渡辺明六段(当時)「自宅では絶対食べられないものですから」

将棋世界2005年1月号、山田史生さんの第17期竜王戦七番勝負〔森内俊之中央-渡辺明六段〕第3局観戦記「激戦、攻めきって森内二勝目」より。

 韓国ソウル市、北海道知床と長旅の第1、2局を経て、第3局は福岡市の「ホテルオークラ福岡」。

(中略)

 「ホテルオークラ福岡」はまだ開業5年ほどなので将棋対局は初めて。繁華街の中洲にほど近いところに位置しているが、7階和室の対局室へは外の騒音は全く入ってこない。立会人は有吉道夫九段と井上慶太八段。記録係は本田啓二三段。

 森内は紺の和服、渡辺はグレーの和服に明るい青の羽織。渡辺は竜王戦のために三着新調した。1、2局とも違う和服で、この3局目も新品。4局目からはまた1局目のものへローテーションなのだろう。

 両者小刻みに時間を使いながらも、すらすらと矢倉に駒組みを進めていく。第1局の急戦矢倉とは異なり、本局はじっくりしたオーソドックスな相矢倉である。

(中略)

 渡辺の▲2五歩は「ちょっと珍しいが▲2五桂から攻めると反撃が厳しいので、ゆっくり組んで戦おうという手です」(渡辺のホームページ”若手棋士の日記”より)。

 銀は1三か、3三か。森内が長考するうち昼食休憩になった。1日目午前中で49手だから進行が早い。かつての大山、中原らの時代なら2日目昼ごろの局面だろうか。昼食は森内がハンバーグステーキ、渡辺は芝えびとチキンのドリア。ドリアを頼んだ理由を「自宅では絶対食べられないものですから」と自ら説明するところが渡辺流。私は竜王戦に初登場してきたころの羽生と、渡辺を対比して見ることが多いが、羽生は無口で、ずっと少年ぽかった。

(中略)

「駒がぶつかっていないのでゆっくり眠れました」とは渡辺の”日記”。逆に第1、2局は激しい局面での封じ手だったので、肝が太く見える渡辺でも、よく眠れなかったということか。

 2日目。前夜ぐっすり眠れたためか、渡辺は寝すごした。8時20分には和服の着つけで第1局以来同行している呉服店主の白瀧氏が部屋へ来る。時間がなくなった渡辺は朝食抜き。日記に「開始してすぐお菓子をぼりぼり食べました。そして封じ手の△2一玉は一番嫌と思っていた手」と記述している。

(中略)

 森内の打開に対し渡辺も▲4五歩と反撃、△同歩▲同桂で昼食休憩。

 森内はメンタイスパゲティの大盛り。渡辺はハヤシライス。森内の”大盛り”に「この将棋長引きそうなので、しっかり腹ごしらえを」の意図がうかがえ、また渡辺は「カレーを食べたかったが前日の調べでビーフが相当入っているらしいので、腹のもたれない野菜中心のハヤシライスにした」(日記より)と、昼食にもそれぞれの思惑がこめられている。

(中略)

 激戦だった。終盤一手誤れば逆転という筋を何回もかいくぐっての、見事な攻防だったといえる。

 全力を出して戦っただけに、打ち上げの席での渡辺は明るかった。そしてまだ力が余っていたのだろう。井上八段や本田三段らを誘ってボウリングに出かけていった。あっけらかんと、負けてもいっこうに痛手を受けた様子を見せない渡辺。少しはめげてもらわないと、と森内は思っているのではなかろうか。たたかれても平気という相手は始末が悪い。七番勝負はまだこれからという気がする。

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自宅では絶対食べられないもの、何があるか考えてみたが、海老の踊り食いや白魚の踊り食いなどが頭に浮かんでくる。満漢全席なども自宅では無理だ。

ステーキも、自宅で作れそうだが、やはり肉の熟成のさせ方、焼き方など、店で食べた方が絶対に美味しい。

その反対に、しゃぶしゃぶは、絶妙な胡麻だれさえ確保しておけば、自宅でも充分に楽しめると思う。

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福岡市での明太子スパゲティなので地元名産パスタということになる。

