羽生善治三冠(当時)が村山聖六段(当時)に送った声援

将棋マガジン1993年3月号、羽生善治三冠(当時)の「今月のハブの眼」より。

将棋世界1992年11月号より、撮影は中野英伴さん。

 12月は角換わりの将棋がとても多かった。8局中4局、ちょうど半分である。矢倉が主流となっているプロ棋界ではとても珍しい。

 と言うわけで、今月は角換わり特集にする。

 まずは、12月7日の全日本プロトーナメント、丸山五段との一戦から。丸山五段はご存知の通り、角換わり腰掛け銀のスペシャリストである。

 先手番における採用率は100%である。毎日、早朝から研究していて、ありとあらゆる変化に精通しているらしい。

 角換わり腰掛け銀対策は大きく分けて二つあり、追随して後手も腰掛け銀にするか、棒銀にするかである。

 棒銀にする方が積極的に思えるが、専門的に言えばそうではない。

 角換わり後手番の棒銀は千日手狙いの消極的な作戦である。

 本局は私がそういう作戦にした。

(中略)

 それにしても実戦の展開は意外だった。やはり机上の研究では限界があるようだ。

 実戦で指してこそ新しい発見があるのだと思う。

 本譜はこの後、ごちゃごちゃした混戦になったが、何とか勝ち切ることができた。

 2局目は12月9日の王将リーグ、村山聖六段との一戦から。

 村山六段は関西の俊英。

 今までは終盤の力強さが強調されることが多かったが、序盤の研究も進めて一段とパワーアップしたようだ。

 村山六段も角換わり腰掛け銀を得意としている。

 そして、勝率も高いようだ。

 私は、本局は腰掛け銀で対抗した。序盤では水面下で色々な駆け引きがあったが、結局、よくある形に戻った。

 9月に佐藤康光六段と指した将棋と同じ展開となったが、その時は私が先手を持っており、本局では後手を持っている。

 その理由は9月の将棋では勝負には勝ったものの、岐れでは悪くなっており、2図では後手が指しやすいと思っていたからだ。

 対佐藤戦では私は▲4六角と指して△同銀▲同飛△5五銀▲4五飛△4四銀打と進み、先手の私は自信がなかった。

 村山六段がどう思っていたかは解らないが、2図で▲4四香と手を変えて来た。

 私はこの手も対佐藤戦の時に読んだのだが、自信が持てなかった。

 それが本譜の順である。

 2図から▲4四香△4三香▲同香成△同金▲4六角△同銀▲同飛△4四香▲4五歩△同香▲同飛△4四歩▲4九飛△2七角▲3九飛(3図)と進んだ。

 この局面で先手を持っていた時は飛車をいじめられてまずいと思い、読みを打ち切った。

 ところが、後手を持って3図の局面になってみると飛車をいじめる具体的な手順が見つからないのだ。

 △2八銀ならば▲2九香、△1七角ならば▲3七飛でいずれも飛角交換になってしまう。

 飛角交換になってしまうと陣形の薄い後手はとても勝ちきれないのだ。また、後手は歩切れが痛く、3図で後手はどう指して良いのか、私は未だに解らない。

 すでに3図は後手が苦しいのかもしれない。

 この将棋は終盤で1回勝ち筋があったのだが逃してしまい負けてしまった。そして、プレーオフでも再び村山六段に負かされてしまった。

 彼はその後米長九段にも勝ち、王将戦の挑戦権を獲得した。

 タイトルマッチの方も頑張ってね。

 3局目は12月14・15日の竜王戦第5局、谷川浩司竜王との一戦から。

(以下略)

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王将戦挑戦者決定戦。将棋マガジン同じ号より。

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「それにしても実戦の展開は意外だった。やはり机上の研究では限界があるようだ。実戦で指してこそ新しい発見があるのだと思う」

かなり深くまで、とことん研究をしていたからこそ、このように感じることができたのだと思う。

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「そして、プレーオフでも再び村山六段に負かされてしまった」

この期の王将戦リーグは、羽生善治二冠(当時)、村山聖六段(当時)、米長邦雄九段によるプレーオフとなった。3人とも血液型はAB型。

羽生善治竜王(当時)「AB型だけのプレーオフは初めてかもしれない」

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「タイトルマッチの方も頑張ってね」

現在に至るまで、羽生九段が活字の形で同年代の棋士に声援を送ったのは、私の知る限りでは、この時だけだと思う。

個人的な気持ちとともに、同じ棋戦で自分を続けて二度も負かしたのだから七番勝負もぜひ頑張ってほしいという思い、両方が重なったのかもしれない。

 

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