読む 「私は20歳の学生です。私のような学生をはじめ、20代30代の女性の間でなぜこれほどまでに『将棋(羽生?)ブーム』が起きたのか考えてみました」 将棋マガジン1995年9月号、読者の灯籠欄「コマゴマ掲示板」より。 私は20歳の学生です。私のような学生をはじめ、20代30代の女性の間でなぜこれほどまでに「将棋(羽生?)ブーム」が起きたのか考えてみました。もちろん将棋というもの自体のおも... 2020.10.22 読む
読む 「打ち上げのあと銀波荘の社長夫妻、羽生、三浦でマージャンとなった」 将棋マガジン1995年9月号、産経新聞の福本和生さんの第66期棋聖戦五番勝負第3局盤側記「盛況だった公開対局」より。ハプニング「中原永世棋聖が急病で天童に行けなくなりました」 7日の羽田空港で、将棋連盟の小泉さんから、中原さん急病を聞いたと... 2020.10.21 読む
観戦記 三浦弘行五段(当時)「じつは少しは研究していました」 将棋マガジン1995年9月号、田丸昇八段(当時)の第66期棋聖戦五番勝負第3局〔羽生善治棋聖-三浦弘行五段〕観戦記「羽生、5連覇で永世棋聖に」より。三浦五段のこと 研修会から奨励会に入り西村一義八段門下で埼玉県在住と聞いて、あの三浦少年かと... 2020.10.20 観戦記
読む 米長邦雄九段「そのどちらかが優勢になっていることを敏感にかぎわけられる男と、全くそれに気づかずにいる男。この違いが、どちら側を持っても勝つ男と、どちらを持っても負ける男に分かれていく」 近代将棋1995年8月号、米長邦雄九段の「矢倉がいちばん」より。 南芳一九段は、いわゆる花の55年組の一人で、谷川浩司王将のあとに輩出した棋士群の旗頭である。 この年代もまた優秀なプロ棋士が多く、高橋道雄九段、中村修八段、塚田泰明八段、福崎... 2020.10.19 読む
読む 青野照市九段「深浦は年は若いが、昔風の修行を積んだ棋士と言ってよいだろう」 近代将棋1995年8月号、青野照市九段の「実戦青野塾 修行の違い」より。『地方の時代』などと言われる。しかし実際に地方の出身者が、中央で一流になれるかどうかにおいては、年々きびしくなっていくように思う。将棋の道を志す少年も、この例に漏れない... 2020.10.18 読む