明太子スパゲティを初めてメニューとしたのはスパゲティ専門店の「壁の穴」。

現在では全国に11店舗を展開する「壁の穴」は、私が大学生の頃は、東京・渋谷の宇田川町に店を構えていた。

私も一度行ったことがあるが、カウンターだけの雰囲気のある店だった。

あれは大学3年の夏、友人と飲んだあと宇田川町を歩いている時のこと。

私が壁の穴の前にあった電話ボックスに入ろうとしてドアを開けると、ドアが私の顔に激突して、買ったばかりのメガネのフレームが派手にグニュッと曲がってしまった。

結構酔っ払っていたので、リアルタイムでは「なんてことだ」と笑っていたのだが、翌朝起きて、メガネが再起不能であることを再認識して、落ち込んだ。

今でも、NHK方面へ行く時に壁の穴があった場所の近くを通ることがあるが、はるか昔のメガネを壊してしまった時のことをいつも思い出してしまう。

 

居飛車と振り飛車の感覚の違いが端的に現れた場面

将棋世界1995年12月号、野口健二さんの第8期竜王戦〔佐藤康光前竜王-羽生善治竜王〕第1局観戦記「竜虎の戦い」より。対局場は中国・北京市の「京倫飯店」。

 ▲3五歩まで見て、副立会の森九段らと市内の撮影に出かけた。目指すは天壇公園近くの虹橋市場。初めて訪れる町では、まず市場に行くのがカメラマンの定跡、という弦巻氏の提案によるものだが、市場を歩いた30分ほどの時間は、得難いものだった。幅4~5メートルの路地の両側に衣類、肉、野菜などを売る露店や、串焼きを食べさせる店などがびっしりと並び、行き交う人と肩が触れ合うほどの賑わいを見せている。底知れぬエネルギーを感じさせるその光景は、高層建築が点在し、経済発展で活気づく中国のまた違った一面を感じさせた。

(中略)

 対局場のホテルに戻った時には3図から△7三桂▲4八角と進んだ局面になっていた。

羽生佐藤1

 3図では、△3七歩と垂らす手が成立するように見える。以下、▲4八角△3八歩成▲同飛△1九角成▲3七角△同馬▲3七桂(参考1図)で後手の香得。なぜ△3七歩としなかったのか、控え室の面々は一様に首をひねっていたという。

羽生佐藤2

 当然感想戦でもこの手順が質問されたが、参考1図以下、△4二銀▲8八玉△8五歩▲4五銀△同銀▲同桂△4九角▲2八飛(参考2図)で先手が指せるという両対局者の返答だった。この順を示された立会の大内九段は、「そういうものですか」と納得のいかない様子だったが、森九段から「おじさんは駄目なんですよ、みんな振り飛車党だから」。衛星放送の解説者・小林八段も「普通は香得で後手良しと思っちゃう」と、居飛車と振り飛車の感覚の違いが端的に現れた場面だった。

羽生佐藤3

 しかし△7三桂は、局後真っ先に羽生が「ちょっとずうずうしかったかも。玉が不安定なので、この後ずっと苦しかった」と悔やんだ手だった。

(中略)

羽生佐藤4

ところで、感想戦でこんなやりとりがあった。「▲4八角に△8五桂(参考3図)だったか。▲8六銀に……」という羽生に、「▲8六銀は△5五歩で自信がないので、▲6五歩のつもり」と佐藤。「△7三角と引くと」「いや、△7七桂成と来られて」に「エーッ」と羽生。この後、▲6四歩から激しい攻め合いとなり、先手が指せる変化となるが、本局の感想戦では、読み筋の違いが随所に現れた。それが何を意味するのかは分からないが、印象に残る光景だったので、敢えて記しておきたい。

(以下略)

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振り飛車党と居飛車党の感覚の違いなのか、あるいは矢倉戦独特の感覚なのか、私のような振り飛車党にとっては考えさせられてしまう変化だ。

3図を左右を反転させた相振り飛車(左右反転図)だとしても、△7七歩は良い手ではないということになる。

左右反転

うーん、難しい。一生かかっても、この感覚は理解できないかもしれない。

 

