先崎学五段(当時)「夜の自己紹介」

将棋世界1992年4月号、先崎学五段(当時)の『先チャンにおまかせ「忍法、夜の自己紹介」』より。

 去年、NHK杯戦で優勝したころから、急に、家や将棋連盟に手紙が届くことが多くなった。見知らぬ将棋ファンの方からのほとんどは、好意的で、温かみがある、いわゆるファン・レターというやつで、このような手紙を貰うことが一つの楽しみでもあるのだが、大変なものもある。

 曰く「私、十年来の将棋ファンであります。非常に熱心な将棋ファンだと自覚しています。しかし、先崎先生の最近の言動、文章などを見ますにつれ、残念でなりません。将棋は日本独特の伝統文化であり・・・(以下略)」

 曰く「やったぜ、先チャン。僕は、ついに将棋必勝法を発見した!将棋の急所は5筋にある。5筋は人間でいえば背骨にあたり、5筋を制圧することこそ、必勝法なり。十年の研究の成果、まずはごらん下さい。これで先チャン、名人だ!(以下レポート用紙に十数枚、すぐ計算用に使用)」

 外にも、罵詈雑言、避難、中傷のたぐいも多い。これらの手紙に共通することが、達筆で、格調高い文体で攻めてくることである。

 「貴兄は棋界には不用の人間。ここはやはり私の尊敬してやまない谷川浩司大先生の座右の銘「則天去私」の言葉通り、この世界から身を引き、引退されることが最善の道と一言忠告するところです」

 知るか、んなもん。

 「将棋とは類稀なる勝負性を併せ持つ良質の文化にほかならない」

 ほかならない、なんて論文じゃあるまいし、ネェ。

 なかでも最高傑作は、別に悪意はないんだろうが、次のようなものである。

 「黎明の蕾が花開くためには、日頃の不断の鍛錬、天賦の才が大事なことは勿論ですが、やはり、良き一生涯のパートナーが必要不可欠であることは、論じるまでもありません。そこで、やはり貴君におかれましては、幼き頃の竹馬の友であられます林葉直子女流名人と結ばれることが最善の道であると老婆心ながらアドバイスを・・・(以下略)」

 これを書いたのが65歳の男性っていうんだからね。まったく、もう。

 当然、僕はこの手紙を彼女に見せた。瞬間、「ハアー」という独特の鼻の先から抜けるような高い声が、将棋会館内中にこだましたことはいうまでもない。

 さて、様々な手紙を頂いて思うことは、全国津々浦々に、様々なファンがいるんだなあということである。また、潜在的なファンの数にも驚かされる。◯◯郡とか字☓☓なんて文字を見ると、だいたいニンマリと笑うことになる。そして、今の棋界を支えているのは、このような、地方の、決して表には出てこないファンだということを痛感させられる。

 さて、今回の訪問地は、甲賀、忍者の里。将棋界を支える底辺のファンを訪ねる旅である。

 朝、十時発の『ひかり』に乗り込む。

 普段ならばこの時間帯は異常に眠いのだが、今日はあまり眠くなく、足が軽い。ちょっぴり健康的なのは、昨日、酒席を途中で切り上げて、早めに床に就いたからである。

 発車十分前、席に座って新聞を読んでいると、車窓をトントンと叩く音が聞こえて来た。手を止めて見上げた。一瞬どこかで見たような顔だな、と思った。口を開けてちょっと驚いたような仕種をすると、いつもの笑顔とそして黒い頭髪がアップになって映った。十年来の付き合いにもかかわらず、90度の折り目正しいお辞儀をする人など森下さんの外にそういるものではない。

