大山康晴十五世名人「将棋というのはおもしろいものでね、確信のない、不安な気持ちで指した好手よりも、自信持って指した悪手の方がいい結果が出る、ということがあるんです」

将棋世界1992年12月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 棋士とは何か」より。「名人になる法」に対する大山康晴十五世名人の答え。

「棋士が強くなるためには、謙虚さが必要です。謙虚であると同時に、自信を持つということ。これが名人になるために必要じゃないでしょうか。あまり謙虚にすぎて、自信を失くしてはいけない。かといって自信を持ち過ぎ、将棋を軽く見る気持ちが少しでも出ると、棋士の成長は止まる」

「謙虚と自信の境目がどこにあるか。棋士一人ひとり、人柄や生い立ちによって境目が違う……結局は自分の目で、自信と謙虚の境目を見きわめなければいけないんで……ここが奥山さん、一番むつかしいんです」

「私は、幸いにも兄弟子に升田さんという人もいたし、先輩で木村名人という人もいた。こういうすぐれた人に追いつきたい、追い越したいの一念で将棋を指してきました……だから一つや二つタイトルを握ったからといって、安心することができなかった。『自分のほかに強い人がいるんだ』という意識がいつもあって、油断できない、気が抜けないと思い続けてきたんで、何とか五冠王になることも出来たと思います」

「謙虚・自信というと、大抵の人はせまい意味に取るんです。対人関係というふうに考える。『あの人は謙虚だ』というのは、『あの人は腰が低い』とおなじ意味に考えるんです」

「しかし、棋士の謙虚というのは、仲間やアマチュアの方への態度はもちろんありますが、大事なのは将棋に対する謙虚さなんです。世渡りのことじゃない」

「自分の取ったタイトルに満足しないいうこと。そして、ほかの人の将棋を信用せんと言っちゃ言葉は悪いが、自分(の目)を信じるということ……これが私の場合、謙虚と自信の境目にあったんじゃないかと思います」

「将棋というのは奥山さん、おもしろいものでね、確信のない、不安な気持ちで指した好手よりも、自信持って指した悪手の方がいい結果が出る、ということがあるんです」

「自分に読めない局面が、相手に読めるはずがない。そう思ってると、ふしぎに相手もまちがう。自分を信じるいうのはそういうことなんです(笑い)」

「それなら、その自信はどこから出て来るか。ふだんの勉強から来るんです。それじゃ、なぜ勉強するんか。それは自分に満足していないからだと、話はまた元に戻る(笑い)。謙虚と自信いうのはそういう関係にあるんですよ」

 録音テープからの長い引用になったが、11年前の1981年、私の問い「名人になる法」に対する大山十五世名人の応答である。

 本稿を書くに当たって、改めてテープを聞き直した。随所に大山将棋を支えた志の高さがにじみ出ている。

(以下略)

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将棋世界1972年5月号より。

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「棋士が強くなるためには、謙虚さが必要です。謙虚であると同時に、自信を持つということ。これが名人になるために必要じゃないでしょうか」

真髄というか、まさにその道の奥義が明解に語られている。

これは将棋に限らず、どの分野でも言えることだと思う。

しかし、

「謙虚と自信の境目がどこにあるか。棋士一人ひとり、人柄や生い立ちによって境目が違う……結局は自分の目で、自信と謙虚の境目を見きわめなければいけないんで……ここが奥山さん、一番むつかしいんです」

ということで、公式はできているけれども、当てはめるパラメータは自分にとって最適なものを見つけなければ、うまく運用することができない。

自分にとって最適なパラメータを導き出す公式は存在しないわけで、この辺が人生の難しいところ。

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「確信のない、不安な気持ちで指した好手よりも、自信持って指した悪手の方がいい結果が出る、ということがあるんです」

ここで言われている「悪手」は、

  1. 自信を持って指した手だったが、後から実は悪手だったと判明した
  2. 悪手だとわかっていたけれども、相手の棋風から、この手はとがめてこない、あるいは嫌がると判断して自信を持って指した

のどちらのケースなのかわからないが、大山康晴十五世名人のことなので、両方だとも考えられる。

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「しかし、棋士の謙虚というのは、仲間やアマチュアの方への態度はもちろんありますが、大事なのは将棋に対する謙虚さなんです。世渡りのことじゃない」

これは格好いい言葉だ。

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「自分に読めない局面が、相手に読めるはずがない。そう思ってると、ふしぎに相手もまちがう。自分を信じるいうのはそういうことなんです」

最高峰の位置に長くいたからこその重みのある言葉。

とはいえ、棋力が近いアマチュア同士の対局においても、心掛けておいて損はないことかもしれない。