粋な真剣勝負

倉島竹二郎さんの「昭和将棋風雲録」より。

 いつのほどからか、私はほとんど将棋を指さなくなってしまった。10数年前、NHKのテレビ放送で加藤治郎八段(当時)に角落将棋を教えてもらったが、専門家と指したのはそれが20数年ぶりのことであった。文壇将棋大会でも行司をつとめて、もっぱら世話役にまわっていたし、将棋会館に出かけても、手ごろな相手を見つけて囲碁ばかり打っている。といって、将棋に興味を失ったわけでは毛頭なく、むしろ将棋の醍醐味は年とともに加わってくる気がするのだが、周囲に好敵手がいなくなったのと―いや、ほんとうは、名人上手の勝負をもっともらしく解説批評している手前「何だ、こんなヘボ将棋だったのか」と思われたくないという、ケチな職業的見栄のなせるわざなのであろう。

 が、市川時代はだれかれの見境なくよく指した。付近には大崎八段後援会の免状持ちの旦那衆がかなりいて相手にことかかなかったし、大崎邸でも、内弟子の藤川義夫君や林勝三君、それに太期喬也君などに挑戦して、バット(莨)1、2個の小さい真剣(賭け)で指してもらった。駒割りは何であったか忘れたが、素人なかまではそうとう強いとうぬぼれていた私も内弟子諸君には歯が立たず、いつも莨を取られっぱなしで、世間ではまだ一人前の棋士とは見られなくても、その道に一生を賭けた人間の心構え―根性の相違といったものをじみじみとさとらされたものである。

 一度、溝呂木七段とも真剣で指したことがある。蛎殻町の溝呂木邸に観戦に出かけた節、溝呂木さんから「腕だめしに僕と二枚落ちで指してみないか、君が勝ったらご馳走するよ」とすすめられた。二枚落ちならなんとかなるだろうと思った私は「先生から逆に片褒美(一方だけから褒美なり懸賞なりを出すこと)では申しわけない。負けたら私の方からもご馳走します」と私は意気込んでいった。その将棋はうまく私が勝った。溝呂木さんは「思いのほか強いな」と、ほめ、ご馳走のかわりだといって、よく使い込んだ榧の盤と黄楊の駒、それに駒台までつけて私にくれた。溝呂木さんは人形町生まれの生粋の江戸っ子であり、前身は唐物問屋の若主人だというほどあって、旦那気質の粋なところのある人で、後で思うと、私がいつか板盤とチャチな駒しか持っていないことを話したのを覚えていての、勝負にかこつけての心づくしであったのかもしれない。

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倉島竹二郎さんが溝呂木七段邸で観戦をしていたのは、昭和7年から昭和10年までのこと。

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莨はタバコ。バットはゴールデンバットの通称。

現在も20本入りで210円で販売されている。(通常のタバコの半分ほどの値段)

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何の前触れもなく榧の盤と黄楊の駒をプレゼントされれば、もらった方も心の負担になる。というか、前触れがあっても心の負担になる。

溝呂木光治七段は、真剣勝負を相手の心の負担を減らすクッションにしたわけで、まさしく人生の達人と言ってよいだろう。

嘘のようにのんびりとした対局室

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無粋な話で恐縮だが、現代の法律では、真剣勝負は法律違反となるが、片真剣(一方は負けても何の債務を負わない)は法には触れない。

最後の真剣師・大田学さんが通天閣道場でやっていた指導将棋。太田さんに勝ったら只、太田さんに負けたら指導料500円を支払う、太田さんは負けても何も支払わない。これが将棋の片真剣の近世の事例。

 

谷川浩司名人(当時)「その日、連盟に着くまでの私は、正にルンルン気分であった」

将棋世界1984年8月号、谷川浩司名人(当時)の自戦記(第23期十段戦挑戦者決定リーグ 対加藤一二三九段戦)「見事に寄った一局」より。

 その日、連盟に着くまでの私は、正にルンルン気分であった。もちろん、名人戦3連勝を含めて各棋戦好調で、将棋を指すのが楽しくてたまらない、ということもあるが、それよりも、駅のホームでサインを求められたのが、電車の中で、素敵な女性だなと思って眺めていた、その人であったこと、の方が大きかったかもしれない。

