三浦弘行五段(当時)「じつは少しは研究していました」

将棋マガジン1995年9月号、田丸昇八段(当時)の第66期棋聖戦五番勝負第3局〔羽生善治棋聖-三浦弘行五段〕観戦記「羽生、5連覇で永世棋聖に」より。

第3局。公開対局前に精神集中をしている三浦弘行五段。将棋マガジン同じ号より、撮影は中野英伴さん。

三浦五段のこと

 研修会から奨励会に入り西村一義八段門下で埼玉県在住と聞いて、あの三浦少年かと思い浮かんだ。私は10年前に研修会の幹事をしていて、その中に西村門下で埼玉県在住の三浦少年がいた。だが今日の三浦五段とは顔つきがちがうし、将棋もこんなに強かったかなと、少々訝しく思ったものだ。調べてみたら、同姓の別人だった。師匠、住まい、年齢、昇級(2級まで一緒)が同じなので、当時もよくまちがわれたらしい。

 私と三浦五段は佐瀬勇次名誉九段一門で、オジ・オイの関係にあたる。だがエトが二まわりもちがっては、私的なことは丸っきりわからない。将棋が強いということは、昨年の2局の対戦で思い知らされた。

 最近掲載された三浦五段のプロフィール記事を拾い集めてみた。尊敬する棋士は大山康晴十五世名人。昇級の一番をのがしたことがない。将棋に負けたのをこだわる性格。研究会には参加せず独自に研究する。子供の頃は一人遊びが好き。気晴らしはテレビでプロ野球観戦。好きな飲物はお茶で、アルコールはきらい。好きな女性のタイプはしっかりした人で、巨人の落合選手の奥さんのような感じの人!

 ウーン、よくわからない。いえることは、世俗にまみれず自分に正直にありたいということか。性格は柔和そうだが、がんとして譲らない剛毅な一面がある。こんなエピソードがあった。

 夏の暑い日に、ある棋戦で大先輩の棋士と対局した。大先輩の棋士は大変な暑がりで、対局室の空調を操作して設定室温をかなり低くした。一方の三浦五段は大の寒がりだ。しばらくして、相手の考慮中に空調を操作して室温を上げた。それから数分後、かの大先輩は再び空調のスイッチに手をかけた。また数分後、寒さに震える三浦五段が立ち上がって空調を操作する―。

 以後の光景は、あらかた想像がつくであろう。将棋で交互に一手一手指すように、空調の設定温度は数分ごとに何度も上下したという。大先輩の棋士と三浦五段は、盤上の戦いだけでなく室温の高低をめぐっても火花を散らしていたのだ。

 対局室の温度はどのくらいが適温か。希望が分かれたら後輩は先輩に従うべきか。対局規定では特に決まりはない。一般的には先輩の考えに任せるものだが、三浦五段は先輩を軽んずるつもりはなかったし、対局においては誰もが対等という主張もなかった。ただ単に寒かっただけで、それを正直に行為としてあらわした。

 実直な三浦五段らしいエピソードである。このあたりが、よくわからないが大物の資質ありといわれる所以であろう。

秀吉の一件

 私は今年5月の棋士総会の理事改選で退任するまで、3期6年の理事職を勤めた。主な担当は出版業務だったが、最後の1年は広報業務が加わった。皮切りは例の女流棋士失踪事件で、今年に入ってからは羽生棋聖のマネージメント業務を自身の要請により代行した。

 公文式や明治乳業のCMの交渉事や制作、取材の申込みの対応など、連盟の広報責任者として各マスコミや企業と折衝した。CM制作やテレビ出演の現場にも立ち合ったが、込み入ったCMの制作工程を羽生棋聖がさらりとやってのけたり、巨人の長嶋茂雄監督との対談で堂々と、かつ爽やかに渡り合ったことなどに、私は大いに感心させられた。

