行方尚史四段(当時)「あれ、また書かれると困るんです」

将棋マガジン1994年12月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 行方尚史 羽生時代を脅かす新勢力」より。

「おもしろいのが出てきましたよ」

 9月某日、控え室に顔を見せた先崎学六段がわがことのように楽しげにいった。

 前日、三段リーグを勝ち抜いて、ふたりの新四段が誕生した。矢倉規広と鈴木大介。ともに二十歳。奨励会入会も昭和61年の同期で、四段昇段まで8年かかっている。

 将棋会館近くの某所で催された祝いの席は、相当に盛り上がったらしい。参加した先崎によれば、主賓のふたりは、注がれるままにグラスを空けつづけ、お開きになったころには、すっかりできあがっていた。店は出たものの、もう二次会どころではない。鈴木は路上で沈没した。その道では先輩の先崎が、感心するくらい、みごとに酔いつぶれたという。

 矢倉のほうも沈没こそしなかったが、ピンシャンしていたわけではない。翌日は、本誌が撮影することになっていたが、とても写真に撮る顔ではないので、撮影は後日にのばした。

 先崎にすればたのもしい後輩ができたと思ったにちがいない。当夜の模様を仄聞したくらいでは、即断はできないけれど、すくなくとも優等生タイプではないようだ。そんな場当たりの感想を先崎にもらしたら、

「いろいろ変わったのがいますよ。みんな本質的には優等生なんですけどね。これから、おもしろくなりますよ」

 当の先崎は相変わらず酒は飲んでいるそうだが、最近は余分な荷物を捨ててきたみたいに、すっきりした顔をしている。寝起きの顔で、髪の毛を逆立てたまま、対局室に駆け込んでくるようなこともない。どうやら自分流の生きるスタイルをつかんだように見える。

 将棋界は羽生善治名人を中心に回っている。佐藤康光竜王、森内俊之七段を加えて”三強”とみる向きもある。この見方は、若者向けファッションめいた感じもあるけれど、将棋界の現況を物語っていることはたしかである。

 三人とも才能があるうえに、勉強するから成績は抜群にいい。佐藤は竜王を取ってから、雑用がふえて研究時間がままならないが、それまでは研究会をふくめて、一日7時間は勉強していたという。それぞれに流儀はあるだろうが、羽生も森内も研究熱心であることに変わりはない。今期絶好調で”最強”と目されている丸山忠久五段にしても、同じタイプである。

 近年、こういう勉強好きの若手棋士たちが、将棋界の主流を占めてきた。たとえていえば、ドクターコースを出たホワイトカラーの技術者が、エリート集団を形成している。

 先崎が「おもしろくなる」といったのは、ドクターコース出の連中ばかりに、いい目は見させない、という意味にとることができる。

 夫子自身はドクターコースに性が合わず、すすんで工場の現場に飛び込んだようなものだ。工場勤務をすれば、いやおうなく俗世間の空気を吸う。やれ、酒だ、やれ、ギャンブルだ、ということにもなる。エリート集団にくらべれば、ずいぶん寄り道をしたけれど、もともと技術者としての腕はわるくない。遅ればせながら、自分の拠点を見つけたのではないかと思う。

 先崎ひとりではない。エリート集団を追走する一群の現場技術者を、たちどころに思い浮かべることができる。先崎がいうように、彼らは「本質的には優等生」で、技術向上の意欲はけっしてホワイトカラーの面々にひけをとらない。寄り道、回り道をしたぶん、エリートにはない独特の技術を身につけている。

 おまけに、ここへきて、いっそう意欲をかき立てるムードも生じた。河口俊彦六段は、これを「行方効果」と呼んでいる。

 行方尚史四段―昨年10月に四段に昇段して、二つめに参加した棋戦の竜王戦で、挑戦者決定戦まで駆け上がった。

 最後は羽生に挑戦権を奪われたものの本戦で負かした相手が凄い。深浦康市五段、森内七段、南芳一九段、米長邦雄前名人―競馬の予想なら◎、◯、△がつく強豪、俊英を連破した。