 連盟までのタクシーの運転手も、私のことをよく知っていて、色々と話をしながら快適に到着。

 今日は奨励会のハイキングで記録係がいないため、金曜日にも関わらず、一局だけ。私は、対局が多い方が気分転換ができて好きなので、気が重いかな、と思ったが、加藤九段と、観戦記の橋本六段の笑い声が聞こえてきたので、何となくホッとして、対局室に入ろうとした。

 が、そこで私の足が動かなくなってしまった。私の座るべき場所(と思っていた)がないのである。

 手洗いへ行って、気を落ち着かそうとしたが、ままならず、動揺を押さえられないまま、下座に座った。

 やがて、上座の加藤九段が駒箱を開け、王将を手にした。

(中略)

 対局は異様な雰囲気の中で始まった。もっとも、それを演じていたのは私だったのだが、13分(初手の▲2六歩)は、作戦を考えていたのではない。

 冷静になるべきか、それともそのまま怒り続けるべきか。結局、ヒネリ飛車でガンガン攻めることに決めた。

 ▲2六歩の後の指し手は、全て2、3秒。ふてくされた手つきだった。そして、2分で▲9七角。全く、感情的になっていたとしか思えない。

谷川加藤1

1図以下の指し手
△4二銀▲7六歩△3四歩▲7七桂△4四角▲4六飛△4一玉▲4八玉△3一玉▲6八銀△9四歩▲7五歩△6四歩▲7六飛△6三銀▲6六歩△9二飛(2図)

 △4二銀は、30分考えただけあって、流石に最善手だった。これで▲2四歩△同歩▲同飛は、△5三銀右▲同角成△同銀▲2三銀△1三角で攻め切れない。

 それでも、最初は▲8六歩△同歩▲同飛△8五歩▲8七飛△7四歩▲7六歩△3四歩▲7七桂、とかで暴れ回るつもりだったが、考えているうちにその気がなくなってしまった。

 怒りが消えてしまったのである。(朝から晩まで怒り続けるのは無理だ、ということを私はうっかりしていた)

 読者の皆さん。これまでの文章は笑って読み飛ばして下さい。これからが真面目な自戦記です。

 実戦でも、ここからは冷静にもどり、▲7六歩と指した。

谷川加藤2

(中略)

 終局は23時50分。感想戦の後、弟弟子の井上君らと祝杯をあげてから、タクシーを飛ばして帰る。

 根が単純なのか、勝てば嫌なことは全て忘れる。その頃には、朝と同じ気分にもどっていた。

(中略)

 あ、それから、先の女性には、ただサインを求められただけですから、全国の若い女性ファン(そんなの居たっけ?)は、御心配なく。

 十段戦、頑張りますからね。

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電車やバスに乗っている時に「素敵な女性だな」と思った女性から、降りた後に突然声をかけられれば、これは最上級に嬉しいことだ。

サインを書きながら、「よろしければ今度の金曜日にでも飲みに行きませんか」と気軽に言えないところが有名人の辛いところ。

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1図のひねり飛車模様の将棋は、ハメ手風の狙いあり、▲8六歩からの向かい飛車への転換ありで、なかなか面白い戦法だ。

それと同時に、谷川浩司名人(当時)が腹を立てていた様子が指し手からよくわかる。

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加藤一二三九段が、この時のことについて書いている。

将棋世界1984年10月号、加藤一二三九段の「谷川名人の自戦記を読んで」より。

 本誌8月号で、谷川名人が私との対局のことを触れていました。それについて私の思ったことを述べてみたいと思います。

 対局当日、私も上座、下座のどちらに座ろうか、当然考えたのですが、読売新聞社主催の十段戦の対局ということを重視したわけです。読売新聞社は長年十段戦に尽力してくれています。私はこれまで十段戦に縁が深く、現在谷川さんよりもリーグの順位が上です。それで上座に座ってもよいだろうと思ってそうしたわけです。

 私はかねてより、それぞれの棋戦の対局でどちらに座るかと考える時、相手の現在の位置(例えば、七番勝負を終えた敗者の次年度の地位は大変なものだと思っています)を大きく評価するようにしています。