 森下さんは二日後に棋王戦の決勝戦を大阪でやるために移動するという。

 「いやいや、どうも。偶然ですね」

 「これはこれは先崎さん。さっき弦巻さんに声かけられましてね。いや驚きました。どうも先崎さんとは、別れても別れられない運命にあるようで―」

 「そういうことは女の子に言った方がいいでんがな」

 「アハハ、まあお元気で、僕はグリーン車なので失礼します。弦巻さんどうも、アッ大崎さん、失礼します。どうも皆さんよい旅を、それでは失礼します」

 森下さんは、いつもの通り、よく喋り、ていねいで、やっぱり早口だった。なんでも京都の友達に会いに行くという。普通ならば、スワ京美人と密会(古い言葉だなあ)かという所だが、森下さんという人は全国各県に友人がいるという人なので、あながち断定しかねる。ヨシオ氏、もし女性とデートならば、京都駅で、決定的瞬間(チト大ゲサだなあ)を撮ってやろうと意気込んでいる。

 忍者の里甲賀といっても、真田十勇士や猿飛佐助の中でしか知らない人が多いに違いないが、その例に洩れず、僕も、この旅の直前に、はじめて滋賀県にあるということを知り、そういえば賀という字が共通しているな、と思ったくらいである。おそらく、読者の中には、伊賀、甲賀なんていう地名が、今でも残っているとは知らなかった方も多いのではないだろうか。

 12時36分、予定通り電車は京都駅についた。京都から草津駅まで東海道線をバックして、そこから草津線で25分程行った所にある『貴生川』駅が今回の目的地である。

 京都駅の改札では、また森下さんと一緒になった。友達は、男だった。

 数年前、森内と四国に各駅停車の旅をした。地方の無人駅に時間調整などで電車が停まるたびに、二人で、一生この駅に来ることはないだろうと話した。たまに降りれば、二度とこの駅に降りることはあるまいと話し合った。

 貴生川駅はそんな駅だった。駅には今回の世話役でもあり、地元の「水口将友会」会長の黄瀬秀之さんが迎えに来ていた。

 駅前からは、山より見えなかった。低い山並みが、四方八方にだらだらと続いている。弦さんが、

 「うーん、忍者が練習するにはピッタリだなあ」といった。

 黄瀬さんの案内で、近くの忍者屋敷に連れていって頂くことになった。僕より屋敷君が行った方が似合うのだが、まあ仕方があるまい。

(中略)

 指導対局は、飛落ちから四枚落ちまで、定跡形あり力戦形あり、穴熊ありの楽しいものになった。

(中略)

 終了後は場所を変えての大宴会となった。種目はしゃぶしゃぶ。

(中略)

 宴たけなわのころ、全員の自己紹介が始まった。僕、こういうの大好きである。◯◯町の◯◯です。最近子供に将棋を教えようと思ったのですが、どうもサッカーの方がおもしろいようで―などと聞くと思わず顔がニヤける。

 しかし、この日は特別だった。自己紹介のあとに、一言ずつ質問をする、という。

 サア来た。いつもこれに参るんだ。

 最初の人。

 「・・・ところで、いい人いますか―?」

 日本語とは不思議なもので、いい人というのは、普通女性のことを指すらしい。男だって好人物はいっぱいいるんですけどね。そして、こういう質問には、もし、いい人がいても(自分のことではない)いない、もしくはガールフレンドなら多いんですが・・・などとかわすのが、日本の風習である。もちろんそれに従う。

