将棋世界1993年12月号、大崎善生編集長(当時)の「編集後記」より。
森信雄さんの結婚が決まりました。檜森恵美子さん、とても素敵な方です。
「その女性に連盟から感謝状を贈るべきじゃないか」とその報を知った米長名人も満面の笑み。
「知り合いが幸せになることは本当に嬉しいよ」と森さんを祝福。
「大崎さん、長い間世話になりました」と森さんに言われた時は、なぜか涙ぐんでしまいました。もっとも最近は「こんな幸せでええんかね」攻撃の日々。
41歳の春、お幸せに。
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将棋世界1993年12月号、バトルロイヤル風間さんの「月刊バトルロイヤル ネコ山一門のガーン」より。
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「その女性に連盟から感謝状を贈るべきじゃないか」と言う米長邦雄名人(当時)。
4コマ漫画で将棋界が受けた衝撃を描くバトルロイヤル風間さん。(4コマ目だけ既婚者)
一人の棋士の婚約について名人が所感を述べたり、4コマ漫画になったり。
それほど森信雄六段(当時)が周りから愛されていたということだ。
後の将棋世界のグラビアでは、「平成将棋界の奇跡!?」とも書かれている。
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将棋世界1994年1月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。
さて、盛況の名匠展の裏方で奔走して疲れはてた森(信)六段が、ロビーのソファーに横たわっていた。
「あー疲れた」
「そうですか?私には体は疲れてても目が楽しそうに見えるんやけど」
「ふふ、そうか。さえんな」
「ははあ、結婚が決まって心ここにあらずっちゅうやつですね」
とにかく最近の森さんは表情が変わった。柔らかくなった。
既報の通り、森六段が結婚することになった。
お相手は檜森恵美子さん。
(中略)
聞くところによると天地真理似の美人だそうで、私が「いっぺん会わしてーな」と頼むと「そやな、一対一は危ないからワシが付きっきりでちょっとだけな」とおっしゃる。
出会いは森さんの主催する将棋教室に恵美子さんのお母さんが通っていたことから始まる。
森さんの人柄が気に入ったお母さんの取りはからいで、9月初めに会って、2回目のデートで結婚を決めた(と本人は言っているが、会う前から話があった時点で決めていたとカンキはみるが)。
とにかく「ワシは一生結婚なんかせえへんのや。独身で行くんや!」と悲しい叫びを繰り返していた森先生。目の前に現れたマドンナに「感謝の気持ちでいっぱいや。大事にするわ」と喜びをを隠さない。
これからは理事の激務も目だけは笑っていられそう。
天地真理さんは1951年11月5日生まれ、森信雄七段は1952年2月10日生まれで、学年が一緒の同い年だ。
そういう意味では、森信雄七段は天地真理さんのファンだったのかもしれない。
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将棋世界1994年3月号、グラビア「森信雄六段、結婚式行われる」より。
1月12日、大阪のメルパルクホールで、森信雄六段、檜森恵美子さんの結婚式が作家黒川博行夫妻御媒酌のもと行われた。
昨年の婚約以来「こんなに幸せでええんやろうか」が口癖の森六段は、流石に満面の笑み。次々と繰り広げられる辛口の祝辞に場内は笑いが絶えず、実にアットホームでなごやかな式となった。「一時はもう結婚はできないとあきらめていたのですが」と最後には自分自身にも辛口のスピーチ。有吉九段をはじめとする約140名の出席者が平成将棋界の奇跡!?を温かく見守っていた。
式の最後にはとうとう感激のあまり大粒の涙を流してしまった。心優しい41歳の森さんと御夫人に幸多かれ。
将棋世界、同じ号の大崎善生さんの編集部日記より。
1月12日
森さんの結婚式出席。森さんが敬愛する西川孟カメラマンの「純情をヘドロで包んだような男」に場内大爆笑。当たってる。
当日、司会の神吉さんからいきなりスピーチの依頼にビックリ。何で前に言ってくれないんだ、と聞くと「そんなこというたら、大崎さん式に来んくなるからな」に妙に納得。有吉九段、南九段、勝浦九段、福崎八段らそうそうたる棋士達を前でのスピーチは本当に照れくさかった。
(中略)
弦巻さんと新大阪でコロッケを買い、ビールを飲みながら帰京。一日中、心がほんわかしていた。
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将棋世界1994年3月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。
1月12日。新大阪駅近く、メルパルクOSAKAでは森(信)六段と檜森恵美子さんの披露宴が盛大に行われた。140人もの人が祝福に訪れて二人は幸せそう。
