真部一男八段(当時)の家に遊びに行った森内俊之八段(当時)、郷田真隆八段(当時)

将棋世界1995年4月号付録「全棋士出題詰将棋+私の近況」より、真部一男八段(当時)

詰将棋真部

〔ヒント〕

玉を攻め駒に引き寄せる。

〔解答と近況〕

(解答は略)

 仲間を集めてクイズ大会を時々拙宅で催しております。弱い者同士でやっていると、これが中々楽しいものです。

 そこに森内八段が登場しました。

 彼はクイズ研究会に所属しているそうで、強いの何のって皆コテンパンにやられてしまいました。それでも森内君によれば、彼の実力はアマチュア初段だそうです。ということは我々は10級ということになってしまう。どの世界も奥が深いものです。

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故・真部一男九段の家はどのような雰囲気だったのだろう。

湯川博士さんの2005年の著書『振り飛車党列伝』の「なんでもござれの振り飛車党 真部一男八段」より。

 桜の季節が始まった。訪問した日は都内でも、ちらほらと桜がほころびかけていた。

 真部さん宅は、明治神宮・代々木公園を見渡す参宮橋駅近くのマンション。周りには樹木が多く、いい環境である。私も昔伺った記憶があるがそのとき酔っていたので詳細は定かでない。

 お宅へ着いてからその話をすると、

 「いやあ。ぼくも酔うと覚えていないので……」

 同族のような気がして嬉しかった。

 もうひとつ似ているついでに言うと、喰いつきやすく飽きやすいところだろうか。

 部屋には自転車型の健康器具があったが、今は使っていない。かつて仏像彫刻、英会話を始めたが、その後続いている気配はない。

 「仏像はそれでも何ヵ月か続いて、一体は彫り上げたんです。英会話は、100回分の授業料を払い込んで、5、6回でやめちゃった」

 もったいなあと思うが、おしゃべり相手の外国人が引っ越したので、気が削がれたらしい。

 「やる前に、道具を揃えちゃう癖があってね…」

 私が、なんでも手を出すがものにならないところは似ているね、と言ったら。

 「でもね、ひとつだけ。碁は続いている」

 彼の碁は棋士仲間ではトップ級だと聞く。

(中略)

 真部宅のリビングで研究用の盤駒で並べながらの解説だが、部屋の中はキチンとして掃除も行き届いている。誰か掃除を頼んでいるのかと思って聞くと、全部自分でやるという。

 首の持病で動きが不自由なはずだが、取材中にもお茶を入れ替えたり、意外にまめである。

(中略)

 解説を終わってビールを1杯。氷やウイスキーも出して下さったが、その動作が慣れている。

 「僕は、対局日以外は外へ出ない。この部屋が自分の世界なんですよ」

 それで接客に慣れている。

 この日は真部流の棋譜を楽しませてもらい、その上お酒も楽しくいただいた。

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郷田真隆九段の2000年の著書「実戦の振り飛車破り」より。

 真部八段にはときどきお宅に呼んでいただくことがある。非常に博識で、飲みながら話をしているととても楽しい。おおらかで大胆な部分と、理論的な部分とを併せ持たれている感じがする。

 真部八段の将棋は基本的には筋の良い棋風なのだが、ときおり非常にごつい手も指してくるタイプである。型にはまらずに独創的なところがあって、常に”自分の将棋”を指している棋士だ。

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首の持病のために対局日以外はほとんど外出をすることのなかった故・真部一男九段。

だからこそ、自宅へ棋士や知人を招いて、ゲームに興じたり酒を飲んだりすることが多かった。

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自宅でのクイズ大会というと、なかなかその様子を想像することは難しいが、真部八段(当時)の話術などで相当面白いものだったのだろう。

森内俊之八段(当時)がテレビ朝日系「パネルクイズ アタック25」に自力で出演するのは、この付録が出た直後の1995年4月23日のこと。

「私、森内の妹です」

森内八段が最もクイズに燃えていた頃かもしれない。

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真部八段の詰将棋、馬の働きが稀代の悪女のようで面白い。