 次々とクエスチョンは攻めて来る。忍術で鍛えてあるだけに急所を鋭くついてくる。

 「去年の収入は―? 申告しないものもふくめてください―」

 アンタ、税務署の人間か、と言いたかったのだが、困った。モジモジしていると、ヨシオ氏の助け舟あり。

 「五千万円!!」

 小平税務署の皆さん、コレは嘘です。

 二、三年前までは、このような席で、

 「羽生さんは名人より強いんですか、あの強さは本物なんですか」

 という質問をよく受けた。これは競馬の横山典弘騎手に「武クンは天才ですか」と訊くようなものでほとんど意味がないが、やはり一番関心があるところなのだろう。

 こういう時は、真面目に答えても仕方がないので、オーバーに答えることにしている。以下は、その一部。

 「大山名人はいつまで現役をつづけるでしょうか―?」

 「百三十歳!!」

 おじいちゃん。やっぱり大山は凄えな、と言い残した。本気にするな。

 「今回の王将戦ですが・・・」

 「ノストラダムスの予言によると、谷川が4-2で勝つそうです」

 さすがにこれは本気にされなかった。

 「◯◯☓段と△△女流の間は・・・?」

 知ったことかいな。だいたいなんでこんなこと知ってんだ。やっぱり忍者の里だけあって情報にはくわしいのか。

 「よく将棋、やっていますよ」

 「将棋だけですか」

 外に何をしているといえば満足するんだ。

 「女流で一番強いのは誰でしょうか」

 「・・・えー林葉さんは天才型で、清水さんは努力型で、中井さんはその中間で・・・、ゴホン、いや困った。いずれがあやめかかきつばた・・・」

 うーん我ながら良くできた答えだ。

 「◯◯九段は何故―(以下略)」

 コワイからカカンとこ。

 楽しい宴も終わりに近づいた。いやはや皆さんの質問のバイタリティーたるや恐るべきものがあった。困ったが、愉しかった。一番コワイことも聞かれなかったし。しかし、事件は最後におこった。

 気持良くお酒を飲んでいると、顔を真ッ赤にしたオジサンが近づいて来た。

 「いやあ、先崎くん、今日はどうも、どうも。プロの先生に教えていただいて一生の記念になりました。まあ一杯」

 「いえ、こちらこそ楽しかったです。まあそちらも一杯」

 「あっどうも。ところで、さっき、彼女いないおっしゃってましたな、どうです、幼き頃の竹馬の友の林葉・・・」

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2回くらいに分けて記事にしようかとも考えたが、最後のオチが冒頭部につながるので、一気の掲載となった。

先崎学五段(当時)と林葉直子女流名人(当時)は、故・米長邦雄門下で同時期に内弟子をしていたが、先崎少年にとって林葉さんはオニより怖い存在だった。

林葉直子女流名人(当時)「私の愛する棋士達 先崎学五段の巻」

そういうわけなので、変則的な姉弟のような時期を過ごした二人が結婚をする可能性は皆無に近かった。

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「失礼します。弦巻さんどうも、アッ大崎さん、失礼します。どうも皆さんよい旅を、それでは失礼します」など、この言葉をそのまま喋れば、森下卓九段の物真似がすぐにできそうだ。

もちろん、「これはこれは◯◯さん」から始まるのと、90度の折り目正しいお辞儀は忘れてはならない。

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森内俊之五段(当時)が好きだった各駅停車の旅。

先崎五段と一緒に行った四国(=JR四国)は、単線区間の割合が高く、しかも特急列車などの本数が多いため、鈍行は列車の通過待ちがしばしば。200km近くの距離を5時間40分かけて走る各駅停車列車もあるということだ。

各駅停車の旅を楽しみにしている人たちには垂涎の区間なのかもしれない。

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ところで”竹馬の友”。

現代では幼なじみという意味で使われているが、調べてみると出典はかなりシビアなもの。

中国・五胡十六国時代、殷浩という失脚した人のことを、桓温というライバル関係にあった政治家・軍人が評した。

「若い頃は、殷浩と共に竹馬に乗ったものだが、私が竹馬を乗り捨てると、殷浩がそれに乗ったものだ。そんなわけで、彼が私の下風に立つのは当然なのだ」

中国の竹馬は、切った竹を馬に見立てて乗馬の真似事をする遊び。

この故事から”竹馬の友”という言葉が生まれたわけだが、日本でも中国でも、悪意を全く含まないポジティブな意味での幼なじみ(竹馬に乗って一緒に遊んだ幼い頃からの友達)の意味で使われている。

なぜそうなったのかは分からない。

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ちなみに桓温は、”断腸”という言葉にも関わっている。

Wikipediaによると、

桓温が蜀に入る際に兵士の一人が猿の子供を捕まえ、それを追いかけてきた母猿は百里あまりも追いかけた後で死に、腹を割いてみると悲しみのあまり腸がねじ切れていた。桓温は怒ってこの兵士を罷免した。

とある。

”断腸の思い”は母猿の悲嘆から来ていたのだ。

決して軽々しく使ってはいけない言葉のような感じがしてくる。