米長邦雄九段「そのどちらかが優勢になっていることを敏感にかぎわけられる男と、全くそれに気づかずにいる男。この違いが、どちら側を持っても勝つ男と、どちらを持っても負ける男に分かれていく」

近代将棋1995年8月号、米長邦雄九段の「矢倉がいちばん」より。

将棋マガジン1995年5月号より。

 南芳一九段は、いわゆる花の55年組の一人で、谷川浩司王将のあとに輩出した棋士群の旗頭である。

 この年代もまた優秀なプロ棋士が多く、高橋道雄九段、中村修八段、塚田泰明八段、福崎文吾八段らまさに百花繚乱の華やかな顔ぶれである。

 谷川王将の「21歳名人」は別格として、55年組の棋士は20歳前半でタイトルを獲得している。

 しかし、結婚してからタイトルを取った者はいない。これは単なる偶然であろうが、私なんかは銀婚式をすませてから「名人」である。

 南九段は「地蔵流」の異名があるように、その対局態度は正座で目前として微動だにしない。

 全く無口な男で、かつて私が王将位を彼と争ったとき、「南先生より多くを語らない」と私は宣言した。

 対局の朝に顔があったとき「おはようございます」、そして昼食注文に「鍋焼きうどん」だけで、一日が終わったことがある。南九段より多言しないということは、一言もしゃべらないことになる。わが宣言は私にとって一種の苦痛であった。

 しかし、その寡黙の南九段も家庭では、あんがいしゃべるという話である。

 独身時代から2軒の家を持っていて、一軒はマンション、もう一軒は土地つきの豪邸と聞く。南九段が王将、棋王の二冠王に輝いているときで、私はこれをもじって「二軒王」と称していた。

 今期はA級から陥落したが、実力のある南九段である。またタイトル戦線で活躍することはまちがいない。

 さて南九段は矢倉党である。私は後手番ではあり、南先生の矢倉に追随する形で序盤を指していった。

 そして28手目の△6四角と出たところである。

 この△6四角の形、また同じではないか、とおもわれるファンは多いだろう。

 しかし、このあとどんな変化になるのか。これがまたおもしろい。

 矢倉ファンに一言申し上げると、ここまでは先手も後手も、どちらが優劣なのかだれにも分からない。

 ここからの数手は、きわめて自然な常識的な流れになるが、そのあと10数手になった段階では、すでにどちらかが優勢になっている。おそろしいことだ。

 つまり双方が10数手の自然な手を指して、それで優劣の差が生じてくる。

 そのどちらかが優勢になっていることを敏感にかぎわけられる男と、全くそれに気づかずにいる男―。このちがいが、どちら側を持っても勝つ男と、どちらを持っても負ける男に別れていく。

 ここが平成時代の矢倉の一大特色である。

(以下略)

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「そのどちらかが優勢になっていることを敏感にかぎわけられる男と、全くそれに気づかずにいる男―。このちがいが、どちら側を持っても勝つ男と、どちらを持っても負ける男に分かれていく」

以前勝った戦型(局面)の逆を持って戦う棋士は多い。

もちろん、その後の研究で新手を発見して、その新手を試してみようということがベースとなっているのだろうが、根底にはこのような「どちら側を持っても負けない」という矜持のぶつかり合いがあると考えることもできそうだ。

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「二軒王」

誰かに使ってみたくなるが、何かで二冠王になった人に対してでなければインパクトは薄いので、残念ながら、一生のうちで1回使えるかどうかの言葉だと思う。