羽生善治名人が、昨日行われた王将戦挑戦者決定リーグ戦で三浦弘行九段に勝ち、史上最速での1300勝を達成した。
この模様は、NHKのニュースでも報じられている。
今日は、羽生名人が奨励会に入会した頃のこと。
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将棋世界1983年2月号、松浦隆一四段(当時)の「奨励会 関東だより」より。
12月の前節例会から新入会者が参加した。今年の入会者はレベルが高いようで、出だしまずまずの成績を残している。成績の悪い者も奨励会の雰囲気に慣れるに従って変わってくるだろう。
(以下略)
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この時の新入会員の中で、後にプロ棋士となった奨励会員の出だしの戦績は次の通り。(先崎学九段はこの頃すでに2級)
6級〔関東〕
飯塚祐紀 13歳 ●●●●●
豊川孝弘 15歳 ●◯◯●◯
木下浩一 15歳 ◯●●◯●
郷田真隆 12歳 ●●●
森内俊之 12歳 ●●◯◯◯◯
小倉久史 14歳 ●●◯◯◯◯
羽生善治 12歳 ●◯◯◯◯●〔関西〕
佐藤康光 13歳 ◯◯◯◯◯◯(5級昇)
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将棋世界1983年7月号、滝誠一郎六段(当時)の「奨励会熱戦譜 新会員のめざましい活躍」より。
前回のこのページで、最近の新入会員は、我々の奨励会新入会の頃と比べ、強くなったと紹介した。そして、受験者のレベルが、我々の頃とは比較できないほど上がっているということも述べた。今回はどこが違っているのかを考えてみよう。
定跡に明るい
我々の奨励会時代は、今のように数多く本も出ておらず、また会員同士のつき合いもほとんどなかった。
ところが、今は本が増え、将棋の知識はどんどん得られる。それに現代っ子は、人みしりをせず気軽に話をし、研究相手もどんどん増やしているようだ。
余談ではあるが、最近の大学生は奨励会員より定跡に詳しく、将棋を指している時間も多いとうわさに聞く。
対局(奨励会の例会日)後の行動
これは聞いた話だが、昔の先輩の行動は、酒を飲みに行くか、麻雀を打ちに行くか、女の子をハントしに夜の町に出ると相場が決まっていた。
今の会員は対局後、将棋を指すか、早めに帰宅するかどちらかである。
おもしろい見方をすれば、昔は豪傑ぞろい。今は優等生の集まりと言えよう。
棋士の中には、奨励会員らしい者がほとんどいなくなった、と嘆いている者が多い。
ただし、最近は棋士の社会的地位も上がってきたし、それに伴ってきちんとしたつき合いのできる棋士が増えるということは、連盟にとってプラスになると思う。
成績が良い新入会員
57年度の新入会員の中で、がんばっている者をあげてみた。
(中略)
羽生善治3級(二上九段門)
昭和45年9月27日生まれの12歳。
元小学生名人であり、幼少ながら性格ははっきりしており、スケールの大きさを感じさせる。成績は25勝7敗で、驚異的に勝ちまくっている。現在8連勝中でもある。
小倉久史4級(中原十段門)
昭和43年5月15日生まれの15歳。
礼儀正しく、よく連盟に顔を出しており、棋譜を調べて勉強している。
成績は19勝14敗で、二階級昇っているのだから勝負強いタイプである。
(中略)
森内俊之5級(勝浦八段門下)
昭和45年10月10日生まれの12歳。
年少ながら勝負師タイプの顔つきをしている。師匠の勝浦八段もそうであった。
成績は17勝12敗で、まずまずである。
(中略)
木下浩一5級(松田九段門下)
昭和42年8月29日生まれの15歳。
入会直後は長野より通っていたが、今は松田九段のところで内弟子をしている。明るく性格のよい男である。
成績は21勝10敗で、好調である。
豊川孝弘5級(関屋六段門下)
昭和42年2月2日生まれの16歳。
連盟によく顔をだし、進んで記録をとってがんばっているまじめな男である。
成績は木下5級と同じ21勝10敗である。
(中略)
以上、成績のよい9名をあげたが、調子のよくない者も早く彼らに追いつくようがんばってもらいたい。
(以下略)
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2月号で羽生善治6級だったのが、4月号で5級、6月号で4級、7月号で3級、9月号で2級、10月号で1級という超スピード。
一方、郷田真隆6級は出だし不調で10月号で7級となるが、12月号では6級に戻っている。
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滝誠一郎六段(当時)と松浦隆一四段(当時)は、この頃の奨励会幹事。
羽生善治3級が「幼少ながら性格ははっきりしており、スケールの大きさを感じさせる」。
森内俊之5級が「年少ながら勝負師タイプの顔つきをしている」。
まだ二人とも中学1年だったので、エピソード的あるいはキャラクター的に顕著な個性は表面には現れていない頃。
そのようなこともあって、特に森内5級は、顔つきの特徴が書かれるに至ったのだと思われる。
たしかに、「学んだことを確実に吸収し、がっちりと自分のものにしている。協調性にも富んでいる」などの表現だと、通信簿の先生からの所見欄のようになってしまうので、滝六段も書き方は苦労したかもしれない。
それにしても、当時の誰もが、羽生世代の棋士がこれほどまでに活躍するとは想像できていなかっただろう。
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滝誠一郎六段が「これは聞いた話だが…」と書いているが、昔の棋士の先輩と奨励会員の交流の姿は、後年、泉正樹七段(当時)が執筆している。
滝誠一郎八段は若手棋士の兄貴分的的存在で慕われていた。
昨年行われた滝八段の引退慰労会には、羽生善治名人、森内俊之竜王、佐藤康光九段、郷田真隆九段、先崎学九段をはじめ、滝幹事時代に奨励会員だった棋士が数多く駆けつけている。