲は、松任谷由実のヒット曲と美空ひばりの「川の流れのように」。

 二次会の話だけでも興味深かったが、さらに意外だったのが、ひばりの歌を選んだこと。

 知らず知らず歩いて来た……、と始まるこの歌はひとつの生きざまを示した曲。

 ただ単に歌いやすかっただけかもしれないのだが、ひょっとしたら福崎の心境と歌詞にダブるところがあったのかもしれない、などと勝手に想像してみた。

と書かれている。

第3局の田丸八段の観戦記では、

 だが表向きだけは、二人に特別な変化は感じられない。前夜は一緒にカラオケに興じた。谷川はKANの「愛は勝つ」。O型人間が好みそうな正調のラブソングである。一方の福崎は、女心を暗く歌った中島みゆきの「時代」。対照的な唄の選曲は、明日の盤上の指し手にどう影響するであろうか。

福崎九段は、女性歌手の曲がレパートリーなのだろう。

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東六段の観戦記では、”松任谷由実のヒット曲”とだけ書かれていて具体的な曲名が書かれていない。

美空ひばりの「川の流れのように」の方をフォーカスするためにそのような表現になったとも考えられるが、二次会の様子を東六段に伝えた人が松任谷由実さんのヒット曲の曲名を知らなかったという可能性も高いと思う。

どちらだったのか興味深いところだ。