村山聖四段(当時)「いまはちょっとまずいです。反対側から行きましょう」

近代将棋1988年2月号、故・池崎和記さんの「十代、この凄いルーキーたち」の「福島村の『超俗』少年」より。

 幼いころから、生と格闘してきた。いつも身近に死を見てきた。

 村山聖四段は小学時代、5年間の闘病生活を送っている。1年生のとき身体をこわしたのである。幼い身には長すぎる入院生活だった。プロ棋士になった現在でも、病気から解放されてはいない。

 ここに村山四段が書いた自戦記のコピーがある。四段昇段直後、関西新聞に発表したものだ。「人生観」といっては大げさだが、ふだん、ほとんど自己を語らない少年が珍しく内面を告白している。一部、抜き書きしてみよう。

「中学を卒業して明るくなった。どうせ自分は永く生きられないと思った。そう思ったらなんでも出来る気がした」

「昔から負けず嫌いである。しかし14歳ごろから感情をコントロールできるようになった」

「15歳の時、本当に自分の行きている意味がわからなかった。今では自分はゲームしていると思っている。自分だけではなく世の中のことすべてがゲーム(遊び)だと思っている」

「毎日毎日、絶望感でいっぱいだ。1年後、半年後さえ生きられる保証はない」

 孤独な魂の、悲痛な叫び声が聞こえる。苛酷な幼少体験が、大きな影を落としているように思う。

 棋士を職業に選んだのは偶然ではなかった。プロになることが「体力的に楽のように見えたから」だった。しかし、この考えは奨励会に入ってから吹っ飛んだ。

 いま関西将棋会館から徒歩約7分の木造アパートに住んでいる。”福島村”でもピカ一の変わり者で知られる。好きなものは数えるほどしかないのに、嫌いなものは多過ぎる。

 前者は漫画(とくに少女漫画)。ニューミュージック。詰将棋。

 後者は風呂。散髪。写真。タマネギ。人づきあい。そして、将棋。

 アパートは四畳半ひと間で、家賃は17,000円。稽古(アマ指導)はしていないから、対局料とわずかばかりの月給のほかに収入はない。合計すると毎月10万円~15万円の生活。天才と騒がれてはいても、実際には仙人のような窮乏生活を送っているわけだ。

けれどもエンゲル係数は高くない。食費を最低限に切り詰め、その分、好きな漫画、CDなどの購入に回しているからだ。本人によれば「これが優雅な生活」で、「これ以上の生活は欲しいとは思わない」という。たいした超俗精神といえる。

 ここに生活の匂いはない。少年は進んで現実を遮断し、空想の世界で遊ぼうとしているように見える。

 将棋に関していえば、いわゆる「勉強」は全然していない。自室にあるプラ駒は枚数が足らず、しかもホコリがたまっている。つまり使っていない。それなのに対局のとき、いったいどこから、あの凄みのある強さが出てくるのだろう。

 浦野真彦五段の話「村山君とはまだ一回しか対局していないので、よくわからないけど、彼の終盤だけは気になりますね。何をやってくるかわからない怖さがある。詰将棋を解くのが異様に早いし、私生活も変わっているでしょ(笑)。だから将棋だけでなく、いろんな面で気になる存在です。以前、ぼくが煙詰(作品名「雪姫」)を作ったとき、村山君に検討を頼んだんです。そしたら変化の隅々まできっちりやっているんで、ビックリしたことがあります」

 先日、2年ぶりに村山邸を訪問した。借りていたCDを返そうと思ったのだ。『キング・クリムゾンの宮殿』と、ピンク・フロイドの『神秘』。

 午後1時過ぎ。ドアをノックしたらパジャマ姿の少年が出てきた。「何ですかァ」。寝ぼけまなこではなかったから、たぶん万年床にもぐって漫画を読んでいたのだろう。部屋が散らかし放題なのは昔(奨励会時代)と同じだった。多少とも変わったなと認められるのは、漫画を収容する本棚が増えたことくらいか。全体としては林忠彦氏の写真で知る、かの坂口安吾の仕事部屋とたいして差異はない。

 一緒にアパートを出て近くの喫茶店に入った。わたしは少女漫画をしらないので、もっぱら音楽と本格推理小説の話になった。この二つなら、共通の話題がないでもない。

 『クリムゾン・キングの宮殿』は良かったでしょう。いま、ぼくはエイジアを聴いています。知ってますか。これもいいですよ。『Yの悲劇』?あれ二回読みましたよ…。将棋以外のことになると、少年はとたんに饒舌になる。

 喫茶店を出ると、目の前に女子高があった。将棋会館まで最短距離で行くには、この高校の塀に沿って歩くのが一番早い。ところが少年が妙なことを言いだした。

「いまはちょっとまずいです。反対側から行きましょう」。「え、何で?」と聞くと「向こうから女の人が来る。ジロジロ見られるの、嫌なんです…」。

「少女漫画ばっかり読んでいる人が、何言うてんの。さあ行こう」。わたしはそう言い、さっさと魅惑の歩道の中に入って行った。少年はしぶしぶ後ろからついてきた。

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「少女漫画ばっかり読んでいる人が、何言うてんの」というのはとても説得力があるように思えるのだが、よくよく考えてみると、少女漫画が好きだからといって沢山の女子高生とすれ違うことが好きだとは限らず、この辺は池崎さんの強引な捌きと言えるだろう。

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『クリムゾン・キングの宮殿』は、1969年に発表されたキング・クリムゾンのファースト・アルバムでプログレッシブ・ロックというジャンルを確立した記念碑的な作品であるという。

プログレッシブ・ロックとは、ロックというジャンルにとらわれることなく、クラシックやジャズなど他ジャンルの影響を反映した、前衛的あるいは実験的な音楽。

エイジア、ピンクフロイドもプログレッシブ・ロックの代表格。

そういう意味では、村山聖四段(当時)はプログレッシブ・ロック系の音楽が好きだったとということになる。

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プログレッシブ・ロックは、基本はロックだけれども、あまりロックっぽくない音楽。

これを将棋で考えると、

基本は振り飛車戦法なのに振り飛車に見えない→藤井システム、風車

基本は居飛車戦法なのに居飛車に見えない→右玉

無理やりプログレッシブという言葉を使えば、藤井システムや風車はプログレッシブ振り飛車、右玉はプログレッシブ居飛車と言うことだできるのだろう。

ひねり飛車は、はじめロック調だった曲が中盤から演歌に変わるようなものなので、これは分類が難しい。