将棋世界1981年7月号、能智映さんの「棋士の楽しみ(スポーツ)」より。
有吉が野球ファンという話はあまり聞かぬが、時と場合によっては異常な興味を示す。あれは、何年か前の王位戦リーグの終盤だった。俊英・田中寅彦現五段が初めてリーグ入りして、大阪へ出て有吉の胸を借りた。私が観戦記を書くことになっていた。一進一退、息詰まる好勝負だった。
ほかの対局は全部終わって、階下では”関西本部の主”みんなから「おとうさん」と呼ばれている角田三雄七段が一人で巨人-阪神戦のナイターをトランジスターラジオで聞いていた。私も、藤村-村山-田淵-掛布と歴代のミスター・タイガースを声援し続けてきただけに、将棋以上(?)にこの一戦が気になる。ときどき対局室を脱けて戦況偵察に行くのだが、どうも阪神の形勢が悪い。
不機嫌な顔でもどってきた私を見て、有吉が聞く。「タイガースは負けているんですか?」 ―重大な対局の終盤の難しい局面での会話である。ビクッとして、遠慮がちに「いや、どうも最近のタイガースは……」とまでいって、私は言葉に詰まった。あるいは意識していたのか、有吉は「ダメ寅(田中)は負けている」といわせたかったのかも、と思ったからだ。
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「タイガースは負けているんですか?」
「いや、どうも最近のタイガースは本当にもうダメ寅ですよ。ダメ寅が負けています。勘弁してほしいっすよダメ寅」
のような展開になっていれば、大成功。
火の玉流・有吉道夫九段が盤外戦術を用いることはなかったが、対局中でもこのような茶目っ気は十分にあったと考えられる。
対局相手からは恨まれず、善意の第三者のままでいることができる、非常に高度な盤外戦術と言うことができるだろう。