佐藤康光王将(当時)の脱皮

将棋世界2002年7月号、故・真部一男九段の「将棋論考」より。

 5月13日、棋聖戦挑戦者決定戦が東京の将棋会館で行われた。

 丸山名人対佐藤王将、最も興味ある取り組みの一つだ。当日、私も王将戦の予選を指していたのだが、相手が記録部門三冠王の木村一基六段で、どうも勢いが違うのか、3時41分敢えなく投了。

 久し振りに会館に来たのだから、もう少し空気を吸っていようと棋聖戦の控え室に腰を据え、中原永世十段、佐藤義八段らと継ぎ盤を囲んだ。

 隣席では森内八段が独り局面を動かしていると、時折脇の方から手が伸びてS記者が次の一手を当てようとしたりする。

 これが愉快で、好手をズバリ当てたかと思えば次にはトンデモナイ一手を指したりするものだから、森内もしばし苦笑い。

 さて、戦型は丸山十八番の角換わり腰掛銀を佐藤が受けて立ったのだが、序盤早々に見たことのない構想を後手番佐藤が打ち出し、私も目を瞠ったが後から来て棋譜を見た面々も一様に、感心するというか「ヘエー」といった面持ちであった。5筋を突かずに中飛車に回ったり、3三へ上がるはずの銀を5三銀と逆に進め、果ては3二の金を3三金とするなど変型の限りを尽くしている。

 先月号に載った佐藤の『我が将棋感覚は可笑しいのか?』が、ちょっと話題になった。それはそうでしょう。この指し回しは佐藤にしかできないもの。

 あの文章は良かった。率直、剛直な佐藤らしさが素直に表れていた。

 文中、佐藤は「自分の研究には自信を持っているし、毎局工夫しながら指しているつもりだ」と述べ、しかしその作戦を真似する若手が一人もいないと疑問をぶつけている。全体としての佐藤将棋は別として、少なくともこの将棋は真似しづらいだろうなあ。佐藤の慨嘆は佐藤将棋の本質から来るものなのかもしれない。

 昔、升田将棋は真似し易く、大山将棋は真似し難いといわれていた。升田は形の将棋で大山は手の将棋だからであると。

 左穴熊のように、その形に組めれば後は何とかなってしまう戦法は真似し易いが、一手一手読みが必要な戦法は真似し難い、要は苦労が多いということ。

 若いうちの苦労は買ってでもしろという。よって難解な佐藤将棋を真似し克服した若手がその域に達し、さらには越えて行けるのだろう。

 闊達発言の中原は佐藤の指し手に反応して「ほー、そう指した。やっぱりおかしいね」などと云って皆を笑わせていたが、もち論これはサービス発言。

 戦況は丸山に消極的と見られる指し手があり、佐藤陣が次第に好型となり戦機を掴んで主導権を奪い、徐々に優勢になっていった。

 いつの間にか河口老師が現れ「元気かね」とおっしゃる。「家を出たのは今日でひと月ぶり」と応えると「小人閑居して不善を為すかね」などと云ってシニック老師は楽しそう。いつもこんな調子だから馴れっこで「不善を為す元気もありませんよ」と、こちらは本当のことを云っておいた。

 将棋は終盤になっていて丸山大苦戦、何かないかと盤を見つめていると、勝負手が閃いた。私は得意気にその手を示したが、丸山はそう指さずに最後は押さえ込まれて完封負けとなってしまった。

 河口が「君、その手を対局者に云ってこいよ」と云うのでその気になり、特別室に入ってみると盤面は元の配置に戻されている。もう疲れていて感想戦がさっきの局面に進むまで待つ気力もなく、シルバーシートに坐りこの将棋の取材に来ていたテレビ局の人と雑談していた。

 しばらくすると河口が、あの手は二人とも読んでいてやはりダメだそうだと教えてくれた。岡目の浅知恵はそんなもの。勢い良く対局室に駆け込んだ我が身が滑稽ではあったが、久し振りに最後まで検討に加わったかすかな爽快感が残ったものだった。

(以下略)

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将棋世界の同じ号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」では、この一局について次のように書かれている。

