「藤井システムは、これで満足なのだ」

将棋世界2001年9月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 A級順位戦の加藤九段対藤井竜王戦はリクエストしたいような組み合わせである。前々からそう思っていた。というのは、加藤九段は、藤井システムがもてはやされているのに、首を傾げているはずだからである。ご存知のように、藤井システムは、早い時期に端歩を突く。相手の出方を見る意図だが、それを加藤流棒銀で速攻をかければ、端の一手が手遅れになる、というわけだ。

 残念なことに、二人の対戦はめったに見られない。当たるとすれば順位戦だが、クラスが違うので望みなしとあきらめていた。ところが、昨年、加藤九段が残り、藤井竜王が昇ってドリームマッチが実現した。

 1図が開始から10手進んだ場面。

 なんていうこともない手順と局面だが、細かく見れば、藤井、森内、高橋といった人達に共通する賢さがあらわれている。いつもの藤井だったら、△6二玉では△9四歩か△7二銀と上がる。あるいは△3二銀か。とにかく△6二玉とは上がらない。居飛車穴熊のとき都合がわるいからである。先手も穴熊に組むために、囲う途中で▲3六歩と突き、急戦を見せて、△6二玉を要求するくらいだ。

 つまり藤井竜王は、加藤九段の作戦を読み切っていて、万が一の超急戦に備えて玉の囲いを急いだわけで、相手によって手を変えるのである。

 そうして組み上がった形が2図。なんのことはない。古典的な定跡形となった。藤井システムは、これで満足なのだ。

2図以下の指し手
▲4六歩△1二香▲3五歩△4二角▲3八飛△5三角▲1六歩△4二金(3図)

 上の順もきわめて当たり前。何十年も前から指しつくされた形だ。加藤九段の得意形のはずだが、ここから例によって加藤流逡巡の法がはじまる。

 まず大長考で▲1七香から▲1八飛と回り、▲1五歩と仕掛けるのかと思ったら、やめて▲4八飛と転じる。以後は、左の香を上がったり、飛車を引いたりと手待ちをつづけ、結局4図のような形になった。

 △8四角と出た形は、大山名人好み。これを指したいから、なかなか△7三桂と跳ばなかったくらいだ。

 それより、4図を見た控え室の面々が唖然としたのは先手の二枚銀の形。2六の銀はいったい何者であるか。これが5七のあたりにあれば普通である。

 しかし、4図をひどい姿と嗤ってはいけない。こういう感覚でもって、九段になってから700以上も勝ってきたのだ。普通の、2六の銀が5七にあるような形を指していたら、九段にもなれなかったろう。プロはなによりもまず個性的な手を指さなければ長く勝てない。

(以下略)

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この対局は、終盤、加藤一二三九段が猛烈に追い込んだものの、藤井猛竜王(当時)が勝っている。

2六の銀は取り残されたままだった。

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棒銀対振り飛車は、非常に昔から指し続けられている対抗形。

1972年の名人戦、大山-中原戦では、中原誠十六世名人の棒銀がことごとく敗れている。

また、藤井猛九段の著書では、対棒銀には3図のように△4二金と指すのが対棒銀の決定版だと書かれていた記憶がある。

とはいえ、私の場合、棒銀に対する勝率は悪く(定跡の変化が多すぎて覚えきれていない、というか覚えるのが大変そうなので覚えようとしていない)、棒銀にされると心が暗くなることが続いている。

振り飛車にとっての対棒銀の指し方がまとめられた本(実戦集ではなく講座型)があったら、きっと私は買うと思う。