 しかも、この男、およそエリートくさくない。俗界の埃をたっぷりと吸い込んでいる。

   

 行方は竜王戦以前にも、いちど話題になったことがある。

 晴れて四段に昇段すると、将棋雑誌で紹介される。インタビューで新四段は喜びと抱負を語る。ドラマティックな昇段であっても、たいていは、ほっとした気持ちが先立って、それまでの屈折した心境を吐露するまでには至らない。大言壮語して、風当たりが強くなっては損だということくらいは、誰でも承知している。

 ところが、行方はちがった。「週刊将棋」のインタビューで、さらりとホンネをもらした。

「羽生さんに勝って、◯◯◯◯◯たい」

 伏字の部分は、べつに将棋連盟当局の検閲があったわけではありません。当人のたっての希望があって、ここでは再録しないことにした。公序良俗を乱す発言ではないけれど、あまりに率直すぎたために、反響が強すぎたんですね。どうしてもお知りになりたい方は、本誌編集部にお問い合せてください。

 行方は昨年の第13回三段リーグ戦で、最終日を残して昇段を決めた。最終日の前日は、かたづけなくてはいけない仕事があって、つい徹夜をしてしまった。それでも、将棋は2連勝して打ち上げの席に出た。

 とうぜん、酒がはいる。徹夜と酒でボーッとした頭でインタビューを受けた。なにをしゃべったのか、ぜんぜんおぼえていなかったので、活字になって、びっくりしたという。この話になると恐縮しきっている。

「メチャクチャだったんです。すごい後悔した。あれ、また書かれると困るんです」

 竜王戦では、羽生を相手に願望が実現するかにみえたが―

「いまは、そんなこと思ってないですよ。この一年、いろんなことがありすぎて、あんまりおぼえてないんです」

 酒を飲んでホンネが出るのは、かなり飲み慣れている証拠だろう。おずおず飲んでいるうちは、とてもホンネを吐く余裕がない。酒については、こういっている。

「十代のころから、けっこう嫌いなほうじゃなかったんでしょうね。ビールとかはおいしいとは思わないんですけれど、あれば水がわりに飲むような感じで・・・。たいてい知らないうちに、どうしようもなくなっちゃって、人の世話になっていることが多いですね」

 私は行方の飲みっぷりをみたことがないけれど、察するに、自分から傷つきながら飲んでいるような」ふしがある。唐突に前例をもちだせば、行方と同じ弘前出身の太宰治がそうだ。

 より身近なところでは、やはり青森出身の直木賞作家、長部日出雄氏がいる。最近はそんなことはないけれど、かつて野坂昭如氏は長部さんの酒を「三禁四乱」と名づけた。反省して三日間、禁酒すると、四日間、乱れる、というほどの意味です。

(つづく)

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「アルコールはあらゆる物体を保存してくれるが、秘密だけは保存できない」

という言葉があったように思う。

飲んでいる時に、「いや、実はここだけの話・・・」で始まるような会話のことを指している。

これは全体的な傾向だ。

酒を飲んで本音が出るかどうか。

これは各人の棋風というか酒風によるものかもしれない。

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映画「仁義なき戦い」シリーズでは、俳優がサングラスをかけて登場するシーンが多い。

ヤクザ映画なので、サングラスの役柄が多いのは自然に思えるが、サングラスをする必要のないシーンでもサングラスをかけていた俳優がたくさんいたという。

これは深作欣二監督が、毎日、撮影終了後、俳優たちと朝まで飲み続けるということを習慣としていたため。

その数時間後の午前中の撮影では、ほとんどの俳優の目がむくんだ状態であり、サングラスをかけさるをえなかったと、出演していた故・山城新伍さんなどが証言している。

    

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