 連盟のこれまでのきまりは、名人戦リーグの順位によって座る位置を決めるべきとしています。これはずっと以前からの不文律です。私も実は対局の日の朝にどちらに座るかを考えなくてはいけない状況は、できればなくなってほしいと思っています。そういう棋士が多いため、連盟でも先のような不文律を決めたわけです。だから当然谷川さんが上座に座る権利があります。しかし、この規定も現在常に実行されているわけではありません。後輩が先輩に上座を譲ったり、その他いろいろなケースがあります。

 十段戦の対局が、もし王将戦や棋聖戦の対局であったならば、私は前年の実績がありませんから、ノータイムで下座に座っていました。

——–

加藤一二三九段の考え方も非常に明快だし、谷川浩司名人の思いもよく分かる。

明文化されていないことから起きたアクシデントということができるのだろう。

この10年後の1994年には、A級1年目の羽生善治四冠がA級順位戦で上座に座ったことにより波乱が起きている。

ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…前編

ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編

長い間採り続けられた順位戦での序列を基本に考える方式か、他棋戦も含めた総合的な状況で考える方式かの違いにより起きたことだが、現在では序列は、

  1. 竜王、名人(名人、竜王のタイトル保持者が異なる場合は、タイトル保持数が多い棋士が上位。同じ保持数の場合は棋士番号が小さい棋士が上位)
  2. その他のタイトル保持者(タイトル保持数が多い棋士が上位)
  3. 現役襲位の永世名人
  4. 現役襲位のその他の永世称号襲位者
  5. 前名人、前竜王(名人、竜王を失ってから1年間だけ名乗れる)
  6. 永世称号の有資格者
  7. 段位(同じ段位の場合、先にその段位になった棋士が上位)

となっている。

 

「林葉なに子さん…」

近代将棋1990年1月号、林葉直子女流王将(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。

「ぼくは、いつも、直子、直子と、直子の名を呼んでいるんだよ!」

 ああ、なんという心ニクイお言葉…!

 私はどちらかというと感激派だから、こんな殺し文句を言われると、もうとたんにメロメロになってしまう。

 それがしかも、私が最高に憧れている方からのお言葉となると…。

 ああ、普段なら、この先をいちいち説明するまでもなく、私の感動ぶりを想像していただくことにするのだが、今回はそうもいかない。

 今からくどくど説明させていただくので、しばらくのおつき合いを…。

 突然話は変わるがテレビや新聞を見ない人はほとんどいないと思う。

 しかし、テレビや新聞が完全に事実を伝えているかどうかということについて、疑問を抱く人はそのうちの何パーセントだろうか。

 あまりいないのではないだろうか。

 たとえば、デモをする労働者と警官隊が衝突したとする。

 その場面を報道するとき、カメラマンが警官隊側にいて投石したり警官を袋叩きにしている場面を写し「デモ隊大暴れ警官を袋叩き」と報道すれば、それを読む者は「なんというデモなんだ。まるで暴徒ではないか」と思うだろうし、逆にデモ隊側にカメラマンがいて、警官隊に小突きまわされ引き立てられていく労働者が映し出され「警官隊側が暴行」という見出しをつければ、見る側は「でたらめな警官だちだ。まるで暴力団ではないか」などと思ったりする。

 この二つの報道は決して虚偽ではない。事実なのだが、報道されたことは正反対なのである。つまり、記者の目、カメラマンの目が、そのまま読者や視聴者の目になってしまうのである。

 ということは、部分的報道を見て全体を安易に推理してはいけない、という教訓をもたらす…。

 おっ、なんだ、なんだ……、

 林葉の奴、日頃の言動に似合わず、何をエラそうなことを言ってやがるんだ。

 さっきの話の続きはどうした?