 羽生棋聖は今や将棋界の顔だけではない。日本を代表する文化人の一人といってよいだろう。それを象徴するのが、羽生棋聖の七冠制覇がかかった今年3月の王将戦第7局である。対局場の青森県の十和田湖近くのホテルには、ほとんどのマスコミが集まった。歴史的偉業が達成された時に備えて私も出向いたが、最後の一日がとても長く感じられた。

 羽生棋聖への仕事依頼と取材申し込みは今も引きを切らないようだが、ユニークな一件を紹介しよう。相手は天下のNHKである。だがテレビ出演や談話取材ではない。依頼内容はなんと羽生棋聖の書であった。

 NHKの来年の大河ドラマは豊臣秀吉の生涯を描く「秀吉」が内定しているが、その題字を羽生棋聖にお願いしたいというのだ。制作担当者は「天下取りに邁進した秀吉のイメージを現代に置き換えて考えると、将棋の羽生先生しかいません」と殺し文句を吐く。私と広報職員は、とてもいい話だと乗り気になった。毎週日曜の8時すぎに羽生棋聖が書いた題字と氏名が全国のテレビに映るのは大変すばらしいことだ。将棋界のイメージアップにつながる。羽生棋聖は高名な書の先生に習っているから技術面で心配ないし、秀吉の字そのものが書きやすい。

 私たちはぜひやりましょうと決め、本人の羽生棋聖に打診した。さすがの羽生棋聖も思わぬ話にびっくりしたようだ。だが少考の後に「いやァ、この話はちょっと……」と、断られてしまった。将棋以外のことは自分をよくわきまえていると思った。でも引き受けてほしかったなァ……。私の広報担当時代の心残りがこの「秀吉」の一件である。

女性ファン考

 棋聖戦が年一期制に移行したのを記念して、第3局は山形県天童市で公開対局を行った。対局場は「天童ホテル」で、5月の新装オープンで新たに設けた将棋対局室のこけら落としも兼ねていた。昼食後の午後1時からはホールのステージに対局室を移し、200人以上の将棋ファンが注視する中で終局まで対局を公開した。

 最近の将棋イベントには多くの女性ファンが参加するが、この日も50人近くの女性が来た。地元の東北各県だけでなく、東京・大阪・福岡からの遠来の参加者が多々いた。

 女性が将棋に興味を持つきっかけは、テレビの羽生CM、雑誌の将棋漫画、ファミコンの将棋ソフトなど様々である。初めは羽生ファンから始まるが、やがて将棋界と棋士の魅力、将棋のゲームの面白さなどを見直して、将棋に熱中していくパターンが多い。何よりありがたいのは、将棋のためのお金と時間を惜しまないことだ。そして女性同士の連帯感が強い。男性には自分だけ強ければよい、楽しめればよいというタイプが時にいるが、女性達は電話やファックスで将棋の情報を交換しあい仲間を少しずつ広げている。その延長線上として、女性だけの将棋ファンクラブも最近できたという。

 新しい時代の21世紀に、将棋が国民的レジャーとして定着し、将棋界が今日のように社会的に確立しているかどうかの第一のカギは、多くの将棋ファンの支持だと思う。その中に女性がある程度の割合でいれば、将棋界の未来は安泰であろう。

 だから、女性ファンの増加は羽生人気による一過性の現象で1年先はわからんなどと、他人事のように冷ややかにいう将棋関係者の言葉には腹が立つ。オンナが見向きもしない世界は、やがてオトコも離れていくのだ。

 公開対局の会場に来た何人かの女性ファンに話を聞いてみた。

 横浜の大学生のWさんは「就職の第一志望に羽生さんのお嫁さんと書きました(笑)」というほどの羽生ファン。秋田のSさんは「将棋雑誌はすべて買います。7月は棋聖戦イベントや名人就位式があるので大赤字」といいながらもニコニコしている。大阪での放送関係の仕事をするFさんは「第4局は大阪でやるので今日はぜひ三浦さんに勝ってほしい」と三浦五段を応援する。八王子の生保OLのTさんは「将棋イベントはほとんど皆勤。岡崎や府中にも行きました。まわりの女性には将棋をどんどんPRしています。オウムでいえば、在家信者を出家させる新信徒庁長官かしら」と、たのもしいことをいう。

