将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞を受賞された北野新太さんは、報知新聞社編集局文化社会部の記者。
北野さんが月に一度記事を書いている「いささか私的すぎる取材後記」のプロフィール欄には次のように記されている。
1980年石川県生まれ。学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は日韓W杯—常総学院—柏レイソル—事件—映画—音楽—アテネ五輪—政治―事件—読売巨人軍—NHK—事件とムチャクチャ。現在は事件、政治、話題、人物、書評、将棋を担当。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」。
「いささか私的すぎる取材後記」は「みんなのミシマガジン」の中のコンテンツで、以前は「実録!ブンヤ日誌」というタイトルだった。
北野さんが「実録!ブンヤ日誌」で最初に将棋に関することを書いた記事が、2010年4月の「第6回 羽生善治流カレーライスの食べ方」。
北野さんが将棋も担当するようになったのが2010年4月のことで、4月に将棋会館で行われた将棋大賞表彰式・祝賀会での出来事を書いたもの。
立食パーティーで羽生善治二冠(当時)が、スプーンも用意されているのにもかかわらずカレーライスを箸で食べていたことに、北野さんが驚き、感動した話だ。
その次の将棋に関する記事が、2010年7月28日の日レスインビテーションカップ〔林葉直子さん-中倉彰子女流初段戦〕前夜の、林葉直子さんへのインタビュー。
その後、1年ほど将棋以外の記事が続き(むしろこれが普通のペースと言えるだろう)、2011年10月以降、将棋関連の記事の頻度が高まってくる。
(この記事の文末に2011年10月以降の記事のリンクがあります)
—–
北野さんは、中学時代、沢木耕太郎さんの本と出会い、「書く」という仕事に憧れはじめた。
そして、大学時代、出版社でアルバイトをしていた北野さんは、沢木耕太郎さんと実際に出会い、人生の上での大きな影響を受けることになる。
—–
北野さんは、「第49回 背番号8と自分」で次のように書いている。
新聞記者が新聞記者であることの理由について考えてみる。会社員としては他社に先駆けてスクープを放ち、良質な報道をしていくことなのだろう。でも、一個人としては少し違う。あのように、何でもないけど大切な時間を迎えるために、僕は新聞記者で在り続けているのかもしれないとも思う。
”あのように、何でもないけど大切な時間”がどのような時間かは、「第49回 背番号8と自分」を読むと、とてもよく理解できる。
北野さんの文章の魅力の原点は、このようなところから来ているのだと思う。
—–
(2011年10月以降の「実録!ブンヤ日誌」での将棋関連記事)
→第56回 夢、遠くても(上村亘四段、石田直裕四段、渡辺大夢四段)
(2013年4月からの「いささか私的すぎる取材後記」での将棋関連記事)
第15回 死闘の果て 群青の海(羽生善治王座、中村太地六段)
第16回 after the fight 戦いの後で(中村太地六段)
第18回 闘志について語るときに羽生の語ること(羽生善治三冠)
第20回 羽生について語るときに渡辺の語ること(渡辺明二冠)
第21回 闘志について語るときに渡辺の語ること(渡辺明二冠)
第25回 羽生について語るときに森内の語ること(森内俊之竜王・名人)