林葉直子女流王将(当時)「私と森内さんには愛の大きさがあまりなかった。大きな愛には勝てません」」

近代将棋1990年1月号、「席上対局は新婚カップルが圧勝」より。

 11月17日は、いわずと知れた「将棋の日」。今年は、11月12日、堺市民会館大ホールを中心に盛りだくさんの催しがあったが、ここでは11月16日「女流棋士の日」の模様を報告しよう。

 会場は東京将棋会館。

(中略)

 さて、女流棋士とファンが集うのは、昨年同様、2階の将棋道場。棋界に花咲く乙女達が勢揃いすれば、おのずと空気は春のごとく暖まるというもの。思わず目尻を下げる男性ファン諸氏、その中に混じって、女性の姿もほの見える。

 かねてより婚約中の植山悦行五段と中井広恵女流名人は、先頃めでたく結婚式を挙げた。晴れの姿はグラビアや写真でご覧いただけたと思うが、この二人が席上対局に登場したのは圧巻だった。もとより、二人が雌雄を決するわけではない(そんな無慈悲なことできません)。二人はあくまで手に手を取って、森内俊之四段と林葉直子女流王将のコンビと対決する趣向なのだ(一人後手指して交代)。

 司会は谷川治恵三段と藤森奈津子二段のNHKコンビ。試合前に一言、とマイクを差し出せば、中井さんは新婚ムードそのままに「私達はフィーリングがぴったりだから……」とあたかも戦う前から作戦勝ちを収めたような口ぶり。林葉さんも負けずに「相手チームは頭の中までピンク色に染まっているから、私達のほうが頑張れるわ」と、やり返し、たちまち会場に和やかな笑い声が起こる。

 ファンは次の一手名人を目指して全員が参加する。面白そうな局面で指し手を止め、その毎に次の一手を3つの候補の中から予想し、まちがえれば失格。最後まで正解し続けた人が名人となる。

 進行をちょっとのぞいてみよう。

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 1図は、▲2四歩を放置して森内・林葉組が△7五歩と玉頭を攻めてきた所。7二飛はツノ銀中飛車が転回したものだ。ここから▲2三歩成△同金▲2六飛△2四歩▲7五歩△同飛▲7七銀……と、次第に乱戦になってゆくが、先手陣の金銀が4枚ともぴったり寄り添っているのに対し、後手の駒はそれぞれが自分勝手に行動しているわけでもなかろうが、バラバラ。やはりハートの問題だろうか。

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 2図からの植山・中井組の歩の使い方が軽妙だ。

 ▲2四歩△同金(同飛は4二馬で飛車銀取り)で形を乱して▲2二歩。後手には△3六歩くらいしか反撃手はないが、▲2一歩成△3七歩成▲2二と△3三飛▲4二馬(3図)と進行し、見事に技が決まった恰好。

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 後手は明らかに苦戦であるが、次の一手名人を目指す人はまだ大勢生き残っている。この局面でも対局時計が止められ、植山五段は「3二歩」(何故か対局者にも当てさせる)、多田佳子三段は「3四金」(女流棋士は任意に指名する)と予想し、正解はその他の手「3六飛」であった。

 結局、逆転はならず、植山・中井組が完勝。投了の少し前に、埼玉県の畑野さんが次の一手名人に決まり、満面笑顔で賞品を受け取った。

 局後のインタビューでは、「花をもたせてくれたんでしょう(植山)」「女流の得意戦法を知っていて、その通り指させてくれたから(中井)」と、勝利チームが試合前とうって変わって謙虚な発言をすれば、森内四段は「新婚チームは強かったです」と素直に脱帽。またパートナーの林葉さんは「私と森内さんには愛の大きさがあまりなかった。大きな愛には勝てません」と、ウィットの効いた台詞を吐いて観客を湧かせた。ちなみにこの将棋は総手数111手。植山・中井カップルの挙式が平成元年11月11日(1・11・11)であることを駒も承知していたのかどうか。楽しき一致であった。

(以下略)

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この将棋は、87手目で4図の局面となり、先手の必勝形。次の一手名人がまだ決まっていなかったということもあり、後手は△5三桂と受けるが▲4五桂以下111手で先手の勝ち。

植山悦行五段(当時)と中井広恵女流名人(当時)の結婚式が行われた平成元年11月11日の1並びをお祝いするような111手の将棋となった。

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植山悦行五段と中井広恵女流名人が住む家には多くの若手棋士が遊びに行くようになり、森内俊之四段(当時)も植山家の常連となっていく。

「今、森内がウチに来てるんだよ。後から康光も来て、明日になれば郷ちゃんも来るんだけど」

若手棋士が遊びに行った家