 そうだよ、お前さんのことをいつもいつも呼び続けている憧れのひとのことよ。

 あはははは、ホラね…、もう誤解している…。

 私は冒頭に書いた「直子」のこと…、

 あれ、誰だって私のことだと思うでしょ。でも、私は決して私のこととは書いてないはず。(もう一度読み直してクダサイ)

 あの言葉は、まぎれもない事実だが…

 しかし、残念ながら、ある会話の中の一部分なのである。

 その一部分が、ああ、本当に私に向けられていたら…、なんて(こりゃ、ちょっと言い過ぎかしら…)浅はかな女心が、冒頭にあんな言葉をもって来させてしまった…、お許しを。

 憧れの方のために、そろそろ誤解を解かなければいけない(私は誤解されたままで一向に構わないのだが…)。

 時は11月12日。ところは堺市。将棋の日である。

 第一部は紅白に分かれてのリレー将棋。

 第二部は、谷川名人対南王将の将棋を見ながら、ファンの皆さんに次の一手をあてていただく次の一手名人戦。

 この解説に出たのが、私の憧れの人と小林八段である。

 もうジラすのはよそう。

 そう。私の、いえ、女流棋士全員の、いえいえ、男性棋士も含めて、棋界全員の”憧れの人”、その人の名は、中原誠王座!なのである。

 そのときの私の役どころは、次の一手を予想するということだった。

 事件は、局面が中盤にさしかかったときに起きた―

 中原先生がマイクを片手に持ち、私に向かっておっしゃった。

「それでは、次の手を、林葉なに子さん…、い、いえ失礼、えっと、林葉…さんに答えてもらいましょう」

 中原先生、私の名前をお忘れになったのだろうか、と一瞬ちょっぴり悲しくなったが、どうやらそうではないらしい。

「林葉直子さん、次はなにを…」とおっしゃるつもりが、つい「林葉なに…」となったのだろう。

 よくあることだ。頭で考えていることとまるっきり違う言葉が口を突いて出たりするのだ。私など、しょっ中それで失敗している。

 私も、すぐに、先生もそんな失敗をされたのだなと気づき、先生の小さなあわてぶりを内心かわいらしく思ったものだった。ところが、ところが―

 私にとってはこっちのほうが大事件…!

 この日の打ち上げパーティのときに、中原先生自らが私のところに足を運んでくださった、今日の失敗を詫びられたのだ。

「そ、そんなァ!!」

 私は手やら首やら振りまくって、すっかり恐縮してしまった。

 そのとき、先生がつぶやくようにおっしゃったのだ…、

「うちの娘も、直子といって同じ字なんで、いつも、直子、直子と、直子の名を呼んでいるんだけどね…」

 うふふ……。

 真相は、ま、こんなところ…。

 ちょっぴり、いや、大いに残念だったなァ―

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直子という名前の女性は、意外と多いようだ。

例えば、本名が直子の著名人は、

大谷直子さん(1950年生まれ・女優)
野沢直子さん(1963年生まれ・タレント)
飯島直子さん(1968年生まれ・女優)
網浜直子さん(1968年生まれ・女優)
山崎直子さん(1970年生まれ・宇宙飛行士)
山崎直子さん(1972年生まれ・女優)

明治安田生命の調査によると、「直子」という名は1970年生まれの女性では7番目に多いとされている。

林葉直子さんは1968年生まれなので、まさに「直子」と名付けられた女性の多かった時代に産まれている。

中原誠十六世名人は1971年に結婚をしているので、直子さんの誕生はその後。

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村上春樹さんの「ノルウェイの森」のヒロインの一人の名前も直子。

1949年生まれの設定となっている。

「ノルウェイの森」は1987年に出版され、私もリアルタイムで読んで、とても雰囲気のある素晴らしい小説だと思った。

その後すぐ、村上春樹さんの他の小説も読んでみたくなり、三冊ほど買ってきて読み始めた。しかし、どの本も馴染めず、それぞれ初めの10数ページで読むのをやめてしまった。

「ノルウェイの森」が村上春樹さんの作品の中では違った傾向のものだということをこの時に理解した。

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この記事を書くにあたり、非常に興味深いブログ記事を発見した。

村上春樹の「好き」「嫌い」はどこで分かれるのか? に関する一考察(チェコ好きの日記)

この記事には、

『ノルウェイの森』から入った人は、高確率でアンチになる

と書かれており、思わず吹き出してしまった。

まさしく私はその通り。

そうなる原因にも言及されており、非常に説得力がある論旨展開だ。

別に私はそこまで”アンチ村上春樹”ではないけれども、「ノルウェイの森」以外の村上春樹さんの作品の面白さは私は一生理解できないだろうなと更に確信が持てたような感じがする。

それにしても、「チェコ好きの日記」を書かれている方の文章が面白い。