将棋世界1979年2月号、「好きな棋士」より。
好きな棋士アンケート結果
- 中原誠名人(1124通)
- 米長邦雄八段(901通)
- 加藤一二三九段(793通)
- 大山康晴十五世名人(562通)
- 升田幸三九段(488通)
- 内藤國雄九段(410通)
- 大内延介八段(367通)
- 森雞二八段(205通)
- 二上達也九段(196通)
- 花村元司九段(173通)
- 真部一男六段(173通)
- 森安秀光七段(74通)
- 有吉道夫八段(72通)
- 芹沢博文八段(55通)
- 石田和雄七段(52通)
以下、原田八段、田中四段、桐山八段という順序でした。
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このアンケートは、「二段にアタック」という次の一手問題に応募した読者からの回答によるもの。応募総数5959通。
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大山康晴十五世名人はまだ55歳の時。
升田幸三九段は現役中ではあったものの休場が続いており、この年の5月に引退をすることになる。
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加藤一二三九段の人気がこの頃から高かったことがわかる。
若手では、棋界のプリンスと呼ばれていた27歳の真部一男六段(当時)がランクイン。
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不思議なのはプロ棋士になってから2年経っている16歳の谷川浩司四段(当時)の姿がないこと。
谷川四段は、頭ハネで初年度の順位戦では足踏みしてしまったものの、2年目の順位戦では連勝中であり、戦績が停滞していたわけではない。
17位の田中四段(21歳の田中寅彦四段)も同様で、アンケート結果は決して若手有望棋士に温かいとは言えない雰囲気がある。
当時の将棋ファンの風潮がそうだったのか、あるいは二段にチャレンジする棋力のファン層がそうだったのか、どちらにしても今の時代から見ると不思議な感じがする。