芹沢博文九段の予言

藤井聡太四段の師匠は杉本昌隆七段。杉本七段の師匠が故・板谷進九段。板谷進九段の師匠であり父であったのが故・板谷四郎九段。

板谷四郎九段は名古屋に在住して、進九段とともに中京棋界を大きく発展させた。

石田和雄九段、中田章道七段などの師匠でもある。

将棋世界1982年1月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。

 板谷一門の話を続けていこう。7、8年前のことだ。板谷進八段の妹さんの春枝さんが、お父さんの四郎九段から車を買ってもらった。買ってもらった本人は嬉しいから、毎日乗り歩く。その気はわかる。だが、帰りが10時過ぎになったりもする。すると謹厳な四郎九段は板谷を呼び、「あいつは遊びすぎる。あの車、すぐ売ってこい!」と命じた。

―翌日には、その新車が半値ほどで売られていった。芹沢や私は、四郎先生に会うたびにお説教をくらうが、節度を大切にする実に厳しい人だ。

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気骨の板谷四郎九段。

NHK将棋講座2014年3月号、中田章道七段の「棋士道~弟子と師匠の物語~板谷四郎九段」によると、この新車はフォルクスワーゲンだったようだ。

この時代のフォルクスワーゲンは「カブトムシ」の愛称で知られるタイプ1。

中田章道七段は「師匠は春枝さんには甘かった」と書いているが、中田章道七段が内弟子生活を終えた後に、「あいつは遊びすぎる。あの車、すぐ売ってこい!」ということになったのだろう。

中田章道七段が語る師匠・板谷四郎九段との思い出(NHKテキストビュー)

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芹沢博文九段の1987年の著書「指しつ刺されつ」より。

 板谷四郎九段、中京の重鎮である。その息子が、板谷進八段、わが弟分の関係と思って頂きたい。

 王位戦の中原、内藤が飯田の龍峡亭で行われた時、何となく遊びに行った。名古屋から1時間半、東京から車を飛ばして4時間の所かと思う。

 私もそんな暇な体ではないが、なぜか二人の将棋を見たくなり、何の仕事もないのに”ただ飯”を食いに行った。

 将棋が終わり、打ち上げの席で立会人の板谷先生はご機嫌であった。熱戦を見て若き日を思い出したのかもしれない。

 ご機嫌な先生は、

「中原さんは素晴らしい……」

 てなことを言う。

「内藤さん、あなたもすてきだ……」

 というようなことを言う。先輩から賛辞を受けるのは誉れなことだ。今度は当然自分の番かとうれしそうな顔をしていると突如、

「芹沢、このような者は……」

 と言うではないか。お世辞を期待していた私はビックリである。

 同席の20数人の者たちもあまりの変化の激しさに言葉も継げなかったようである。中原、内藤はア然として、セガレの進八段は私が怒りだしたらどう始末をつけようかと構えているようにみえた。

 世慣れしたというか、意気地なしというか、私は、

「先生、あんまりでしょう……」

 と、言うと、

「言ってることに、わしは間違いはない」

 また、キツイ口調である。

「まあ先生、本当のことを言わなくても……」

 と話をはぐらかそうと思って、しゃべると、

「君のそのいい加減なところが一流になれぬところだ」

 強い口調であった。

 その時思った。先生は30年近くも私を思ってくれていたのだと。

 しかし、こんなこと、言葉で言えるわけはない。

 先生が何だかの勲章を頂いて祝いの席があり、名古屋に行ったが、一門の者は別として、将棋指しで行ったのは私一人で、スピーチを求められ、

「板谷一門からは名人は出ていない」

 このあたりまでしゃべったところ、主役の先生がわがマイクを取り、

「芹沢が愚にもつかぬことを言っているが、これからだ」

 てなことを言った。

 人にスピーチを求めて、それを途中から取り上げるなんてと思ったが、その後、またマイクをもらい、

「今まで名人は出なかったが、先生の思いで弟子がこれだけ出来た。今の弟子たちで名人になる者はいないかもしれないが、そのまた弟子たちできっと名人は出てくる。それは板谷先生の力かと思う」

 と一気にしゃべると、先生は済まぬというような目をしてジッと私を見てくれた。変につらくなったのを思い出す。

 先生は晩学の人で人一倍ご苦労なさったのは知っている。息子を将棋指しにするなんて自分の苦労の倍を押しつけることも耐えた人である。

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故・芹沢博文九段の「今まで名人は出なかったが、先生の思いで弟子がこれだけ出来た。今の弟子たちで名人になる者はいないかもしれないが、そのまた弟子たちできっと名人は出てくる。それは板谷先生の力かと思う」

藤井聡太四段の出現を芹沢博文九段が予言していた、と言ってはオーバーだろうが、藤井聡太四段が将来名人になったとしたら、芹沢九段のこの言葉は正鵠を得た予言そのものになる。

板谷四郎九段、板谷進九段が生きていれば、藤井聡太四段を見て、どれほど喜んだことだろう。

芹沢博文九段が生きていれば、「どうだい、オレの言うことに間違いはないだろう」と酒を飲みながら後輩棋士や記者に自慢をしていることだろう。