田中寅彦七段(当時)「一方、あのくらい!?で名人になる男もいる」

将棋世界1984年2月号、田中寅彦七段(当時)の第16期将棋連盟杯戦決勝〔田中寅彦七段-米長邦雄王将〕自戦記「あと一歩及ばず」より。

 目の前にはA図の局面があった。時刻は午後4時半を少し回ったところである。

「田中先生、残り時間25分になりました」

「……秒は5分から読んで下さい」

田中米長1

 実を言えば、A図は私が10数手前に想定した局面、つまり”読み筋”なのである。A図は即詰み、というのがその時の直観であった。恐らく、記録係に答えた私の声は明るかったと思う。25分あれば全てを読みきれる、という自負がある。

 ところが、である。A図は詰まないのだ。そんなバカな、と思って何度も読み直した。しかし詰まない。角金銀の持ち駒があり、一見どうやっても詰みそうな顔をしながら。

 一瞬動揺した。そして後悔した。詰まないなら他に指しようがいくらでもあったのに―激しく悔いながら、なおも読んだ。そしてなお詰まなかった。

 18分考えて▲5五歩と指した時、体の奥底から全ての力が抜けていくのが分かった。頭では”まだまだ”と自分に必死で言い聞かせていたが、体の方で「負け」を認めていたのである。

(中略)

 連盟杯の決勝に出るのは、これが初めてである。実力以上のものが出せたと思う。

 決勝に進出できたのも嬉しいが、その相手が米長王将・棋王ということも大きな喜びであった。今度は本気で戦ってくれる、という思いがある。

 今までの対戦成績は私の3勝1敗。しかしどうもまだ一人前に認めてくれていない、という感じであった。皆さんも経験があるでしょう。自分より格上の人と指して何番か入ったりする、しかしどうも真の実力で勝ったという気がしない気持ちは。

 自分がもう1ランク上がるかでは小僧扱いかな、などと思っていた。ところが今回は決勝戦である。米長先生に本気で教えてもらえる、という喜びが私にあった。

(中略)

 下位者先の規定なので、私の先手。ならば飛先不突矢倉になるのは、ほとんど決まっているようなものである。

 最近「中終盤重視主義」という言葉が流行している。河口(俊彦五段)さんや奥山(紅樹)さんが使いだしたものだ。

 河口さんの説く所は「最近のプロは”とにかく勝ちたい”の意識だけが露出している。その結果、序盤はサッと流してスタミナを温存し、終盤の泥仕合だけのつまらない将棋ばかりになった。新手一生の精神なんか忘れられかけている」というもの。私も同感である。

 だからといって「将棋は芸術なんだ、見せる将棋にプロは徹するべきだ」とキレイゴトを言うつもりはない。勝負が第一なのは当然すぎるほど当然だから。しかし、現今の中終盤重視主義とは全然違う点に、僕の将棋の存在理由がある、と思っている。

 つまり、序盤から「狙い」を持っている将棋なのである。僕の場合、極端な話▲7六歩からリードを奪ってやろう、という気持ちでいる。”飛先不突矢倉”という新戦法を指しているのもそうした理由による。

 だから勝った負けた、☓☓戦で活躍した、勝率が◯△だった、ということよりも、田中寅彦というのはこういう男なんだ、こういう気持ちで将棋を指しているんだ、という視点で自分を見ていただければ、これほどありがたいことはない。

 米長王将の将棋を若手の仲間で並べると、必ずと言っていいほど「何という序盤だ!?」という嘆声があがる。

 これには二つの意味が込められている。一つはあまりに無造作であること。もう一つはそれでいて悪くなりにくい序盤であること。

 皆が石ころや落とし穴がないか、下を向きながら歩いている時、米長先生の序盤は、顔を上げ大またでずんずん進んでくるような趣がある。

(中略)

田中米長2

2図以下の指し手
△2七歩▲同飛△2六歩▲同飛△2五歩▲同飛△3三桂▲2六飛△2五香▲3六飛△5三銀右▲5五歩

 2図で私が恐れていた手がある。△3三銀である。ところがこれは米長先生が読み切ってくれていた。A級棋士の読みをご紹介しよう。△3三銀▲2二歩成△同銀▲4四桂△2三香▲5四銀△2四香▲同飛△2三歩▲3四飛△3三銀▲5二桂成△同玉▲6三歩△3四銀▲6二歩成△4二玉▲4四金(参考1図)で後手不利だと。何かありそうなのでこの先も読んでみたがうまくいかない、という感想だった。

田中米長3

 正直言って実戦で参考1図の正解手順を選べたか、私には自信がない。王将の読みの早さ、正確さに、依然自分が及ばないことを痛感させられた。これほどの人が、まだ名人になれないでいる!!(一方、あのくらい!?で名人になる男もいる)

 △3三銀の変化を捨てた王将だが、しかし本譜の▲2六飛~▲3六飛を軽視されたようだ。そしてこちらの方が重大なミスだった。

(中略)

田中米長4

6図以下の指し手
△5四玉(A図)▲5五歩△6五玉▲4三角△6四玉▲6五銀△7三玉▲5四角成△6六桂▲5七玉△5八飛▲同金△同桂成▲5六玉△6六金▲同 玉△7七銀▲同金△同竜▲同玉△8五桂▲8七玉△7八角(投了図)まで、122手で米長王将の勝ち

 王将の骨太の手が駒を掴み、△5四玉。ノータイム。

 感想戦では、▲5五歩の後の▲4三角が敗着であり、▲5六銀△6四玉▲4二角なら難しい泥仕合になっただろう。しかし、勝負を語る上でこれは蛇足に過ぎない。▲5五歩と指した時、私は既に負けていた。

 本局で全く意表をつかれた、という手はなかった。将棋の流れを含めて、ほとんどが私の読み筋である。相手の領域にグッと踏み込み、ギリギリの処で読み勝って倒す、米長先生の勝ち方がこれである。下位棋士だと、まず相手の読み筋を外そう、相手の研究から逃げよう、と考えるからこうはならない。

 変な意味でなく、本当にいい勉強になったと思っている。私はまだまだ弱い。もっと強くなりたい。棋力の面でも、精神力の面でももっと強くなりたい。

田中米長5

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「あのくらい!?で名人になる男もいる」だけが抽出されてひとり歩きすると非常に刺激的な言葉になるが、この自戦記の全体の流れや前後関係から見ると、田中寅彦七段(当時)のサービス精神から書かれたような感じがする。

とは言え、この自戦記を読んだ読者から、かなりの数の苦情投書があったようだ。

たしかに、過去には木村義雄名人-升田幸三八段戦や大山康晴名人-山田道美八段戦のように闘志溢れるやり取りがあったケースもあるが、これらは対局場でのこと。誌面にこのような文章が出たのだから、当時としては驚いた人が多かったことだろう。

明日は、谷川浩司名人(当時)がこの文章にどのように感じたかを。