 前おきがだいぶ長くなった。羽生棋聖の防衛なるかどうかの一戦を解説する。

(中略)

 第1局と第2局は三浦五段が振り飛車作戦を採ったが、連敗したこともあって本局は居飛車に変えた。

 羽生棋聖は矢倉ではなく角換わりの将棋を選んだ。

 1図は何の変哲もなさそうな序盤戦。相腰掛け銀の戦型が予想されたが……。

 1図の△7四歩はやや危険な一手。△5二金や△5四銀なら無難である。

 羽生棋聖は敢然と▲6五歩と突っかけた。△同歩は▲5五角が飛車香両取りになる。30分考えたのは、その後の読みと決断の時間であった。

 三浦五段はこの手をうっかりしたわけではない。だがカド番の一局としては、大胆な誘いのスキだ。局後にそのことを問うと、「じつは少しは研究していました」と答えた。正直な男である。

(中略)

 ▲6一飛から▲6六飛成と香を取り、羽生棋聖は盤石の態勢を築いた。受けるとみせて攻め、攻めるとみせて受ける攻防の妙技は、プロの私も大いにうならされた。これをさり気なくやってしまうのが羽生棋聖のすごさである。

 公開対局のホールでは、将棋ファンが固唾を呑んで熱戦を見守っている。終盤の激闘を目の前で見る機会はそうあるものではない。指導対局や大盤解説の特典があり、それに記念の扇子がついて5千円の会費は決して高くないはずだ。

 ▲6六飛成の局面で、心なしか三浦五段の表情から精気が抜けたように見えた。すると、三浦五段の名前が書いてある大盤に張った紙が、空調でセロテープが乾いたのかハラリと舞い落ちた。これがすべてを物語っているようで、以下は形づくりの局面へ一気に進む。

 投了図の▲3七金が攻防の決め手。△4八銀成以下の王手をかわし、銀をもう一枚持てば▲2四銀△同歩▲2三金△同玉▲4一馬以下の詰みが生じる。三浦五段は潔く頭を下げて投了した。

 勝った羽生棋聖は3連勝で棋聖防衛を果たした。そして通算5期の棋聖獲得により、永世棋聖の称号を取得した。

第3局。将棋世界1995年9月号より、撮影は中野英伴さん。

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将棋世界1995年9月号、天野竜太郎さんの第66期棋聖戦五番勝負第3局〔羽生善治棋聖-三浦弘行五段〕観戦記「ストレートで防衛」より。

 ▲6三馬を見て公開対局場の「鳳凰の間」に入った。

 水を打ったような静けさである。お互いに残り時間も10分を切り、秒読みの声と棋譜読み上げの声だけが響き渡っている。

 夕方頃は時折隣同士での低い声のやり取りが聞こえたりしたが、今は何も聞こえない。

 公開対局場では解説は当然なく、投了直前の△2六銀が攻防の手に見えて一瞬どきっとするが、▲3七金を見て納得。

 三浦の投了の合図とともに会場が大きな拍手で包まれた。

 感想戦はA図、4図の周辺を中心に1時間ほど続けられた。三浦の口からは「この将棋は勝ったと思っていました」という素直な言葉も聞かれた。僅か数手のやり取りの間に劣勢の将棋を逆転して勝勢にまで持っていってしまう羽生の強さは相変わらずである。

 前期に続いてストレートで防衛した羽生は5期連続で、大山、中原、米長に続く史上4人目の「永世棋聖」を獲得した。

 感想戦が終わり羽生が廊下に出ると女性ファンの「お疲れさまでした」という合唱が待っていた。

 敗れた三浦は、打ち上げが終わった後も朝まで記録係の奨励会員と話し込んでいた。

第3局。将棋世界1995年9月号より、撮影は中野英伴さん。

第3局。将棋マガジン同じ号より、撮影は中野英伴さん。

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「第1局と第2局は三浦五段が振り飛車作戦を採ったが、連敗したこともあって本局は居飛車に変えた」

