将棋マガジン1996年1月号、「先崎六段のトークライブ」より。
新宿に、「ロフト・プラスワン」というライブハウスがある。ここでは毎日、「一日店長」といって、いろいろな分野の人のトークライブを行っている。その店の一人が、そこに棋士を呼ぶ事を思いついた。そこで白羽の矢が立ったのが「気さくでしゃべりが上手い」という評判の先崎学六段だった。
それでは、夜7時半から延々4時間、ウイスキーのソーダ割りを片手に続いた、会話の一部を紹介しよう。
―一番印象に残った対局は?
「順位戦で、昇級のかかった対森内戦。風の冷たさが印象に残ってます」
―若手棋士同士は仲がいいですか?
「お互いライバルなので腹は割らないが、同じものを目指しているという連帯意識はあります」
―弟子を取る予定は?
「私の所に入門を志願するような人はそれだけでダメです(笑)。ただ、女性の四段を養成してみたい、という気持ちはあります」
最後に、店長さんに感想を聞いてみたら、「将棋のプロだから、なにか凄い人かと思っていたら、他の人とそう変わらなかった」とのことだった。
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「ロフト・プラスワン」ができたのが1995年7月だったので、オープンしてから比較的早い時期に先崎学六段(当時)がゲストで呼ばれたことになる。
この頃のロフト・プラスワンは、現在の歌舞伎町ではなく、新宿区富久町にあった。
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「順位戦で、昇級のかかった対森内戦。風の冷たさが印象に残ってます」
先崎六段が一番印象に残った対局として挙げていたのは、1990年度C級2組順位戦ラス前の一局。
それまで先崎五段(5位)も森内五段(4位)も7勝1敗で、暫定4位と暫定3位。
ここで先崎五段が勝っていれば、順位と最終戦組み合わせの関係から、自力昇級の可能性が高くなっていた。
この期に昇級したのが9勝1敗の森内俊之五段、阿部隆五段、小林宏五段で、先崎五段は8勝2敗の6位だった。
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「お互いライバルなので腹は割らないが、同じものを目指しているという連帯意識はあります」
先崎九段は、この10年後の将棋世界で、同世代棋士との友情について、さらに詳しく、そして絶妙に表現している。
「闘いの場数が少なかったこともあってか」から始まる文章は、名文中の名文だと思っている。
→先崎学八段(当時)「すべてはふたりが変えたのだ。あの時から将棋界は変わっていったのだった」
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「私の所に入門を志願するような人はそれだけでダメです(笑)。ただ、女性の四段を養成してみたい、という気持ちはあります」
まさに先崎流の回答。それだけでダメです、が可笑しい。
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見学に来た中田功五段(当時)と田村康介四段(当時)は、トークライブが終わった後、先崎六段と朝まで飲み続けたことだろう。
写真からも、これから何軒も飲みに行きたいという気合いが感じられる。