私は司会役をかって出たが、森流の餌食になった。何と、祝辞から歌、果てはケーキ入刀、祝電紹介の何ひとつも頼んでいなかったのだ。
祝電なんか輪ゴムで束ねてドサッと置いてあるだけ。どれを読んでいいのやら。まったく誰の結婚式なんやろ・・・。
奥さん側はちゃんと頼んでおられたので助かったが「すまんな、適当にやってくれや」の森流にやられた。
それでも頼みに行った皆さんは快く引き受けてくれて、人徳じゃのうと感心する。ところが友人のスピーチになると「信じられない」とか「天変地異が起こった」などもう無茶苦茶(私もその口)。
まあ、そんなことはええとして、ほんまによかったですねえ森先生。
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『泥だらけの純情』という映画があったが、西川孟さんの「純情をヘドロで包んだような男」は、ニュアンスが少し異なる。
本当に含蓄のある言葉だ。
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近代将棋1994年3月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
森六段、東七段、脇七段、浦野六段、池崎が集まり、福島村マージャン研究会の解散式。
2、3年前まで、このメンバーで「研究会」と称して定期的にマージャン大会をやり、その積立金で毎年一回、一泊二日の小旅行に行くという”優雅な遊び”をやっていたのだが、最近は旅行どころか、マージャン大会そのものが難しくなってきたので、いっそのこと解散しよう、となったのだ。
グループが結成されたのは、7、8年前のことで、当時、私と東さん以外はみんな独身だった。その後、脇さんと浦野さんが結婚して、それぞれ福島区から生駒市(脇)と吹田市(浦野)へ転居。これだけならまだよかったが、最後のトリデだった森さんが1月初旬に結婚し、近く宝塚市へ移るとあっては、もういけない。結局、研究会は解散する運命にあったのだ。
私としては、マージャンや旅行はどうでもいいが、一緒に酒を飲む機会が少なくなるのが何とも寂しい。
解散式といっても、別にセレモニーはなく、半日、マージャンをやっただけ。脇さんの一人勝ちだった。
夜、森夫妻を囲んで、てっちりをつつく。私が恵美子夫人に会うのは二回目だが、他のメンバーはこの日が初めて。
森さんが手洗いに立ったスキに、脇さんが恵美子さんに突撃インタビュー。
脇「きょう、ウチのヨメさんに”ぜひ奥さんに聞いてきてほしい”と頼まれましてね」
恵美子さん「はァ・・・」
脇「”森さんの、どこが気に入ったんですか”って」
東「そうや!それをぜひ、教えてもらわなイカン」
そういえば、私もまだ聞いてなかった。浦野さんもウンウンうなずいている。
恵美子さん(恥ずかしそうに)「純粋な人だなと思って・・・」
もっといろいろ聞きたかったのだが、森さんが戻ってきたので、質問はストップ。みんな素知らぬ顔で、てっちりに手をのばした。
某月某日
大阪市淀川区の「メルパルク」で森さんの結婚披露宴(挙式は12月にすませてあるのでパーティーだけ)。将棋関係者を中心に約150人が出席した。
媒酌人はミステリー作家の黒川博行さん夫妻で、司会は神吉五段。
お色直しはなかった。これは森さんの最初からの作戦だったようで、その心は「席をはずしている間に、スピーチで何をしゃべられるかわからんから」
しかし、この作戦は失敗だった。というのは続々とホンネのスピーチが飛び出したからだ。一番のケッサクは、写真家西川孟さんの次の言葉。
「森さんは、純情をヘドロで包んだような人です」
弟子の村山七段のスピーチもおかしかった。
「僕は森先生が結婚することを、新聞を見て初めて知ったんです。弟子に言わない師匠がありますかねェ」
この”新聞”はスポーツニッポンのことで、昨年10月に記事が出た。
私はもっと前に本人から聞いていた。しかし、「来年になるまで、だれにも言わんといて。これは村山君も知らない話だから」と口止めされていたので、だれにも言わなかったし、どこにも書かなかった。ところがスポニチにリークしたのは森さん自身だったのだ。これには呆れましたネ。
披露宴が終わってから、森夫妻、黒川夫妻、松田道弘さん(私のチェス仲間)らと一緒に喫茶店へ。
「仲人やるのは、森さんが初めてなんですよ。とても疲れました」と黒川さんが言うと、森さんが笑って「新郎も疲れました。これがホンマのシンロウ(心労)やね」。しょーもないシャレ。
この席で私は、またまた美しい言葉を聞いた。だれかが恵美子さんに、いつぞやの脇さんと同じ質問をしたとき、彼女はこう言ったのだ。「私にとっては、神様みたいな人です」
私も一度でいいから、妻にこう言われてみたい。
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「森さんの、どこが気に入ってました?」
天国で池崎さんが村山聖九段に同じことを聞いて、村山九段は森信雄七段の奥様と同じことを答えているに違いない。