将棋世界1984年5月号、土佐浩司五段(当時)の「昇級者よろこびの声 8年目の昇段」より。
―昇段、おめでとうございます。
土佐 ありがとうございます。
―今のお気持ちは。
土佐 なんか、自分で勝って上がったのではないので、なんとなく実感が湧いてきません。それに、最終戦の時点では上がるとは思っていませんでしたから。女房が一番喜んでくれましたね。
―奥さんは、真部七段の妹さんでしたよね。土佐さんが口説いたのですか。
土佐 ええ、攻めたら潰れました。(笑) そのとき、将棋も女性も攻めなくてはいけないと悟りましたね。
―お子さんは。
土佐 3歳になる子が一人。珠江といいます。
―もうしゃべれるんですね。
土佐 ようやく意味が通じるようになってきたようです。あなたの囲碁と同じくらいかな。
―……。(気を取り直して)土佐さんは囲碁が強いそうですね。連盟でのランキングは?
土佐 それは私の口からは、とても恐ろしくて言えません。(笑)
―義兄の真部七段と共に双璧とか。
土佐 それも、みなさまの判断におまかせしたほうがいいようですね。(笑)
―他に趣味は?
土佐 あんまりないんですよ。音楽会もここ1年ほど行ってないし。冬にラグビーなんかを見に行くぐらいですね。
―土佐さんの将棋はあまり時間を使わないようですが。
土佐 いや、あまり考える材料を持っていないだけです。(笑)
(土佐四段の早見え、早指しは有名。ただポカも多く、あきらめも早いほうである。しかし、実力はプロ間でも高く評価されている)
―これからの抱負は。
土佐 そうですね。これから名人を取れるとも思えないしねぇ。(笑)来年は30勝くらいできればいいかな。あまり大きなことは言えません。
―では、これからも健康に注意して頑張ってください。
土佐 はい。鷺宮病(編註・将棋界における恐ろしい病気。伝染性を持ち、◯◯九段も感染しているといわれる。主な症状としては、イバル、ホラを吹く、◯◯が好きなどがあるらしい。土佐五段も中野区の鷺宮に住んでいる)にかからないように(笑)気をつけて頑張ります。
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「天才」、「日本一強い四段」などと称された土佐浩司八段。
この当時は勝数による昇段規定がなく、四段から五段への昇段は、順位戦でC級1組へ昇級するコースに限られていた。
土佐浩司四段(当時)はプロ間の評価が非常に高かったが、四段時代が長かった(8年)ため、「日本一強い四段」と呼ばれていた。
ちなみに、土佐四段が五段に昇段するのと同じタイミングで、勝数による昇段規定が新設されている。
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少なくとも昭和以降、義理の兄が棋士というのは、土佐浩司八段と渡辺明竜王だけだと思う。
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鷺宮に一番最初に住んだのは升田幸三実力制第四代名人。
その後、米長邦雄永世棋聖が鷺宮に自宅を構えている。
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「将棋も女性も攻めなくてはいけないと悟りましたね」は名言と言えるだろう。
キリスト教の「求めよ、さらば与えられん」、古来からの至言「宝くじも買わなければ当たらない」とはニュアンスや厳密な意味合いは異なるが、大局的には同じベクトルの言葉だ。