棋士が文章を書く時(前編)

将棋世界1983年5月号、故・能智映さんの「碁盤が机がわり」より。

タイプライター

 本誌とライバル関係にあたる「近代将棋」誌のことをいきなり書くと、この原稿はボツになってしまうかもしれない。だが堅いことはわたしの性に合っていない。

 以前、同誌に芹沢博文八段の「呑む、打つ、書く」という随筆欄があった。その名のとおり人気を博した文だった。いまは一般の雑誌や新聞にじゃんじゃん原稿を載せている。なのに「この人は決して文章を書かない」といったら、首をかしげる方も多いだろう。最初から横道にそれるが、最初のエピソードから入ろう。

 ご承知のように芹沢は昨年暮れに胃を3分の1切って、いまは呑んでいない。実際、いっしょに旅をしたことがあるが、汽車の中でわれわれにウイスキーをすすめるが、当の本人は安倍川もちをパクパク食べている。以前を知っているだけに気持ちが悪い。その旅の途中で芹沢に聞いた話だ。

「こないだ、カミサンと旅をしたんだ。帰りに甘いものが喰いたくなって、キオスクでプリンを2つ買ってきた。あれうまいね」というのがまた気持ちを悪くする。「それを2つとも喰っちゃったら、カミサンのヤツ プリンプリン怒ってるんだ。『どうして、わたしに1つくれないのか』というんだな」

 それはホワイトデーに近かったのか。和子夫人の怒るのはよくわかる。だが芹沢にはそれなりの理屈がある。「カミサンには、マネージャー料、タイピスト料として月に30万円払ってるんだ。なのに、プリン1つを喰わしてやらないからって怒り出すこたあねえじゃないか。そんなもん、100円玉出して、自分の金で買やあいいんだ」

 喰い意地の張った汚い抗争が芹沢らしくなく、ユーモラスなところが芹沢夫妻らしくて大笑いした。だが、ここでは、このタイピスト料というのが問題なのだ。

 芹沢家に出入りしている新聞記者や雑誌の編集者はみな経験しているはずだ。

「ウチのタイプライターがこわれちゃってね。原稿はあしたにしてくれよ」ということばだ。なんのことはない、奥さんが風邪をひいただけの話だ。

 ここでようやく、本論(?)の”書く”に入る。彼は決して自分で原稿を書かない。しゃべることをすべて”タイプライター”の和子夫人が口述筆記すえる。―仲の良い記者たちのみながいう。「頭の中で文を作り、それを一気に吐き出すのは至難の技だ」と。しかし女性には女性の味方もある。「この原稿、きれいな字ね。テレビで見る芹沢さんが書く字とはとても思えないわ」。わが社の女性社員から何度かきいたことばだ。

なんでも机

  東に芹沢がいれば、西にも大物がいる。

「芹沢さん、月に200枚ぐらい書いているかな」とこともなげにいい出した。「わたしも詰将棋1本を1枚とかぞえれば、200枚は書いてますねえ」―歯切れのいい神戸弁、神戸組組長の内藤國雄王位の”挑戦状”だ。責任感の強い人だ。この人の男らしさを2回見た。これぞ書き屋という、わたしたちが真似をしなくてはならない姿勢だ。

 以前から王位戦の立会人になったときなど、用のないときにすっと消える。「なにかやってるな」と思っていた。内藤とNNコンビを組んでいる神戸新聞社の中平記者(現論説委員)にきいてみると、「自室で原稿を書いているんやろ」ということだった。

 そうした現場を実際に見たのが第23期の王位戦で内藤が挑戦者になったときだから、すごく驚いた。内藤が3勝2敗として、中原の無冠に王手をかけた一局の1日目指しかけの夜だった。東京湾を見渡す木更津市の「八宝苑」だった。1日目の封じ手が終わると、関係者はへべれけに呑む。当然わたしも酔いしれた。しかし、少々内藤に用事があった。部屋のブザーを押したら、すぐにやわらかい声が返ってきた。

「能智さんでしょ。実は待ってたんです。ちょっと上がって見てくれませんか?」

 なんと内藤は、あの大激闘の途中に、いま戦っている王位戦第5局の模様を原稿にしていたのである。いわば同時進行のナマナマしい原稿だ。「ちょっと見てくれんか?」と、原稿用紙をさし出した。きれいな字だ。―「初めて来たわ」という木更津の情景から歓迎の模様、中原の姿まで、実にきちっと表現されていたように思う。

 その翌日の午後、「週刊現代」の村岡記者がきて原稿を受け取り、「内藤さんは、どんな忙しいときでも遅れたことがないんです」と封筒を大事そうにポケットに入れて帰っていった。男っ気を大事にする内藤ならではのやり方だ。

 もう一つある。この原稿を書くちょっと前だった。わたしと、同じ王位戦の観戦記者の信濃桂君は、観戦のあと将棋会館に泊まった。ともに締め切りぎりぎりの原稿を持っていたので、8時ごろに起きてばんばん書いていた。

 そこへ内藤がのっそり現れた。所在なさそうなので、「どうぞ!」というと、「悪いな、じゃまして」といって、すぐに座り込んだ。

 ふたこと、みことあいさつしたあと、内藤がなにをやったか。日本棋院の人が読んだら怒り出すかもしれないが、この場合はわたしと信濃君が机を占領しているから仕方がない。彼は部屋のスミにある碁盤をさっとかかえてきた。将棋盤はごろごろしているが、目もくれないところが、さすが将棋指しだ。

 そして、その上に原稿用紙を広げる。「いままで、ホテルニューオータニにおったんやけど、まだ原稿を書き残しておるんや。能智さん、原稿用紙を4、5枚くれんかな」。―そのお返しに高級ウイスキーのシーバスリーガルをもらったんだから損得ははっきりしている。それから20分ほどだったか、内藤は「見てや」といって原稿を見せてくれる。あけっぴろげの人だ。その文はすぐに週刊現代に載ったはずだ。

(つづく

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ワードプロセッサーはPCの文書ソフトの出現によりほとんど死語になっていると思うが、タイプライターはワードプロセッサーの登場によって死語になっているという歴史を持つ。

この頃はワープロ専用機が企業や個人に普及する直前の頃だった。

だから、能智映さんはタイプライターという言葉を使ったのだろう。

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タイプライターと言うと思い出すのが、映画「シャイニング」。

霊か何かに取り憑かれ狂気を帯びた小説家志望の夫(ジャック・ニコルソン)が、タイプライターで一心不乱に”All work and no Play makes Jack a dull boy”と同じ文を何行も何枚も打ち続ける超不気味なシーン。

All work and no Play makes Jack a dull boyは、映画では「仕事ばかりで遊ばない。ジャックは今に気が変になる」と訳されていたが、これは英語のことわざで「よく遊びよく学べ」ということらしい。

なぜこの言葉が選ばれたのかはわからないが、「シャイニング」はとにかく怖い映画だった。