将棋世界1995年5月号、北島忠雄四段(当時)の四段昇段の記「四段昇段を果たして」より。
昭和55年の秋、14歳で奨励会へ入会してから15年目の今日、晴れて四段に昇段することが出来ました。今はまさに天にも昇る気持ちです。
よく「奨励会に青春はなし」などと、修行の厳しさをたとえて言われるのですが、僕自身は大変多くの方に可愛がって頂きましたので、とても恵まれた奨励会時代を過ごすことが出来たと思います。
中でも朝日新聞観戦記者の東公平さんには特に目をかけて頂きました。棋譜解説の仕事や升田先生の本作りなど自分の将棋にプラスになる仕事を数多くやらせて頂きました。奥様の京子さんと共に、僕の大恩人の一人です。
数年前に退会した弟弟子から将棋を辞めて一番辛かったのは師匠の期待を裏切ったことでしたと言われたことがあります。飯野、泉、関の3人の兄弟子以降に10人の兄弟弟子がいたのですが、何とか一人前になれたのは僕だけです。
師匠には本当に心配を掛けてしまいました。今後、志半ばに将棋界を離れた仲間や先輩の分も情熱を持って将棋に取り組んで行かなければと強い責任を感じています。
今期の三段リーグを振り返って思うのは、ひどい将棋ばかりで成績の勝ちと負けがそっくり逆だったとしても少しもおかしくありません。図は10回戦の近藤三段との一戦です。苦しい将棋をどうにか頑張り、ようやく勝ちになったと思いました。
しかし次に指した△2一玉が大悪手。先手が▲3二金△1二玉▲1四香△1三歩▲2二金と追えば即詰みでした。最初の▲3二金が盲点を突く好手です。正解は図から△2二玉▲4二飛成△1三玉で後手が余していたようです。
しかし実戦は秒読みで双方この筋に気付かず、▲3七金△2五桂▲4八馬△2八銀と進んで最後は即詰みに討ち取ることが出来ました。この将棋に限らず、ほとんどの将棋がこんな具合で、本当についていました。
上がった今だから言えることですが、奨励会で長い時間苦労することが出来てとても良かったと思います。お世話になりました皆様に今後の精進を誓い筆を置かせて頂きます。ありがとうございました。
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北島忠雄七段は非常に温厚な人柄。
同時に四段に昇段したのは勝又清和六段で、勝又六段も奨励会を12年と、奨励会で苦労した二人が上がった1995年4月だった。
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将棋世界1995年6月号、小林宏五段(当時)の「関東奨励会」より。
ある奨励会の日、北島新四段が「奨励会で使って下さい」と新品の駒を2組持ってきた。彫駒で、奨励会用の駒としては上々だ。15年近く奨励会にいて、全てを賭けて戦った彼の気持ちを思う。ありがたく、有段者用の駒として使わせてもらうことにした。
奨励会は二、三段までいって退会すると、記念で駒を渡すことになっているが、四段に昇って駒を持ってきたなんて話は聞いたことがない。駒箱に「北1」「北2」と印をつけておいた。これから仮に10年たっても、後輩達がこの駒で戦い続けていることは間違いない。
(以下略)
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北島忠雄七段らしい心暖まるエピソード。
今も「北1」「北2」と駒箱に印のついた駒は使われているかもしれない。
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将棋世界1995年8月号、神吉宏充五段(当時)の「今月の眼 関西」より。
3図は北島四段と長沼五段の一局。
終局間近だが、ここから3手で北島が決めた。その手順は▲6四角△4二角▲3三桂(4図)まで。C2の初戦は若手の強烈なパンチから始まった。
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▲3三桂は次の一手に出てくるような気持ちの良い手。
△6四角は▲4一飛で、△5二銀は▲2一飛で、△3三同金は▲2一飛△3二玉▲2二歩成で、△2三金は▲4一飛△3二玉▲2一飛成△3三玉▲3二金、で詰み。
何度見ても絶妙手だ。
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北島忠雄七段は今期の順位戦C級1組で8勝1敗で3位の位置。
C級1組は、
8勝1敗
中村太地六段(2位)
斎藤慎太郎六段(9位)
北島忠雄七段(31位)
7勝2敗
船江恒平五段(6位)
の4人に昇級の可能性がある。
他力ではあるが、北島七段が昇級すれば50歳での昇級という快挙となる。
C級1組の最終日も目が離せそうにない。