記者室に脱いであった袴

将棋世界1981年9月号、能智映さんの「棋士の楽しみ(和装)」より。

 楽しい和装のはずなのだが、着物について、ちょっとわびしい話もある。とりあえず三つだけ紹介してみようか。 古い順にいけば、佐藤大五郎八段だ。彼は昭和40年、王位戦で大山康晴王位に挑戦した。そのとき、迎えに来た記者を待たせて、「いや、家の前に新聞社の旗を立てた車が待っていると、近所の人が見てくれるからね」といったのは有名な話だ。1時間も待たされたか、―実は私の駆け出しけしのころの話だ。

 その佐藤、その時も羽織姿で待っていた。いまでも、くりごとをいう。

「あのとき、王位になるつもりで、15万円もかけて着物を作ったけど、4回だけ着てそれ以来まったく着てないよ。あれ、何回質屋に入れたかなあ」なんていうことろは、如何にも大チャンらしい。

 もっとも、そのころの15万円は大きい。今でいえば、200万に値するかも―。

 その倍の被害(?)を受けたのが10期(44年)の挑戦者西村一義七段だ。語りがらない彼に代わって丸田祐三九段がぼやく。

「あの王位戦七番勝負は、4対2だったけど、途中で千日手が1局あったので、事実上は7局になった。7月下旬にはじまって、8月、9月、そして10月に入ってしまった。コヨミを見ればわかるけど、ここで”着替え”だ。気の毒に西村君は、アイの着物も作ったんだよ。夏物とアイ、二つ作れば、対局料などいっぺんにふっとんじゃうよ。こういうの必要経費で認めてもらえないのかな」―読者の中に税務署の方が、もしおられたら一考していただきたいことだが―。

 石田の話は、そんなシミッタレたものではない。

 3年前だったか、順位戦でA級に昇りそこねた石田の袴が、記者室に”メガネ状”になって脱いである。なにしろ一日の対局で一本の扇子をぼろぼろにしてしまうという激情家の石田のこと。やけくそになって、足をスポッとぬいて、どこかに飛び出してしまったのだ。

 みな、いつか片付けに来るだろうと思っていたのが、翌日もその翌日も目ざわりなメガネがそこにある。4、5日後になくなっていたが、よほど口惜しかったのだろう。

——–
悲喜こもごもの和服。

ところで、パソコンの調子がかなり悪く、昨日かなりの時間をかけていろいろやってみたものの、復活の目処は立たず。
Aptio Setup Utilityが出てきて、そこから抜け出せないというもの。

棋王戦の昼食予想もやりたかったのですが、スマホからの書き込みでは困難。(この記事は引用部分を書きだめしてあったものです)

どうなることやら。