「奨励会競輪王決定戦」で2位になった佐藤康光二段(当時)

将棋世界1987年1月号、銀遊子さんの「関東奨励会レポート」より。

☆東西合同旅行

二年に一度の東西奨励会合同旅行。今回は日本自転車振興会のご好意で、伊豆は修善寺にある競輪学校見学をメインとして11月11日から三日間の日程で有意義な旅をしてきた。

奨励会員とほぼ同年代の、競輪のプロ選手を目指して修行に明け暮れている青年たちとディスカッションが面白かった。

「将棋の人は、プロ入りの時にいくらぐらい契約金をもらうんですか」(この質問をした人は、ドラフトで指名されてプロ野球に一年間だけ在籍した経験がある!)という珍問から、

「僕達は毎日六時間ぐらい練習するのですが、皆さんは何時間ぐらいですか」という、みんなが小さくなって下を向かざるを得ないような困った質問まで、色々な疑問を次々と浴びせられてわが奨励会側は汗びっしょりの体だった。

極めつけは、「四段としてデビューすると給料はいくらですか」という鋭い質問。関西の誰かが「四万円です!」と思いっ切り正直に答えると、競輪学校の生徒達から「ヒエーッ」という悲鳴があがったのは言うまでもない。あちらは卒業して一年もたてばほとんどの人が一千万円以上の年収をあげてしまうのだ。

最後はどちらも勝負師の卵同士。「お互い頑張ろう」と固く悪手を交わしてお開きとなった。皆、なにか感じるところのあった顔付きをしていた。

☆優勝は誰だ?

修善寺に行けば、日本一の五キロサーキットに出て自転車競争をするのが恒例。

我こそは、と名乗りをあげた21人の参加で、一着ン千円のレースが行われた。残った者たちは軽く汗を流したあと、ゴール前で声援だ。出走表は次のとおり。 

選手名 短評 佐藤義則 関西 本誌
野間俊克 西の盗塁王だ    ◎  ◯
秋山太郎 根性は買える      
小川直純 長身、力抜群  △    ▲
野田敬三 西のタフマン    △  △
小林広明 腕力だけなら      
豊川孝弘 賞金かせぎだ      
加藤昌彦 一見ヤサ男?      
田中幸道 伏兵未知数で    △  
中田宏樹 細身も体力有      
森内俊之 若さで優勝圏    △  
銀遊子 昔健脚もトシ  ▲    
佐藤康光 若いだけ取柄      
長岡俊勝 陸上第一人者  ◯    ◎
高徳昌毅 長距離はダメ      
伊藤 能 参加するだけ      
郷田真隆 運動神経は?  ◎    
小倉久史 本人優勝宣言    ▲  △
河井 智 登山経験豊か  △    
荒井孝則 ブービー候補      
飯塚祐紀 一部で伏兵視      
神崎健二 カモシカ健在    ◯  △

 

 結果は……というところで紙数が尽きた。

 来月号をお待ちください。

—–

将棋世界1987年2月号、銀遊子さんの「関東奨励会レポート」より。

 最後に、先月号で予告した「奨励会競輪王決定戦」の結果発表を。

 一着は将棋界一のアルピニストでもある河井智二段。登り坂での強さは抜群で他をぶっち切っての圧勝だった。

 あとで競輪学校内の最新鋭計器で最高時速を計っていただいたところ時速は59キロと出て、担当の教官さんから「プロでも十分にやっていけます」と折り紙をつけられた。ひょっとして道を誤ったかも。

 二着には意外にも佐藤康光三段が入線、体力もあるところを見せつけ、以下神崎健二四段、豊川孝弘二段と続いた。根性がありそうなところが順当に上位を占めたわけである。

—–

予想というものが、いかに当たらないかということがよくわかる事例だ。

—–

森内俊之三段(当時)が「若さで優勝圏」と、若さと優勝圏が結び付けられているが、佐藤康光二段(当時)は「若さだけ取柄」と、同じ若いということだけでも非常に扱いが異なる。

郷田真隆二段(当時)に至っては「運動神経は?」と?マーク付き。

これらのことから、この当時の運動神経に関する周りからの見られ方は、

森内三段>佐藤二段>郷田二段

だったことが推察される。

それにしても無印の佐藤康光二段が二位とはすごい。

佐藤康光二段は、この1ヵ月後、三段に昇段する。

将棋世界1987年2月号、銀遊子さんの「関東奨励会レポート」より。

 上がり目を作ってはあと一歩の所でこわすという効率の悪さで、”万年昇段候補”の汚名を着せられかかっていた佐藤康光が、8連勝という彼らしくない(?)星でついに三段昇段を果たした。

勝ち続けている勢いが競輪王決定戦での好結果にも結びついたのかもしれない。