戦慄の早朝三羽烏

将棋世界2002年1月号、新年号特別企画・兄弟弟子対談 丸山忠久名人-米長邦雄永世棋聖「マルちゃんがヨネ先輩と大いに語る」より。

米長 この間、谷川浩司(九段)に会いました。この対談の取材のためにね。それから丸山名人の地元の木更津にも行きました。大変なんですよ(笑)。

(中略)

米長 さて、今年の谷川との名人戦から聞きたいんだが、まずは食事のこと。丸山は2日目の夕食に、いつもステーキを食べるっていうけど本当?

丸山 ははは。

米長 名人戦の2日目は、食事も喉を通らないっていうのが普通のはず。それがね、どうしてそんなにお腹が空くのか。それをまず聞いてもらいたいというのが、谷川からの質問なんですよ(笑)。

丸山 そうなんですかねぇ。理由はわからないですけど、お腹は減るんです。

米長 ものを考えると、相当に労力を要するからかな。昔からそうかい?

丸山 はい、昔からそうでした。

米長 そして3時におやつのケーキが出ると、ケーキをばくばく食べるっていうじゃない。

丸山 そうですねぇ(笑)。

米長 やたらに食べるのが早稲田大学の特徴なのかい。

―丸山さんの大学の先輩、加藤一二三九段のことも指しているのですね。

米長 そう。加藤さんは対局中、おやつに板チョコを6枚、カルピスをジャーで一杯という人だからね。こっちはミカン山盛りで対抗したけど(笑)。話を名人戦に戻そう。名人戦が土壇場を迎えた6月、ある将棋関係者の親族の告別式があり、そのとき丸山名人は義理堅く駆け付けたというんだが、雨が降りしきる中、喪服を着て自転車を漕いで行ったと。それは本当かい?

丸山 はい。第7局の前ですね。告別式は自転車で10分ぐらいの所でしたので、傘を差しながら乗って行きました。

米長 なんでこんな話をしたかというと、谷川はその話を聞いて本当かどうか確かめたそうだ。そしたら本当だったので、そのとき谷川は、第7局は負けるだろうと観念し、今回は名人をあきらめましたと言うんだ。谷川がそんなふうに思ったのはもちろん初めてのことで、丸山は今までに出会った人間の中で極めて珍しい初めてのタイプらしい。

(中略)

―十数年前、米長さんが自宅の一室を道場にして、若手棋士や奨励会員たちが将棋を勉強する場を提供されましたね。丸山さんも参加していたんですか。

丸山 はい、四段のころから。

米長 米長道場を始めたころ、森下卓五段が塾長で、郷田真隆が三段、行方尚史が1級だった。高校時代に四段になった佐藤康光は、詰め襟姿で来ていた。米長道場に入るには、その前に僕と試験将棋を指すんだけど、みんな僕より強いんだ。これにはまいったねぇ(笑)。そのうちに弟子の中川(大輔七段)と丸山が入った。そしてある日、2人が朝7時に道場に来て2時間ほど指して帰ったので、なんでだと不思議に思っていたら、なんとその日は2人とも対局で、肩慣らしに1局指したとのこと。しかも2人とも勝って帰り、夜にまた研究しているんだ。あのころは1日に平均7時間は勉強していたというが、本当かい。

丸山 1日に7局以上は指していましたね。

米長 するとそれ以上か。

丸山 あのころは、対局日以外でも朝7時に中川さんや森下さんと待ち合わせて指していました。

米長 なんで朝に指したの。

丸山 みんなけっこう忙しかったんで。

米長 ははっ、それでか。あるとき藤井(猛竜王)から相談されたことがあった。なんでも丸山や中川と付き合っていると、体が壊れるというんだ。でも一緒に研究しないと、置いてきぼりになるでしょうかと(笑)。僕が無理するなと言ったら、やがて藤井はやめていった。そして、その話を聞いた藤井の弟弟子の三浦(弘行八段)が「7時間ですか。10時間なら追いつけるでしょうか」と言っていたが、三浦は今でも続けているようだね。この間の木村一基(五段)の結婚式のときも、三浦は祝辞なんかろくに聞かないで、詰将棋の本を持ち込んで解いていた。結婚式でそんなのいるか(笑)。

丸山 佐藤康光さんが、8時間では勉強していることにならない、と書いていたのを以前になにかの本で読みました。

米長 みんな、すごいね。森下なんかは、「将棋の勉強をして疲れるという人は、プロをやめるべきです」とはっきり言うからね。

(以下略)

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棋士は対局が深夜にまでおよぶことなどから、基本的には早朝から活動するのが苦手だと古来より言われている。

そのような背景もあり、20代前半の頃の藤井猛九段が体が壊れることを心配している。

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その話を弟弟子である20歳になったかならないかの頃の三浦弘行九段が聞いて、1日10時間の将棋の勉強を始めるところも、いかにも三浦弘行九段らしい。

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丸山忠久名人(当時)が「佐藤康光さんが、8時間では勉強していることにならない、と書いていたのを以前になにかの本で読みました」と話しているのは、将棋世界1994年10月号の故・池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢 第10回 竜王 佐藤康光」のことと思われる。

佐藤康光竜王(当時)「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」

しかし、池崎さんのインタビューで、佐藤康光竜王(当時)は「一日に少なくとも6、7時間は盤の前に座っていないとダメでしょう。研究会を含めてもいいですけどね」と言っているので、「8時間では勉強していることにならない」というわけではない。

これは、丸山忠久五段(1994年当時)がこの記事を読んだ時、(佐藤竜王が”少なくとも6、7時間”と言うのなら、7時間でも最低ラインなのだから8時間でも十分な勉強時間ではない)と瞬時に思い、それが書かれていたこととして脳内に焼き付けられたということなのかもしれない。

相手よりも少しでも上を目指す勝負師魂だ。