この頃までは三浦弘行九段は振り飛車を多く採用していたが、この棋聖戦五番勝負で羽生善治六冠(当時)に振り飛車で連敗し、そのことがきっかけとなったのか、第2局の後の対局から完全に居飛車党となっている。

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「尊敬する棋士は大山康晴十五世名人」

三浦九段がよく揮毫する「忍」は、大山十五世名人も数多く揮毫している。

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「好きな女性のタイプはしっかりした人で、巨人の落合選手の奥さんのような感じの人」

落合博満選手の奥様、落合信子さんは、まさしく「猛妻」という形容詞がピッタリで、テレビなどにも数多く出演していた。

落合選手にとっての素晴らしいトレーナーでもあった。

この時三浦五段は21歳。なかなか個性的な好みだったことになるのだろう。

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「かの大先輩は再び空調のスイッチに手をかけた。また数分後、寒さに震える三浦五段が立ち上がって空調を操作する」

「三浦五段は先輩を軽んずるつもりはなかったし、対局においては誰もが対等という主張もなかった。ただ単に寒かっただけで、それを正直に行為としてあらわした」

この当日の三浦四段は風邪をひいており、ただただ寒いので空調のスイッチを消しにいっただけで、加藤一二三九段が冷房のスイッチを何度も戻しに行ったのには気がついていなかった。

それほど盤上没我だったわけで、後になってこのことを知り、まずいことをしてしまったと思ったという。

加藤一二三九段、真夏の嘆き

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「新しい時代の21世紀に、将棋が国民的レジャーとして定着し、将棋界が今日のように社会的に確立しているかどうかの第一のカギは、多くの将棋ファンの支持だと思う。その中に女性がある程度の割合でいれば、将棋界の未来は安泰であろう」

究極的には、女性ファンの比率が50%が理想の姿だと思う。

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「三浦五段はこの手をうっかりしたわけではない。だがカド番の一局としては、大胆な誘いのスキだ。局後にそのことを問うと、『じつは少しは研究していました』と答えた。正直な男である」

カド番の一局で、大胆な研究手を繰り出してくるのだから迫力満点だ。

このような積極的な姿勢が、翌期の棋聖位獲得に結びついているのかもしれない。

1図以下、▲6五歩△6二飛▲6八飛△7二金▲6四歩△同銀▲6五歩△7三銀と落ち着く。

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「NHKの来年の大河ドラマは豊臣秀吉の生涯を描く『秀吉』が内定しているが、その題字を羽生棋聖にお願いしたいというのだ」

「だが少考の後に『いやァ、この話はちょっと……』と、断られてしまった。将棋以外のことは自分をよくわきまえていると思った。でも引き受けてほしかったなァ……」

大河ドラマ『秀吉』は、豊臣秀吉を竹中直人さん、織田信長を渡哲也さん、徳川家康を西村雅彦さん、明智光秀を村上弘明さんが演じている。

今年の大河ドラマ『麒麟がくる』とほぼ同じ時代を描いたドラマで、高い視聴率をあげてた。

題字は俳優の森繁久彌さん。

森繁久彌さんに題字の依頼をしたというだけでも、NHKの非常に強い気合いを感じることができる出来事だが、その森繁久彌さんの前に羽生善治六冠(当時)に話があったのだから、本当にすごい依頼だったということになる。

田丸昇八段(当時)が残念がる気持ちもよくわかるし、羽生六冠が断った気持ちもよくわかる。

羽生六冠が題字を書いていたら…と夢がふくらむとともに、羽生六冠の謙虚さが感動的にも思えてくる。

大河ドラマの“題字”(NHK)