 対して佐藤王将は、意気軒昂といった感じがある。

 最初に紹介した、ああいう文章を書いて、何か脱皮するようなことでもあったのか。

 論より証拠。この日の序盤は、今までの佐藤将棋とまるで違う。1図を見れば明らかで、名を伏せて誰の将棋かと問うたとして、佐藤康光と答える人はいないだろう。しかもこの将棋の出だしは、平凡な「角換わり腰掛銀」だったのである。君子豹変は本来よい方に変わったとき用いられるそうだが、その言葉こそ、今の佐藤王将にぴったりだ。

2002

(中略)

 クライマックスは2図の場面だった。

 形勢は佐藤よしだが、具体的にどう指すか、となると意見がまとまらない。

2002_2

2図以下の指し手

△5三玉▲3五金△5五桂▲4五金△同歩▲5六銀△4六金 (3図)

 モニターテレビを見ていた者が「アッ玉が上がったよ」と叫んだ。これを予想した人はいなかったが、瞬間よさそうな手に見える。なにより力強いではないか。駒落ちの上手みたいだ。

2002_3

(中略)

 真部八段が、3図で▲7三銀と打つ手を見つけ「どうだ」とみんなに声をかけている。△7三同銀なら▲5五銀と取り、△5四金と受ければ、▲4六角と切る筋があっておもしろい。

 丸山名人は手を止めている。やるか、と期待を持たせたが、少考で指されたのは▲5九角。なんだよ、となった。

3図以下の指し手

▲5九角△3六馬▲2六飛△3五馬▲1六飛△5六金▲同飛△4六金まで、佐藤王将の勝ち。

 簡単に終わってしまった。真部君は重い腰を上げて「一言聞いて来なくちゃ」と対局室に行った。これには故事がある。

 30年以上も前の話だが、A級順位戦の一局を、たまたま階下で見ていた升田名人が、終わったと知るや、階段をかけ上がって対局室に飛び込み、一言、一手だけ指摘し、さっと帰った。調べてみると、それは逆転の妙手だった。

 真部君はその再現をと意気込んだのだが、すぐ戻って来て「すぐ駒を並べ直しちゃったよ」とがっかりした。

 序盤、中盤と検討が行われ、問題の場面が再現されたころは、ずいぶん時間が経っていた。待ちかねたように、誰かが▲7三銀の筋を訊くと、佐藤王将はあっさり「△9二飛と逃げますよ。▲6四銀成△同玉で私がよいでしょう」

 真部君はシルバーシートで粘っている。結論を伝えると「やっぱりねえ。そんな気がしていたよ」と苦笑し、帰った。晩酌の肴がなくなった、というところか。

(以下略)

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河口俊彦七段は「名を伏せて誰の将棋かと問うたとして、佐藤康光と答える人はいないだろう」と書いているが、それから11年後の現在では、相当数の人が1図の後手が佐藤康光九段であると当てることができるかもしれない。

2図からの△5三玉も佐藤康光九段らしい。(木村一基八段も指しそうな手だ)

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中原誠十六世名人が、「ほー、そう指した。やっぱりおかしいね」と言うのも絶妙。

近代将棋1993年2月号、佐藤康光六段(当時)の自戦記〔棋王戦 対中原誠名人戦〕「名人との一戦」より。

 先番の名人は少考の末、飛先の歩を突き出しました。以下すらすらと第4図に進みます。

photo (13)

 名人戦で高橋九段と戦って以降、名人が先手番の時に愛用されている形です。

 名人はこれで非常に高勝率を挙げておられます。トッププロが高い勝率を挙げている戦法という訳で、プロ棋界では普通は大流行のはずなのですが名人以外に指されているのを見た事がありません。

 理由はいろいろですが一つに構想力や特殊な感覚、つまり従来の感覚では仲々指しこなせない意味があります。またこの戦法の実体がつかめていない所もあるのです。

 正に「名人に定跡なし」を地で行く戦法と言えるかもしれません。

(以下略)

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「歴史は繰り返す」というのか「どっちもどっち」と言えばいいのか、とにかく面白い。