高橋健二(日本芸術院会員)「加藤一二三さんのこと」

将棋世界1989年11月号、日本芸術院会員の高橋健二さんの「加藤一二三さんのこと」より。

 加藤一二三さんについては忘れられないことがいくつかある。

 もう20年くらいも前になろうか。加藤さんと朝日新聞の記者に伴われて、医学博士の春原千秋さんと一しょに茨城県の日立製作所に行ったことが、先ず思い出される。コンピュータがいろいろなことに使い始められたころで、コンピュータと私たち将棋の素人二人とに、どちらが早く詰将棋を詰め切るか、競争させようという企てを、週刊朝日が考えたのである。春原さんは私より飛車一枚くらい強い豪の者であるから、選ばれたのに不思議はないが、私は文字通りへたの横好きに過ぎないから、なぜテストの相手に選ばれたのか、わからない。加藤さんとは個人的に付き合いは全くなかった。私の方では、新聞将棋やテレビ将棋で加藤さんの将棋は必ず見ていたし、その時折りに話題になるから、その範囲では知っていた。

 さて、電車で日立に行き、応接間に通されると、加藤さんが私たち二人にウォーミングアップの形で、詰将棋を出題なさった。それはごくやさしい出題だったので、私だって、いくらも考えないで詰めた。すると加藤さんは「おもごと、おみごと」と感心したように言った。お世辞だとはわかっていても、私は悪い気はしなかった。

 さてしかし本番になって、私とコンピュータのどちらが早く出題を解くかの競争ということになった。係りの技師の説明があって、同時にスタートとしたが、私は考えがまとまらず、せかせかするばかりだった。もともと詰将棋も私は苦手で、ろくに考えないで、解答を見てしまうふうだから、コンピュータにあっさり先を越されてしまった。

「いや、難問だから、無理もありませんよ。でも、残念でしたね」と加藤さんは慰めてくれた。ほめたり慰めたり、この人はなんと気くばりの行きとどいた人だろうと、私は加藤さんの人柄に感心した。

 春原さんは実力にものを言わせ、コンピュータより早く詰めてしまった。春原さんはNHKのテレビの詰将棋に毎回応募するという話を聞いたので、私などとは熱心さが違うから、当然の結果だと思わざるにはいられなかった。

 そんなことが縁となって、加藤さんがテレビ早指し将棋の決勝戦に出たのを観戦したことがある。一分将棋はお手のものだから、めでたく加藤さんが優勝した。しかし途中に、疑問の指し手があったので、終局後たずねたら、加藤さんはあっさり、あれは見そこないでした、と答えた。天下の名手も指しそこないを素人に向かってあっさり認めたのを、かけ引きのない謙虚な人柄と、私は受けとめた。

 加藤さんが序盤と中盤に時間をかけて、終盤で秒読みに追いかけられるのは、周知のことで、テレビで見ていてもはらはらする。もっと時間の配分をうまくしたら、勝率もあがるのではなかろうかと考える。加藤治郎さんに、そんな素人考えを話したら、治郎先生も「ピンさん、時間切れになるから、相手を安心させてしまうんで、やっぱりまずいですよ」と答えられた。

 それでも一二三さんが、史上二人目の千勝を達成したのであるから、信念の長考だと言うほかはない。大山康晴十五世名人につぐ大記録だということであるから驚嘆に値する。はたものがとやかく口出しする余地はない。カトリックの信仰に生きる人が、将棋にもひたむきに我れ一人の道を歩むのを立派なことと敬服せずにはいられない。

 一二三さんの行きとどいた配慮にとまどいしたこともある。御令息の結婚のあと、お嬢さんの結婚式にも招かれて、何かあいさつをするように頼まれた。上智大学のカトリック教会で式を行い、ニューオータニで披露宴をするとのことで、加藤さんは拙宅まで迎えの車を行かせると言われた。私は四谷まで中央線で行けばその方が早いからと車を断ったのだが、当日早めに車が来てしまったので、それに乗ったところ、ひどい渋滞で一時間半かかって、式に遅れそうになり、秒読みのていで、かろうじてかけこんだ。一分将棋に慣れている加藤さんは善意で配慮されたのだが、こちらはやきもきした。でも、ぎりぎり間に合ったので、さすがに秒読みの名人芸に狂いはない、と感心した次第である。

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ドイツ文学者の高橋健二さん(1902年-1998年)が加藤一二三九段の1000勝達成の時に書かれた文章。

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春原千秋さんは精神神経科医師。春原さんには20年以上、将棋ペンクラブの監査役をやっていただいている。

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四谷の上智大学のカトリック教会からホテルニューオータニまで徒歩5分くらい。

都内でも非常に雰囲気の良い散歩コースだ。

いつごろまでだったか、ホテルニューオータニの隣に、2代目・尾上松緑邸があった。

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とても加藤一二三九段らしい部分あり、また意外な部分もあり、加藤一二三九段について書かれたものは多いが、このような切り口で普段の加藤一二三九段が描かれた文章は珍しいと思う。