2020-05

奨励会

山崎隆之4級(当時)

将棋マガジン1993年4月号、「スポットライト奨励会」より。  ここ2、3年、やや小粒化した観のあった関西奨励会だが、久々に大物が現れたようだ。この山崎君、11歳(本誌発売時には12歳)という若さもさることながら、新入会後の星が◯◯◯◯●◯...
観戦記

村山聖六段(当時)「実力が足りませんでした。弱すぎます」

将棋世界1993年4月号、中野隆義さんの第42期王将戦第4局(谷川浩司王将-村山聖六段)観戦記「聖よ、もっと爪を伸ばせ」より。 「終盤は村山に聞け」という物言いが耳に入ってきたのは、村山がデビューして間もなくのことであった。関西将棋会館の棋...
観戦記

村山聖六段(当時)「もう終盤なので戸惑いなく封じました。しかし形勢はちょっと悪そうなんで憂鬱です。攻め合いは一手負けそうなんですよ。どうしましょう」

近代将棋1993年4月号、井口昭夫さんの王将戦七番勝負第4局〔村山聖六段-谷川浩司王将〕観戦記「王将戦第4局を見て」より。  村山六段は悲観型の棋士らしい。3局までの将棋を見、その感想を聞いても実際以上に悪くとっていることが多かった。悲観型...
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屋敷伸之六段(当時)「マンセルを好きなわけは、なんといっても危ない魅力にあります」

近代将棋1992年5月号、屋敷伸之六段(当時)の連載講座「寄せるが勝ち」より。  車の免許をとってから、旅行することが多くなってきた。去年の11月に福島へ行ったのを皮切りに、いろいろなところへ乗り回している。  どこからつながっているのか、...
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羽生善治三冠(当時)が村山聖六段(当時)に送った声援

将棋マガジン1993年3月号、羽生善治三冠(当時)の「今月のハブの眼」より。  12月は角換わりの将棋がとても多かった。8局中4局、ちょうど半分である。矢倉が主流となっているプロ棋界ではとても珍しい。  と言うわけで、今月は角換わり特集にす...