将棋世界1989年4月号、故・小野修一六段の「受け方教えます」より。
将棋のプロといっても体力がないと話になりません。最近中村修七段は27歳にして青春に目ざめたようで急にスキーを始めました。棋士で上手なのは大内九段でこれは指導員クラスと別格ですが、奨励会員に上手な人が多く、棋士になるとスキー場に温泉がないと行かないとか言い出すので、なかなか上達しません。以前、加藤一二三九段がスキーを初めてやられたと新聞で読みましたが、迫力がありそうで一度拝見してみたくなります。
私のスキー場での失敗は色々ありますが、ある時女の子とぶつかって相手が転んでしまいました。「だいじょうぶですか」と言いながら起こしてあげたのは良かったのですが、後ろから永作氏(芳也五段)がその女の子にぶつかってきて、私は思わず他人の振りをしたのですが、女の子は怒ってスキーをかついで帰ってしまいました。さまざまな事件があるものなのです。
(以下略)
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スキー場で「大丈夫ですか」と言いながら女性を起こしてあげて、恋に発展する確率は非常に低いと思われるが、それにしても不運なケースと言えるだろう。
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私は生まれてから一度だけスキーに行ったことがある。社会人になって1年目のことだった。
ゲレンデへ出た瞬間、まだ滑り始める前だったが、自然と体全体が横の方にずれていって、深さが1m50cmほどある窪みに落ちていってしまった。その後も滑るには滑ったが、七滑り八転びで全身雪だらけ。
この時以来、私はスキーとは全く縁のない人生を送っている。
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小野修一六段(当時)のスキー場での話は昭和も終わりの頃。
この当時、1987年11月に「私をスキーに連れてって」という映画が
封切られて以来、スキーブームが到来したと言われている。
松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」はこの映画の挿入歌。
私は「私をスキーに連れてって」を見ていないが、Youtubeで予告編を確認すると、たしかに1980年代後半の雰囲気が色濃く出ているような感じがする。
あるいは、この映画が1980年代後半の冬の雰囲気そのものを作り上げたのかもしれない。
スキーをやらない私にとっては、ややついていけない世界。
2003年12月19日から私は個人的に富良野へ一人で行くことになり、宿泊したホテルは新富良野プリンスホテルだった。
私以外はスキー目的の宿泊客が100%と言っても良いほど。
プリンスホテル系のスキー場、12月、雪、といえば頭の中を流れる音楽は松任谷由実さんの曲になりそうなものだが、私が富良野にいる間の3日間、私の頭の中で流れていた曲は、八代亜紀さんの「舟唄」だった。
これは、富良野→富良野在住の倉本聰さん→「北の国から」「駅 STATION」と倉本聰さん脚本による北海道が舞台となるドラマ・映画では「舟唄」が劇中で出てくることが多かった、という連想からそのようになったのだと思う。
雪、北海道といえば、高倉健さんだ。