三浦三崎マグロ争奪将棋大会の生みの親であり育ての親である大井利夫さんが11月13日に亡くなられた。
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湯川博士さんの1986年の著書「なぜか将棋人生」の「三浦三崎のマグロ名人戦」より。
第9回(昭和60年)を数えた、三浦三崎マグロ争奪将棋大会は、ローカル大会にもかかわらず、名が売れ、レベルも高い。」この通称マグロ名人戦を運営する、四人の裏方さんはどんな人達なのか。アマ大会を開く裏方さんのおはなしです。
(中略)
花暮岸一帯は、「船舶仕込み所」という店がズラリと並んでいる。船に積み込む米酒食料から、電気製品、日用雑貨、漁具などあらゆる必需品を、ここで揃えてくれるのだ。ほとんどが船主のツケ買いで、一年後の入港時に精算する仕組み。むろん金利ぶんくらい割高になるが、船主にしてみれば、水揚げで現金が入る時に精算するほうが、計算が簡単で分かりやすい。
花暮とはずい分粋な名前だが、ここの目の前の城ヶ島が、昔は全部桜でおおわれ、鎌倉武将が花見の宴を張って、夕暮れまで飽きずに過ごしたといういわれがある。岸壁中央まで歩いてゆくと、「船舶仕込み所・岡野商店 軽食喫茶・はま」という店がある。入ってゆくと、カウンター近くの席に三人の男がいた。
ここの店主岡野要次郎さん、市役所の大井利夫さん、船舶電機修理業の岩崎金次郎さんである。いずれもここアマ将棋連盟三浦市部の世話役で、明日のマグロ大会準備のために、会長宅に集まっているのである。
岡野さん(大正5年生まれ)は今でこそ陸に上がって商売などやっているが、かつては七つの海を股にかけて歩いた。
(中略)
「ところで賞品のマグロはどうなってるの?」電機屋の岩崎さんが大井さんに聞く。
「去年までは大会場に三本ころがしておいたけど、今年は10位までマグロブロックで渡すというんで、あまり早く持ってっちゃうと、溶けちゃうでしょ。だから午後からでいいと思うんだけど」
「じゃ、昼ごろ荒川さん(裁割屋で将棋二段)とこで裁割(冷凍マグロを2、3キロのブロックに切ること)してさ、午後会場に持ってこうよ」
と岩崎さん。この人も港ならではの仕事で、船の電動機、モーターの修理業。
「今の船は魚探、レーダー、それに発電機からの電波も出てまして、昔じゃ考えられない故障が出るんですよ。そう、船内で出ている電波が、心臓部のモーターの妨害をして故障の原因になったとか。だからふつうの電機屋じゃ手も足も出ない分野なんですよ。私ンとこにも大学の電機出てきている人がいますけど、10年はやらないとネ」
岩崎さんは大正10年生まれで、昭和11年からこの道一筋。息子さんも含めて4人の会社。
「だから私ら修理屋は、誰にも負けんプライドは持ってますよ。でも、もうかりゃしませんね。物を売る人にはかないません」
そうかもしれない。船舶仕込み業の方は、店は小さいが、一船単位でなにからなにまで扱い、しかも倉庫も在庫も営業員もいらない。いってみれば、船主との信頼関係、人とのつながりが強い商売だ。
大井さんは、この中で一番の若手で、昭和19年生まれ。市場の前にある「秀丸」という市場食堂の息子さんで、子供のころは秀才だったそうだ。
ちなみにこの「秀丸」で朝メシを食べたけど、ご飯のおいしいこと。米は千葉の親戚筋から直接仕入れているコシヒカリとのこと。そして豚汁と山盛りのおしんこがまたうまく、回りの漁師、仲買人の食欲につられて、大盛りのドンブリめしをたいらげてしまった。市場公休日(土曜)以外は毎日午前5時から夕方まで営業。大井さんのご両親は今でも、毎日午前2時には起床する。
4人でしゃべている所に、ゴム合羽修理を終えた松島さんがやってきた。これで役員の顔が揃ったので、肝心の質問をする。
―このマグロ大会は、どういうことで始めたんですか。
岩崎「前は日将連支部だったんですけど、岡野さんに会長が変わってから、何か大きな大会をやろうということで、それじゃあ囲碁もいっしょに、町ぐるみのやろう。ところが話を持って行ったら、碁の会長が、人のためにやってなにンなるんだ、とこうですよ。よしそれなら将棋だけでやろうと。岡野会長が魚市場に、大井君が市の観光課にいたんで、そっちの手配。それに三浦市、京浜急行なんかに声をかけてね。ポスターなんかも作ってもらって」
岡野「私ら、品川の京急本社まで行きましてお願いしたんです」
岩崎「今でこそ三浦市で、魚祭りだとか、マグロ祭りなんて始めたけど、最初にマグロをからめて催しをやったのは我々ですよ」
―4人の侍で、よくぞここまで。
岡野「まあ、他人さんが喜んでくれて、それで三崎のマグロのPRになれば一番いいんですけどネ」
(以下略)
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近代将棋2006年9月号、故・団鬼六さんの「鬼六面白談義 まぐろの国」より。
何で弦巻君や中野君が二上九段や私を三崎へ招待してくれるのかわからなかったが、将棋連盟神奈川県支部連合の会長、大井さんが三崎在住の人で三崎のうまい魚を御馳走するといってくれたらしい。
(中略)
大井さんに連れられて船着き場近くのハマという古色蒼然とした喫茶店に連れて行かれたが、ここは三崎の将棋発祥の地ということで三崎のマグロ名人戦を興した岡野という人のお嬢さんが経営しているそうである。
(以下略)
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大井さんは将棋ペンクラブの交流会などにもよく来られていた。
非常に温厚で、男気のある方だった。
謹んでご冥福をお祈りいたします。